Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

春節の飾り付け 「八仙過海」

2013-02-12 | 横濱・中華街
横浜中華街山下町公園で見た旧正月の飾り付け、どうやら「八仙過海」のよう。よく七福神と間違えられるけど、八人いる。
李鉄拐、漢鍾離、呂洞賓、藍采和、韓湘子、何仙姑、張果老、曹国舅

八仙過海

八仙には、それぞれを象徴する「暗八仙」と呼ばれる所持品があり、これらによって神通力を発揮するとされ、「暗八仙」自体が吉祥文様となっている。李鉄拐には葫蘆(瓢箪)、漢鍾離には蒲扇(芭蕉扇)、呂洞賓には宝剣、藍采和には花籃(花籠)、韓湘子には竹笛、何仙姑には荷花(蓮花)、張果老には魚鼓、曹国舅には玉板。

写真の八人を暗八仙から判別すると、前段左から漢鍾離、藍采和、李鉄拐、何仙姑、中段左から張果老、曹国舅、韓湘子、後段が呂洞賓のよう。

野毛のリージェントストリート

2012-09-27 | 横濱・中華街
Miyakobashi Market
ドゥドゥビドゥビドゥビドゥビドゥバー灯がともる http://t.co/tP2ve0cY

種村季弘の著書の表紙にこの場所が写っていてずっと気になっていた。横浜の野毛にあることは分かっていたが、以前よく利用した桜木町からこんなに近い場所だったとは露知らなかった。都橋商店街、誰かが「野毛のリージェントストリート」と呼んでいたが、言い得て妙だと思った。こちらは野毛と「毛」にまつわる地名である分洒落ているではないか。大学生のときにご本家ロンドンのリージェントストリートを訪れたが、ちょうど同じくらいのカーブだったような気もする。ご本家と違うところは、この二階建てハーモニカ横町の後ろを大岡川という川がカーブして流れていること。そのせいで川に沿った建物や道路もカーブしているのだ。川を越えると伊勢佐木町。

冬の日曜日の夜 「横浜ブリリアントウェイ」

2010-01-14 | 横濱・中華街






横浜に行ったとき、馬車道辺りでライトアップしている建物を撮ってみた。現在「きらめく夜景プロジェクト 横濱ブリリアントウェイ」というイベントをしていて、横浜ならではの「冬の夜の楽しみ方」を紹介してくれるらしいが、この冬一番の冷え込みの日曜日の夜、人通りも少なく街は寒々としている。とてもイベント実施中とは思えなかった。

「安楽園」のコースメニュー

2009-07-29 | 横濱・中華街
「この店、入りにくかったでしょう。よくおいで下さいました」「旅館や病院に間違えられるんですよ」「店主が他の店みたいに派手にするのを嫌がるもので...」
扉の向こうで迎えてくれたのは、年配の二人のおばさんでした。旅館のようなお勘定台の前には町医者にあるような待合スペースがありますが、待つ客はおらず、すぐに部屋に案内してもらいました。



部屋の配置を解説しましょう。建物玄関の左側に入口のドアがあり、その左の窓の後ろが待合スペースで、その奥がお勘定台と広々としたスタッフ・オンリーのスペースがあります。玄関正面のちょうど後ろ側には二階に上がる木の階段があるのでした。通された部屋は、階段を挟んで、お勘定台の反対側に当たる、建物正面から見ると左側の窓際の場所にある、少し薄暗い一室でした。



今は床が張ってありますが、昔ここは畳の部屋だったのでしょう。部屋には立派な床の間があり、大きな円卓が三卓ありました。予想に反して (失礼) そのうち二つの卓で先客が食事中でした。どちらも二人連れで「麺類・炒飯」の類を食べていたようで、今まさに食事を終えようとしていました。





おばさんがお茶とメニューを持ってきてくれました。お茶はお茶瓶に入った日本茶でした。メニューに出ている一品料理はかなりの数があるのですが、どれもこれも大人数を想定したもののようで、いちばん分量の少ないものでも、一皿で二、三千円はざらなのでした。玄関の壁に架かっていた「麺類・炒飯もございます」の札の真の意味が判ったような気がしました。




一品料理は諦めざるを得ず、かといって「麺類・炒飯」だけで済ませるのも嫌だったので、「食べ切れなかったら持ち帰れるよう包んであげるから」と言うおばさんの薦めに従い、思い切って「コース料理(2名様分より承ります)」に挑戦することにしました。一番安い 4,000円 (税・サ抜き) のコースのメニューがどんなだったかというと...




1 「冷署x盆」前菜 盛り合わせ
2 「粟米湯」コーンスープ
3 「肉多士、銀包鶏」挽肉トースト揚げ、鶏肉銀紙包み揚げ
4 「乾焼蝦仁」芝海老チリソース
5 「炒鶏丁」鶏肉と野菜の炒め
6 「宮保茄子」茄子の揚物 唐辛子炒め
7 「古老肉」スブタ
8 「白飯・障纃リ、點心・水果」白飯・新香、デザート・フルーツ


どれもこれもいたってオーソドックスな、少し甘めの、お子様でもOKな、くせのない味でした。ここでは、三世代の大家族が店に訪れて、大皿の一品料理をたくさん注文して食べるのが適しているような気がしました。横浜中華街というより、どこかの地方都市で食べる高級北京料理という感じかな。





ワタクシ、この中で食べたことのない味は、6の「宮保茄子」くらいでした。一見、大学芋にも見えますが、揚げた茄子を唐辛子やニンニクなどと甘辛く炒めたもので、これが美味しくて気に入ってしまいました。
おばさん曰く「置いておくとシナーとするから、これだけは持ち帰らないで、早い目に全部食べてしまったほうがいい」とのことで、しっかり完食しました。



これだけ全部食べて 4,000円(税・サ抜き)というのは、ある意味お得なのかもしれないです。気になってはいるけれど、「安楽園」の店先で何度となく入店を躊躇してきた方、あなたには、扉を「叩けよ。さらば開かれん」と新約聖書の言葉を献じることにしましょう。

謎の多い「安楽園」

2009-07-28 | 横濱・中華街


横浜チャイナタウンの目抜け通り中華街大通りにある「安楽園」。

周囲に萬珍樓や華王飯店など赤や金を用いた派手な中華様式の店が並ぶ中に、切妻屋根を頂いて和の雰囲気を漂わせた渋い店構えの二階建てレトロ建築が見つかる。「安樂園」と旧字体で書かれた看板が正面に架かり、もうひとつ大きな突き出し看板もあるが、「安樂園」の三文字は、なんとなく「安楽死」を連想してしまう。玄関上に「中華料理 安楽園」の文字がなければ、誰もここが中華料理店とは思わないだろう。店内の様子はまったく見えず、店先にはメニューやサンプルの陳列など一切なく、玄関奥の壁に「営業中」「麺類・炒飯もございます」と書いた札がかかっているのみ。一見、一見客を拒んでいるような雰囲気で、入りづらいことこの上ない。

横浜中華街のホームページで「安楽園」の店舗情報を調べても、北京料理の店であることがわかるくらいで「店舗希望により掲載致しておりません」と取材お断りのような文言が書いてあって、いったい麺類と炒飯以外にどんな料理が食べられるのか、どのくらいの価格帯なのか、正直謎だらけである。中華街では南門シルクロード(旧・南門通り)に立つ「旅館オリエンタル」の次くらいに謎の多い物件であった。

今回、小野寺さんちのブログの後押しもあって、一年半ぶりの横濱中華街エントリーとして、長年夢に見た「安楽園」のコース料理を味わうべく、清水の舞台から飛び降りる決意をもって、運をば天に任せ、乾坤一擲、こわごわ「安楽園」の扉を開いたのであった。ありがとう。小野寺さん。

コース料理の詳細は次回。

偶然のできごと #2

2009-06-13 | 横濱・中華街
新幹線に乗った。JR東日本の新幹線には、月刊誌「トランヴェール」という無料誌が各座席に置いてあって、これがなかなか面白い。今月の特集は博覧会絡みなのか「横浜は、いつも音楽の街」。横浜ゆかりの歌がいくつか紹介されていて、その中にユーミンの「海を見ていた午後」が載せられていた。

「海を見ていた午後」
歌/荒井由美 作詞・作曲/荒井由美

あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも恋のように消えていった
ソーダ水の中の貨物船というイメージが洒落ている。作詞された当時は、まだベイブリッジはできていなかったろうから、歌詞の風景は随分変わったことだろう。知らなかったが、「ドルフィン」というレストランは今も実在していて、ユーミンの歌に憧れて披露宴を挙げる(熟年?)カップルが少なからずいるようだ。

私にとって港町の風景といえば神戸であり、横浜を歌ったこの歌に対して特に思い入れはないが、今回驚いたのは、その日車中で読もうと持ち込んだ「倉橋由美子の怪奇掌篇」という掌篇小説集の最初の一篇「ヴァンピールの会」の冒頭に、この歌詞が引用されていたことだった。実際には、車内誌を斜め読みして見つけたユーミンの歌を空いた車内で鼻歌しながら、倉橋由美子をさあ読もうとしたら、一ページ目にまさしくその歌が取り上げられていたのだった。倉橋由美子が歌詞を覚えるほどに荒井由美を聞いていたというのも少し意外だった。名前は似ているけど。

この程度の偶然ならさして驚くほどのことではないと言われそうだが、今回は少し違って、この後にも偶然が続く。詳しくは次回。

つづく

こんなところにコメダ発見

2009-02-03 | 横濱・中華街
「あざみ野うかい亭」を後にして、あざみ野駅には戻らず、黄昏時のだらだら坂を江田駅に向かって歩きました。この辺りの地名は「荏田」というのに、駅名が「江田」駅なのはどうしてなのでしょう。何か事情があるようです。地図を見ると近くには「荏田猿田公園」という鼻の大きな「猿田彦」を想起させる素敵な名前の公園があったりもします。矢野弾左衛門が「と猿回し」を浅草に集めたという話、そして「馬と猿」の密接な関係についても頭をよぎりました。

しばらく行くと遠目にも目立つ「ユニクロ」の看板があり、その前に名古屋を本拠地とする「珈琲所 コメダ珈琲店」の文字を発見。例の鋭利な字体、とくに「メ」と「ダ」が匕首を思わせるため、私は好きではないのです。せっかく「コメダ」を見つけたのでシロノワールを食べてはみたかったのですが、すでに別腹も無理なお腹の状態なので今回はパスして家路を急ぎましたとさ。

ミシュランの店(の系列店)で食べたステーキ

2009-02-02 | 横濱・中華街
不景気が加速している中、反感を買いそうな世間離れした記事が今日もまだ続きます。前回は、涎無くしては見られない美味しそうなお肉の焼ける写真で終わりましたが、このお肉が賽の目に刻まれて、ヒレとサーロインに分けられて、有田焼と思われるお皿に二段積みで盛られました。シェフ曰く、同じ牛のヒレとサーロインの味の違いを確かめてください。なんて、なんと贅沢なんでしょう。お肉だけで食べて、ワインを飲んで食べて、こんがり狐色のガーリックチップとともに食べて、胡椒をつけて食べて、レタスと一緒に食べて、お醤油ベースのタレにつけて刻んだ玉葱をのせて食べて、ガーリックライスのおかずにして食べて、食べる、食べる、さらに食べるワタシであった。 Je mange, donc je suis.




うかい亭でのひとときは、ここでは終わらないのでした。所謂「第ニ幕」があるのです。メインディッシュを食べ終えて一息ついた後で二階に案内されて、サロンみたいな雰囲気で、デザートを頂くのです。今回選んだのは「莓のショーフロア」。カンクンに行ったとき、マリアッチを聞かせてくれるレストランで食事をした際のデザートがやはりこれでした。あまおうにリキュールをかけて、ぼっ。と火をつけ、アルコールを飛ばして、あったかいまま練乳アイスにかけたもの。



熱いのか冷たいのかよく分からないデザートです。


外に出ると既に陽が沈んで、フランスから移築した石造りの建物がいい感じでした。

ミシュランの店(の系列店)にステーキを食べに行く

2009-02-01 | 横濱・中華街
前々回、前回と紆余曲折があった結果、今回「あざみ野うかい亭」へ「ミシュランの店(の系列店)にステーキを食べに行く」という、プチ豪勢な企画と相成りました。お店は、田園都市線沿い、あざみ野駅と江田駅の間の小高い丘の上にありまして、エントランスを入ると、フロントの建物がフランス・リヨンから移築した石造りのオーベルジュ、そこから案内される奥のレストランの建物が富山の豪商の家屋を解体して得られたケヤキの建材で再構築されたもの、と敷地内に洋風、和風の建物が並存していまして悪趣味なくらいです。実は、この店を選んだのは、少し悪趣味な建物やインテリアにも興味があったためです。特に円形メインダイニングはガウディのグエル公園みたいで楽しげでした。



まだお昼なのに「うかい牛ディナーコース」をオーダー。「うかい牛」というのは、産地が決まっているわけでなく「うかい亭」が仕入れた中から毎日選んでいる上質のお肉のことらしいです。この日の肉は「但馬牛」とのことでした。「オードブル」の「牛肉のタルタル」(きらいな方には「白子のポワレ」も用意)、「寒平目のマリネ」と続いて、



ステーキに使うお肉が登場。同じ但馬牛から取ったヒレとサーロインを160g。シェフはお肉を焼く前に紅花オイルでガーリックを炒めます。ガーリックオイルを作るのかと思いましたが、さにあらず。ガーリックチップを作ったら、オイルは捨ててしまいました。お肉が焼けるまでに「サツマイモのスープ」が供されました。実は、お芋好きなワタクシ、このスープが楽しみでした。器も凝っていて、ロイヤル・コペンハーゲンが使われています。この模様の器は、昨年の暮れに上野で観たハンマースホイの絵にもでてきたっけ。



そうしている間に、鉄板の上では、ステーキが、ほら↓このように...


手前ヒレ、奥サーロイン。これで二人前です

つづく

横濱媽祖祭の媽祖、千里眼、順風耳

2007-10-25 | 横濱・中華街
媽祖祭のパレードには、由緒正しき台南大天后宮から媽祖の御輿がやってきていました。中華街の老舗各店は御利益を求めてか、店先に祭壇を用意して御輿を招き、賽銭をはずんでいました。



御輿を担いでいる人たちのいでたちは、清末の西太后を写した写真で彼女を載せた御輿を担いでいた宦官を想起させました。しかし、あくまでその動きは男性的で、媽祖祭で最も荒々しいものでした。御輿に載った媽祖の像は写真に撮ることができませんでしたが、パレードでは、別の媽祖の像を抱えて歩いている人がいました。(台南の天后宮に祀られている小さな像の一つと思っていましたが陳龍獻さんによると、これは城隉神・土地神の像で媽祖ではないそうです)



顔が赤く塗られているのか、それともこれが木の材質の色なのかはよく判りません。少しバルセロナ郊外のモンセラで見た黒い聖母を思わせました。ともに辺境「際」に生まれた異端「エキゾチック」な神なのかもしれません。


爆竹の音と煙とともに、春節パレードでも御馴染みの、千里眼将軍と順風耳将軍の人形隊が現れました。こちらは日本産のもののようです。