Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

セブン12話に出てきた「百窓」のモチーフは?

2012-05-15 | 廃墟巡礼


榎本裕紀子さんという方から、前に書いた(というか呟いた)「百窓」の記事にコメントを頂いた。なんと榎本さんのおじいさまが、世田谷区岡本の地で異彩を放っていた今はなき「百窓」の主だったそうで吃驚した。「百窓」もしくは「百目」という名は、窓が四方に25個ずつ計100個あることで付けられた俗称で、この建物の正式の名は「起爆空間」あるいは「試みられた起爆空間」というそうだ。(「百目」は水木しげるの「悪魔くん」に出てくる百の目を持つ妖怪の名前でもある) なんだか岡本太郎の作品の名前みたいに思えた。岡本太郎ではないが、どこかで四方に穴が空いていて脚のある陶土でできた現代彫刻を見たような記憶もある。この奇妙な建築の設計者が俄然気になってきた。

いろいろ調べていくと「712資料館」という「ウルトラセブン」12話に関わるサイトの記事に、「建築文化」1967年2月号で16ページに亘って「百窓」が紹介されていて、そのうち6ページは設計者の一人である林氏の「起爆空間の論理」という論文で占められていると書かれている。ふむふむ、設計者は林さんか。しかしその後で「kenny's product」というブログに、「設計は象設計集団」と書かれていて、あの富田玲子氏の名前まで出ている。象設計集団といえば、世田谷区岡本からほど近い「用賀プロムナード」も手掛けている。世田谷美術館に行くときに通る裏道なのだが、瓦のような遊歩道に百人一首が書かれていて、よく探しながら歩いたものだ。さっそく建築雑誌の「象設計集団」の特集をあたってみるが、それらしい写真や記述はない。ならば「象設計集団」のウェブサイトを調べてみよう。設計作品が並ぶ「象年表」を一通りみたが、「起爆空間」の名はどこにもない。それより、象設計集団は、1971年に吉阪隆正の下にいた大竹康市、樋口裕康、富田玲子、重村力、有村桂子の五名によって発足されたとあり、肝心の林某の名前がない。暗礁に乗り上げた。

もう少し調べてみた。Wiki で富田玲子を調べたところ「1961年、東京大学工学部建築学科を卒業し、大学院に進学。同年林泰義と結婚」とある。そうか、林某は富田玲子氏の夫君のことかもしれないぞ。今度は林泰義を Wiki で調べたところ大当たりで、「夫人は象設計集団の富田玲子で、夫人との作品には「起爆空間」「用賀プロムナードいらかみち」などがある」と出ていた。夫君の林氏はおなじみ「用賀プロムナード」にも関わっていることが分かり、なんだか親近感がわいてきた。それより、愚かにも見落としていたのは象設計集団の発足が1971年と、1967~68年に作られた「ウルトラセブン」の放映より後だったこと。60年代に登場する建物が70年代発足の設計事務所にデザインできる筈がないのだった。

二人の名前を検索ワードにして調べていくと、建築史家の倉方俊輔氏のブログ「建築浴のおすすめ」がヒットした。「建築浴」という言葉は初耳で、「テルマエ・ロマエ」を連想してしまった。実はこの方には「吉阪隆正とル・コルビュジエ」という著書があり、この吉阪隆正氏こそは象設計集団の五人が結成前に在籍した建築設計事務所U研究室の主宰者である。ブログでは「起爆空間」を彷彿とさせる博多のオフィスビルが取り上げられている。そこには「1966年竣工の「起爆空間」。当時U研究室の一員で、後に象設計集団を結成する富田玲子さんが、夫の林泰義さんと共に設計した住宅だ。円い窓が100個開いている」 そうか、象設計集団を結成前に夫婦で「起爆空間」を設計したのだ。さらに「富田玲子さんの本には、次のように書かれている。発想の原点は、たまたま見ていた『世界建築全集』に出ていた古代ローマのパン屋のお墓です。立方体の四面に九個の丸い突起物がついていて、二人とも「これだ」って思いました。〈中略〉敷地が東名高速道路の入口にある見晴らしのいい立地だったこともあって、「ウルトラマン」などのテレビ映画に悪の巣窟として登場しましたが、施主の意向で20年前に取り壊されました」とある。「ウルトラマン」じゃないんだけど...

なんだか「テルマエ・ロマエ」みたいだが、こうして「起爆空間」のモチーフが「古代ローマのパン屋のお墓」であることが判明した。ここからはいとも簡単だった。実は私は、ローマのテルミニ駅の近くで百窓に似たへんてこな廃墟を見た覚えがあるのだった。城壁の近く。早速 Google Map で終着駅の周りをぐるーっと巡り、見ぃーっけた。「ローマの百窓」。正式には「Tomb of Eurysaces the Baker」というそうだ。住所は Piazza di Porta Maggiore, 00182 Roma, Italy。下は南側から見た様子である。





少し気になったのは、上の俯瞰写真で見たところ、このパン屋の墓がどうも「立方体」ではないことだ。自分の記憶でも薄っぺらい廃墟だったような気がする。別の方向から撮られた写真を集めてみたが、どう見ても城壁側(西側)の窓は縦に2列、6個しかないようだ。





右は北側から見た再現図になるが、設計者は「立方体の四面に九個の丸い突起物がついていて」と語っているので、恐らくは南側の一方向から撮られた写真を見て、この廃墟が立方体の建物であると勘違いしたのではなかろうか。ともあれ日本の「起爆空間」が薄っぺらいものにならず、その美しいフォルムゆえにTVドラマのロケに使われ、取り壊された後も我々の記憶に残る建造物となったことは幸いであったと思う。

【Twitter 拡張版】 幻の12話に百窓発見

2011-01-23 | 廃墟巡礼
01月22日(土)のつぶやき

09:56 from web
スペル星人出現かと思ったら、ジェームズ・キャメロンが撮ろうとしている故・山口さんちのツトム君のことだった。はだしのゲンからの盗作騒ぎはどうなったんだろう? 被爆者を笑いのネタ BBCに抗議 (読売新聞 - 01月21日 20:02) http://mixi.at/a1XhWls





世田谷名建築「百窓」が無残にも瓦礫に

10:03 from web
記録映画によると、広島・長崎二度の原爆に直接遭遇した二重被爆者は山口さん以外にも8人、残留放射能を受けた人たちは165人もいたらしい。
http://bit.ly/ig5qm2
11:36 from web
ウルトラセブン12話ってふつうに見れるんですね。 http://bit.ly/gdVQ7v http://bit.ly/gf9OGj
12:05 from web
ウルトラセブン12話前半、宇宙人の作った白血球を結晶化する腕時計をつけると白血球が減り、ダン隊員曰く「原爆病によく似た症状」になるというのがまずいのかな。今なら原爆症というべき? この回は、アンヌ隊員のお友達としてフジ隊員役の桜井浩子が出演しているから貴重なのに。
12:13 from web
それに、12話には今はなき世田谷名建築「百窓」が宇宙人のアジトとして登場している。


百窓に向かうダンとアンヌ。私服デート?


意外に小さい百窓。スペル星人の縮尺が合わない

12:34 from web
12話ラストには本編への重要な伏線も。早苗「私忘れない、決して。地球人も他の星の人も同じように信じあえる日が来るまで」 アンヌ「来るわ、きっと。いつかそんな日が」 ダン「そうだ。そんな日は毛頭もない。だってM78星雲の人間である僕がこうして君たちといっしょに戦っているじゃないか」
by tomotubby on Twitter

【Pet の廃墟巡礼 第5回】 道後城は1億円を切りました

2010-03-08 | 廃墟巡礼


久々の廃墟巡礼。ただし今回、Pet はリアル巡礼(リア巡)したわけではない。1年前にヤフオクをネット巡礼していて見つけ、以来気になっていた物件。愛媛県が税金滞納のカタに差し押さえた不動産をインターネットオークションにかけたもので、1年前は価格が高すぎて売れなかったため、今回最低落札価格を1億円以下に値下げして再度公売に出されたらしい。五層の立派な天守閣の聳える鉄筋建造物は、通称「道後城」と呼ばれたレジャーホテル、否、レストホテル、平たく言えばラブホテルとして営業されていたものであるが、外観はその使用目的に反してどこか雅な佇まいを持つ。



城の白い外壁はリフォーム済みのため建物は現役営業中のごとくで、とても廃墟には見えないが、内装はリフォーム途中で放置された状態で、まさに廃墟そのもの。放置後の施設の老朽化、加えて芸予地震の被害の状況は不明で、建材としてアスベストが使用された可能性は大きく、かつてのように建物をそのままホテルとして利用できるのかどうかも微妙ということか? この不況下に物件を取得するのは些かリスクが大きいだろう。入札締切日3月12日13時まで残すところあと僅か。かくして魅力ある廃墟物件は今年もまた売れ残ることは必至のようである。


2001年廃墟の旅 関東篇

2009-08-17 | 廃墟巡礼
前回に続いて、野村宏平氏「廃墟の美、東京真空地帯を歩く」で取り上げられた、2001年当時の東京近郊の都市廃墟。φ(.. )メモメモ。

■旧根岸競馬場(横浜市中区)
横浜の根岸台にある日本で最初に競馬が開催された場所。戦後、米軍に接収され、81年に全面返還されるも再利用されることなく保存されている。

■旧日英醸造&国道駅(横浜市鶴見区)
鶴見川沿いを歩いていると、新鶴見橋と森永橋の間に、威風堂々たる白亜の建造物が聳えている。JR鶴見線の国道駅の薄暗いドーム型の高架下も雰囲気がある。

■旧検見川送信所(千葉市)
JR総武線新検見川駅を降りて南へ十分ほど歩くと、左手に荒野が開け、その彼方にぽつねんと佇ずむ灰色の建造物。

■旧山吉デパート(川越市)
蔵造りの家並みが並ぶ中央通り沿い。侵入可能。

2001年廃墟の旅 東京篇

2009-08-16 | 廃墟巡礼
実家で見つけた「日本怪奇幻想紀行 六之巻 奇怪建築見聞」という奇妙な建築に関するアンソロジー本。二笑亭、会津栄螺堂、吉見・岩窟ホテル、雅叙園、元祖日の丸軒等が取り上げられていて面白いが、その中に「廃墟の美、東京真空地帯を歩く」という野村宏平氏の一文があり、2001年本書刊行当時の東京周辺の都市廃墟が紹介されていて、これがたいへん興味深い。さっそくφ(.. )メモメモ。これらの廃墟はいったい今どうなっているのだろうか。まずは東京篇

■竹平寮(千代田区)
地下鉄東西線九段下駅から内堀通りを竹橋方面に歩いていくと、千代田区役所の先に、古色蒼然たる鉄筋三階建てのビルが四棟並んでいる。

■旧中央水産研究所(港区)
月島の西南、臨港消防署近く。

■旧芝浦遊廓見番(港区)
山手線田町駅東方、港湾労働者の宿泊所「協働会館」として利用された。周辺は火災で取り壊された。

■芝五丁目交差点(港区)田町駅近く、第一京浜に日比谷通りが合流する三叉路の脇にある数軒の木造廃屋。

■麻布我善坊町(港区)
飯倉片町交差点脇の落合坂を降りていったあたり、現麻布台一丁目。道を抜けると、桜田通りに面して、東京タワーをバックに、鉄筋六階建ての廃マンション。

■神谷町(港区)
愛宕山の南域に、アパート、小屋、祠の廃墟。西域には木造民家が残る。

■高輪(港区)
明治学院大学の桜田通りを隔てた向かい側の廃駐車場。その裏手には細い路地と石段が迷路のように入り組む場所が残る。

■新宿御苑裏(渋谷区)
新宿御苑裏へつづく飲食店街。御苑に沿って千駄ヶ谷方面に向かう道にも廃屋あり。

■西新宿&北新宿(新宿区)
新宿駅西口超高層ビル街拡張にともなって、東京医科大学病院裏手の西新宿六丁目あたり、さらに青梅街道を越えた北新宿がゴーストタウン化している。

■新大久保駅前(新宿区)
山手線新大久保駅の東側線路際。道路新設工事に伴ってできたゴーストタウン。

■戸山ケ原(新宿区)
山手線の新大久保と高田馬場の間の元戸山ケ原の西のはずれ、小滝橋通り側の給水塔。関東大震災で倒壊した浅草十二階(凌雲閣)を彷彿とさせる塔。

■旧小笠原伯爵邸(新宿区)
都営地下鉄大江戸線の牛込河田駅近く。円形喫煙室外壁が名意匠。(ここはスペイン料理を供するレストランとして再生し、オープン当初に訪れた)

■上高田(中野区)
落合葬祭場近くの高台の寺院が並ぶ寺町から急な坂道を降りていくと、密林化している木造平屋建てが並ぶ都営住宅がある。

■旧精工舎(墨田区)
錦糸公園と蔵前橋通りの間に鎮座する都区内最大の廃墟。(既に高層マンションが建っていたような気がする)

■汐入(荒川区)
JR常磐線南千住駅から東へ一キロ、隅田川が大きく湾曲する内側、戦災を逃れた木造家屋の密集地が東京最大のゴーストタウンと化している。すぐ南方の隅田川堤防脇には水門の廃墟が残る。

ハンマースホイ作品の廃墟感

2008-12-12 | 廃墟巡礼
ハンマースホイのことをもう少し。

画家は19世紀末に移り住んだストランゲーゼ30番地の二階にあった住居の室内を繰り返し描いており、当然の如く今回の大回顧展にもこのモチーフの絵が数多く出品されていました。これらに共通している点は、室内に本来ある筈の、ともすれば過剰になりがちな家具や陶磁器や布の類が少なく、画家によって現実の室内の情景が恣意的に取捨選択され再配置されていることです。そのために、(マグリットの「The Menaced Assassin」ほどではないにしろ)どこか違和感、わざとらしさを感じます。

そのような室内の中に妻イーダを配置した絵もたくさんありますが、室内には生活感がなく、まるで「廃墟」の中で妻にポーズをさせて描いたような「気持ち悪さ」があります。ハンマースホイの絵にフェルメールらオランダ室内画の影響を指摘する論考は多いですが、17世紀の画家が競って行った過剰な室内の演出は彼によってまったく排除されています。オランダのデルフト焼きの代わりにロイヤルコペンハーゲンが置かれていたりするのはご愛嬌でしょう。


「室内、ストランゲーゼ30番地」
ピアノが二本足で立っている、テーブルの影が複数方向に落ちている、イーダの足が椅子の足と溶け合っている、ピアノを弾こうとするとテーブルにぶつかってしまうなど、シュールな要素が指摘され、展覧会でも話題を呼んでいました。


「白い扉、あるいは開いた扉」
室内の複数の扉をモチーフにした奇妙な作品。ハンマースホイ以前にこのような題材を取り上げた画家はいなかったに違いないです。私はこの絵を鑑賞中、デュシャンの「Door, 11 rue Larrey」が頭を過ぎりました。


ストランゲーゼ30番地の室内画から漂う「気持ち悪さ」や「廃墟感」は、ハンマースホイの他の作品からも感じられました。風景画ではより顕著でした。人はおろか人の痕跡がなく、露出時間を長くして撮った風景写真のような趣きなのです。人物画にしても、描かれた対象には生気がなく、病んでいるようで、極言すれば生きながら立ち腐れているような、人間の「廃墟」のようなものを感じました。

個人的に一番気持ち悪くて気に入った(なんともアンビバレントな私!!)のが「リネゴーオンの大ホール」というロココ調の漆喰が施された無人のホールの絵でした。(この絵の絵葉書が売ってなくて残念でした。画像捜索中) この気持ち悪さは、キューブリックの名作映画「2001年宇宙の旅」に出てきたあの部屋、老衰したボーマン船長の横たわる寝室と共通したもののように感じました。


「2001年宇宙の旅」

蒼の廃屋

2008-03-01 | 廃墟巡礼


先日来、小野寺さんがブログ「ONE DAY」に台湾のローカル線平溪線の風景を載せられていて、九份のさらに奥に当たる場所でもあり、興味津々で拝見しています。そこに古い蒼い扉の写真があり、頭にひっかかっていたのですが、携帯電話で撮ったこの蒼い廃屋の写真を見つけ、どこかテイストが似ているような気がしたので載せてみました。場所は福島某所です。

国宝第1号「崇礼門(南大門)」を焼いてしまった韓国

2008-02-12 | 廃墟巡礼


大韓民国の首都ソウルの中心で、ソウル駅の近くにあり、同国の「国宝第1号」に指定されている「崇礼門(南大門)」が10日夜から11日、日本の建国記念日にかけて一韓国人によって放火され全焼した。1398年に完成し(1448年、1479年に改修され)たソウル現存最古の木造建築物だった。(といっても、日本で言えば室町時代。韓国に13世紀以前の木造建築物は存在しない)

火事によって木造部分は殆どが失われてしまい、復元するにしても新しい木材を使わざるを得ないため、これまで進められてきた世界文化遺産への登録推進は事実上難しくなった。慶州の仏国寺や沖縄のグスクに倣って、上の写真(Pet 君作成の想像図)のような石造建築物だけを登録申請する手も残るが、楼閣がないとどうも華がなくて寂しい。韓国では早速復元案が論議されており、日帝期に取り払われた城壁までを復元する構想が発表されている。そして、何故か復元された後も門は「国宝第1号」のままらしい。国宝の定義がいい加減である。復元案を見るに焼ける前のシンメトリカルな姿の方が美しく思えるが、この際、日帝によって城壁が壊された上で、門が「国宝第1号」に指定された恥しい歴史ごと葬り去りたいのだろう。

以下の記事を読むと、これまで「崇礼門」にかけられていた火災保険料額は、月々たったの 760円ぽっちだったそうである。これだけを見ても、韓国はこの門の歴史的、文化的、芸術的価値を無視していたに等しく、起こるべくして起きた事故のように思えてならない。

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崇礼門火事保険金は 9,500万ウォン
2008/02/11(Mon) 14:44

火災事故で崩壊された崇礼門に対する保険金が、9,508万ウォン(1,046万円)に過ぎないことが明らかにされた。ソウル市は、1998年市有財産に対し韓国地方財政共済会の火保に一括加入しながら、崇礼門も保険対象に含ませたと明らかにした。しかし、崇礼門に対する火保の保険料は年間8万3,000ウォン(9,130円)で、火災によって受けられる保険金は9,508万ウォン(1,046万円)であることが明らかにされた。ソウル市は、保険金がこれだけ少ない理由に対し韓国地方財政共済会の保険の性格上、崇礼門に対する文化財価値は全く考慮せず、木材建築物としての保険料と保険金のみを算定したためであると説明した。