Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

Fela Kuti と Lester Bowie

2012-06-18 | Africa Afrique
06月13日




22:40 from Twitter for Android フェラ・クティ未発表デトロイト・ライヴ音源初CD化。二枚組。凄い。

CDを買わなくても上の音源を含めた完全ヴァージョンは、YouTubeで聞くことができる。



06月17日




13:19 from web Art Ensemble of Chicago の Lester Bowie が Fella Kuti と共演したアルバムは「Stalemate」「No Agreement」1977年だから Fela の KALAKUTA共和国が襲撃を受けていた頃
13:19 from web 1977年は、P-Funk Earth Tour の年
13:41 from Tweet Button Lester Bowie のソロは6分過ぎから Fela Kuti 「Dog Eat Dog」

13:42 from Tweet Button 白衣の Lester Bowie はどこか科学者のようだ。Art Ensemble of Chicago 「Odwalla - The Theme」

by tomotubby on Twitter

【引用】 「エチオピア親善大使 カテリーナのメッセージ」

2011-08-22 | Africa Afrique
わたしは1931年(昭和6年)12月1日に上野動物園にやって来たライオンです。日本との友好関係を願うエチオピア皇帝ハイレ・セラシェ一世からの親善大使として、夫のアリとともに贈られてきたのです。翌年8月にはおすめす2頭の子を産みました。この息子と娘はブルドックのお母さん茶目に育てられ、永田東京市長により富士・桜と命名され、当時大変に話題になりました。わたしは1942年までの11年間に21頭の子を産み、元気な子どもたちは日本全国の動物園に贈られ、各地で人気者になりました。
わたしたちがハイレ・セラシェ皇帝の願う平和の大使としての使命を果たせたのは、短い間でした。わたしの夫のアリとともに戦時猛獣処分により、1943年(昭和18年)8月22日に16年の生涯を終えたのです。このときゾウ、トラ、ヒョウ、チーター、クマ、パイソン、ガラガラヘビなどが、わたしたちといっしょに命を落としました。
戦後、平和がもどり、上野動物園にはふたたび世界各地からの親善大使がやってきています。多くの動物たちが末永く平和の大使として活躍できることを願っています。

エチオピア親善大使 カテリーナ

Lion
写真は文中のライオンではありません

音楽の坩堝、ナイジェリア

2011-06-12 | Africa Afrique
06月08日




06:46 from Twitter for Android
キザイア・ジョーンズ、ライブアルバム出る(出てる?)みたい。RT"@KeziahJNZ: I posted 5 photos on Facebook in the album "Caribbean Tour 2011" http://t.co/EBIQ4Zv"



06月11日




09:19 from Tweet Button
Keziah Jones 'Blufunk Reunion' Concert L'International Paris 18 Jul 2010


09:29 from Tweet Button
KEZIAH JONES - THE WISDOM BEHIND THE SMILE - CASH - THE ORIGINAL BLUFUNK...


09:35 from web
Keziah Jones は、このオリジナル・トリオのライブが一番いい

06月13日




20:10 from Tweet Button
JUJUDUBWISE~ King Sunny Ade & His African Beats - Ja Fun Mi Instrumental


20:18 from Tweet Button
ナイジェリアにはぜひ行ってみたい Bantu feat. Ayuba "Fuji Satisfaction"


20:28 from Tweet Button
進化するFUJI~ ayuba ijo fuji rmx


20:41 from Tweet Button
Koni Koni Love - Klever Jay


20:49 from Tweet Button
ZAPPを思い出す Flavour Nabania - Oyi (I dey catch cold)


21:16 from Tweet Button
臨場感あるな。 أغنية الشاب خالد لافتتاح كأس العالم الرسمية 2010 KHALED DIDI



06月14日




05:46 from Twitter for Android
昨夜の最後のハレドだけはナイジェリアでなくアルジェリアだったけど、一昨日のキザイアや、フェラを含めて、多民族国家であるナイジェリアはまた音楽の坩堝という感じ。ラゴスのラグーンに拡がる港は、かつての奴隷海岸で、ここから新大陸に移送された奴隷たちが数々の音楽のヴァリエーションを作り上げた。
05:57 from Twitter for Android
ラゴスはすでに世界最大規模の都市になりつつある。地平まで続くスラムが頭に浮かぶ。先日、その地で監禁した女子を妊娠出産させ赤ちゃんを売り捌いていた「赤ちゃん工場」が摘発されたというニュースを聞いたが、ヨハネスに負けず劣らず 恐ろしい土地なのかもしれない。カール・ポランニー先生。
by tomotubby on Twitter

【Twitter 拡張版】 Burundi Black の憂愁

2011-03-06 | Africa Afrique
22:57 from Tweet Button
12インチ長年探していて一年ほど前やっと手に入れたのにYouTube に出ていてちと複雑な気持ち Burundi Black - Maxi Single Vinyl


1981年ヴァージョン

もう随分前に「民族音楽のおけいこ」というお題でいろいろ書いて、そこでこの曲の存在についても触れました。当時この曲のプレーヤー・タイトルがともに「Burundi Black」ということすら知らず、親切な方に教えていただきました。それからこの曲の入った12インチシングル盤がなんとしても欲しくなり、海外中古市場で比較的安く買い求めたのがさらに何年か後だったと思います。

国内においてこの盤が異常に高く取引されているのは、坂本龍一が昔この音源をDJをしていたFMの番組で披露したからと聞きます。YMOフリークが少なからずいるのを差し引いても、万人が(万人といわないにしろ千人か百人は)一聴してインパクトが大きい曲だったのでしょう。

オリジナル音源は、1960年代にブルンディ族の大人数による演奏が現地実況録音され、 Ocora レーベルから良質な民族音楽シリーズのひとつとして「Musique du Burundi」の題名でリリースされたアルバムの収録曲です。ブルンディ族の演奏は Peter Gabriel 主宰の WOMAD でも紹介されていまして、勇ましい叫び声とともに集団演奏されるドラムの反復が、バリ島のジェゴクにも似て、何かトランス状態に導かれるような気がします。

調べていくと、まず1971年に Mike Steiphenson なるフランスのキーボード奏者がオリジナル音源に荒削りなギターとキーボードを重ねて、それから10年後の1981年に、このヴァージョンに Rusty Egan (VISAGE のDr) と Jean Philippe Iliesco がさらにシンセを重ねて洗練したものに仕上げたのが上のヴァージョンです。


1971年ヴァージョン

民族音楽をサンプリングしてリミックス音源にしたものは世の中に沢山存在していますが、そのうちの大多数が音源を活かしきれていないのに対して、この曲は数少ない成功例ではないかと思います。かといって、決してオリジナルとは印象が全く異なり、そこにはない「憂愁」のようなものが色濃く感じられます。実は昨年、南アフリカでのワールドカップに際し「Burundi Black 2010」なるものが作られ、秘かに期待をしていたのですが、iTunes で試聴すると、元の特徴的なドラムの音が生かされておず、1981年ヴァージョンとは比べものにならない出来でガッカリしました。

Art Ensemble Of Chicago

2010-06-20 | Africa Afrique
【Twitter拡張版】昨日は「増補改訂版 ECMの真実」を立ち読み。ドイツ人マンフレット・アイヒャーが設立したECMレーベルは「The Köln Concert」ほかキース・ジャレットが多くのアルバムを残したことで知られるが、私はジャック・ディジョネットについて書かれた部分を読んでいた。ディジョネットは、古くはチャールス・ロイド、マイルス・デイビスのバンドにキースとともに加入し、今はゲーリー・ピーコックとともに三人で長くスタンダーズ・トリオとして活動を続けている
彼の盟友であるが、ジャック・ディジョネットもまた ECMには「Special Edition」ほか重要な作品を残している。ディジョネットのアルバムでは私は個人的に「New Directions」が好きで、深夜にCDをよく聞いているが、このアルバムで特徴的なトランペットを吹いているのが、他ならぬアート・アンサンブル・オブ・シカゴのレスター・ボウイだった。AEOC というと、シカゴ派 AACM に属しアフリカ民族音楽寄りのフリー・ジャズを想像させて、サン・ラなどとともに少し敬遠気味だったが、レスター・ボウイをきっかけに私は AEOC を聴き始めたのだった。レスター・ボウイはフェラ・クティの楽団とも共演しており、私の中ではトーキング・ヘッズやポップ・グループ(の残党)などとも近い存在に感じられた。

昨日立ち読みした本によると、ディジョネットのルーツもまた AACM であり、それ以来のディジョネットとボウイの交流について書かれていて興味深かったが、続いて AEOC についての記述があった。彼らは ECM に「Nice Guys」「Full Force」「Urban Bushmen」「The Third Decade」と四タイトルを残しているが、いずれも AEOC の代表作であり、アフリカ黒人音楽の集大成的な作品群と呼んでよいものであり、個人的には前二作は彼らの活動の頂点といえるものだと思う。この当時の AEOC は、インテリ肌のロスコー・ミッチェルと、顔にペインティングをして民族楽器を演奏する残り三人を、軽妙洒脱なレスター・ボウイが繋いでなんとかバランスをとっていたのではないかと勝手に想像している。その微妙なバランスの上で奇跡的に生まれたのが、これら ECM の作品ではないだろうか。パーカッションを多用したアフリカ音楽を媒介にして、曲調の全く違う音楽が並び、彼らの引き出しの多さには驚くばかりであるが、いずれの作品もジャズの文脈で捉えられたものである。

バンドからはジョセフ・ジャーマンがバンドを抜けて、レスター・ボウイが90年代末に亡くなったことは知っていたが、その後、ベースのマラカイ・フェイバースも亡くなっていたことを知った。ボウイは死ぬまで、音楽におけるジャズの共通言語としての重要性を説き、衰えゆくジャズについて憂いていたという。


レスター・ボウイとマラカイ・フェイバースのソロが聞けるチャーリー・ミンガスに捧げられた「Charlie M」


「No Woman No Cry」

Store Front (2)

2010-04-30 | Africa Afrique
アスワンで泊まったクレオパトラ・ホテルの前にあった露店のスパイス屋さん。各種スパイスがピラミッドのように盛られています。偶然にも二日前にカイロで泊まったホテルの名もクレオパトラ・ホテルでした。エジプトには、いや世界中に、いったい何軒のクレオパトラ・ホテルがあるのだろう。と、そのとき思ったのを覚えています。



結局行かなかったフジロック Seun Anikulapo Kuti

2009-08-12 | Africa Afrique
昨年10月に続いてネヴィル・ブラザーズがフジロックフェスティバル'09参戦と聞いて、後楽園の演奏が素晴らしかっただけに、わが心千地に乱れましたけど、直前になってもオフィシャルサイトのアーティストの紹介のところが白紙のまんま。これって去年のブーツィと同じじゃない? 昨年の不完全燃焼の記憶が蘇って行くのやめました。行った人の話では、リズムの要の末弟シリルが欠席していたらしいです。やはり。それより24日当日は雨で会場が泥濘と化したため、オーディエンスはずっと立ちっぱなし、疲れて最終ステージのネヴィルズを見ずに帰った人も多く、どろどろでくたくたのがらがらだったとのこと。

次に気になっていたのが、25日のお昼に演ったシェウン・クティ&フェラズ・エジプト80。偉大な亡き父フェラ(「I.T.T.」を演ってます)のバンドを引き連れて昨年デビュー。デビュー作のタイトル曲「Many Things」(ナイジェリア訛だと「メニティン」)が気に入っていたので、やはりわが心乱れましたが、ライブの時間はたった50分。いい意味で独自性を発揮している兄フェミとは違って、シェウンのスタイルは父譲りらしいから、恐らくは長まわしで、50分だと二~三曲で終わりそう。ヨーロッパじゃトリなのにね。いずれ再来日してのソロ・コンサートに期待して、行くのやめました。


Keziah の音楽ともどこか通底している。父譲りの髪型だけど、あの鋭い眼光は感じられない。背は高くてかっこいい。でもよく見るとスーツが天才バカボンみたいじゃ。

で、今行こうかやめようか悩んでいるのが、よりによって 東京JAZZ 2009 なんかに飛び入りしたジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリック。これって Groove というステージ名で4グループが出演。13時開始で次のステージは19時開演だから、想像するに1グループの持ち時間は1時間程度です。One Nation と Knee Deep と Atomic Dog と Maggot Brain で終わりだもんね。どこか別の場所でライブ演ってほしい。ブツブツ...

で、結局演ったのは以下の7曲だったらしい。Michael Hampton は何故か欠席したらしい。Atomic Dog は別として後期の曲は演らなかったらしい。

Cosmic Slop
Red Hot Mama
Give up the Funk
Up for the Down the Stroke
P-Funk
Flash Light
Atomic Dog

クレオパトラは白人と黒人の混血だった

2009-08-02 | Africa Afrique
前回、古代エジプトプトレマイオス朝最期の女王、クレオパトラ7世の「鼻」のことについて触れたが、彼女の実妹であり、政敵でもあったアルシノエ4世の墓が、トルコ・エフェソスで見つかり、彼女のものと思われる人骨が発掘されたことをNHKのTV番組で知った。アルシノエはローマ人により、このブログでもおっぱいネタで話題にしたことのあるエフェソス・アルテミス神殿に幽閉され、クレオパトラと同盟したマルクス・アントニウスにより毒殺されたらしい。

クレオパトラの血縁である妹アルシノエの頭蓋骨から顔が復元され、「鼻」の形などを調べた結果、驚いたことに、アルシノエは白人と黒人の混血で、エキゾチックな容貌の持ち主であったことが判明した。つまり美女クレオパトラも黒人の血を引いていたわけである。長い間白人として描かれたクレオパトラ像が、2000年の時を経て、脆くも崩れ去ったわけである。この事実をあの世のマイケル・ジャクソンにも知らせてやりたいと思った。


以下、松岡正剛「ルナティックス」巻末の月神譜より

■アルテミス Artemis
最もギリシアらしい女神のひとつで歴史上さまざまな姿をとった。最も有名なのは多乳多産形、原型はおそらくアマゾネスの月女神で狩猟神。ギリシア神話の作者たちは、アルテミスをアポロンと双子の関係におき、また、角神アクタイオンが純潔なアルテミスの水浴中の裸身を見たため八つ裂きにされたとしたが、これは獣を連れるアルテミスが変形して語られたものだった。のちにエフェソスでディアーナと混同された。アルテミスは大熊座をはじめ、多くの動物星座をつくった女神でもある (そこに狩猟神の姿が投影する)。

■ディアーナ Diana
三相一体すなわち三重神の天界の女王。月の処女神、被創造物の太母神、そして狩猟神の三相が三重化されていると言われるが、実際にはもっと多くの神人格が含まれる。最もよく知られた巡礼地はエフェソスとネミ。ルネッサンスを境に魔女の女王になったのは、古代ローマ時代にキリスト教者が計画的にしくんだものと考えられる。中世にはヨーロッパの原生林を支配した月森女神でもあった。ギリシア神ヘカテー、アルテミス、聖ブリジットも習合し、ディオーネ、ディアーナ・ネモレンシス、ディアーナ・ネモレンシス・ネメトーナ、デア・アルデンナ、デア・アブノバ、ディービカ、デヴァーナ、ジーウォナなど、各地でいろいろな名をもつ。