奥志賀高原ゴンドラリフトで予定外の空中散歩を楽しんだ後は、焼額山山頂を目指し今度こそハイキングです。見通しのきく頂上までゲレンデ脇の階段状の上り坂。時間にして15分程度なんですが、二泊三日分の着替え他が入った場違いに大きいリュックを担いでいるため、ここにきてけっこうきついです。リュックを何者かに後ろから引っ張られているような気がしました。ちょうど、おんぶしていた「こなきじじい」が石になった感じとでも言いましょうか?
石化する「こなきじじい」(「ゲゲゲ」)
元々「こなきじじい(児啼爺)」というのは、徳島県の山中に捨てられた赤ん坊が妖怪になったものだそうです。赤ん坊がどうして「じじい」になったのか?「じじい」ではないですが「ばばあ」なら長野県の千曲川の上流には「姥捨山」というのがあります。たぶん寒村の口減らしに、嬰児を山に捨てたと同様に、かつては老人をも山に捨てに行ったのではないでしょうか。嬰児や老人をおんぶして山に捨てに行く係の者は、罪悪感から背負った体がだんだんと重くなるように感じられ、それが転じて石化の妖怪伝説ができあがったのではないでしょうか。と、勝手に考察したりしました。現代では、立ち止まって少し休憩している間にも、お達者な中高年ハイカーが私を抜き去っていきます。この人たちなら捨てに行っても降りてきそうだな。と不謹慎なことを考えつつ、映画「楢山節考」の緒方拳が坂本スミ子を背負って捨てに行くシーンを思い出したりしました。この間亡くなった緒方拳は、実は母親役の坂本スミ子と同年代だったりします。
なお「姥捨山」の正式名は「冠着山」といって、天照大神が隠れた高天原の天岩戸を天手力雄命が取り除いて戸隠に運ぶ途中、この山で休憩して冠を着け直したと言われます。ここで、またまた「天岩戸」伝説。しかし天手力雄命は「天岩戸」を投げ飛ばしたとばかり聞いていましたが、高天原から遠路はるばる運んできたとは...
そして「こなきじじい」に押し潰されそうになりながらも辿り着いた山頂。その近くにあったのは池で、その名も「稚児池」と聞いて、ぎゃふん。でした。
稚児池
石化する「こなきじじい」(「ゲゲゲ」)
元々「こなきじじい(児啼爺)」というのは、徳島県の山中に捨てられた赤ん坊が妖怪になったものだそうです。赤ん坊がどうして「じじい」になったのか?「じじい」ではないですが「ばばあ」なら長野県の千曲川の上流には「姥捨山」というのがあります。たぶん寒村の口減らしに、嬰児を山に捨てたと同様に、かつては老人をも山に捨てに行ったのではないでしょうか。嬰児や老人をおんぶして山に捨てに行く係の者は、罪悪感から背負った体がだんだんと重くなるように感じられ、それが転じて石化の妖怪伝説ができあがったのではないでしょうか。と、勝手に考察したりしました。現代では、立ち止まって少し休憩している間にも、お達者な中高年ハイカーが私を抜き去っていきます。この人たちなら捨てに行っても降りてきそうだな。と不謹慎なことを考えつつ、映画「楢山節考」の緒方拳が坂本スミ子を背負って捨てに行くシーンを思い出したりしました。この間亡くなった緒方拳は、実は母親役の坂本スミ子と同年代だったりします。
なお「姥捨山」の正式名は「冠着山」といって、天照大神が隠れた高天原の天岩戸を天手力雄命が取り除いて戸隠に運ぶ途中、この山で休憩して冠を着け直したと言われます。ここで、またまた「天岩戸」伝説。しかし天手力雄命は「天岩戸」を投げ飛ばしたとばかり聞いていましたが、高天原から遠路はるばる運んできたとは...
そして「こなきじじい」に押し潰されそうになりながらも辿り着いた山頂。その近くにあったのは池で、その名も「稚児池」と聞いて、ぎゃふん。でした。
稚児池
麻生太郎のことでも書かれているのかとおもい、久しぶりにブログを拝見しましたが、本物の「こなきじじい」のことでしたか。
高天原は、このあたりと繋がっているんですか。
高天原は九州にあったという説が濃厚で、天手力雄命が天岩戸をこじ開けて、ぶっ飛ばして、それが戸隠まで飛んできたというのが通説らしいです。私は大き目の隕石がたまたま戸隠に飛んできて、大和朝廷の東日本進出の過程で、もともとあった「天岩戸」の伝説と合体させて別の伝説を作ったのではないか。と妄想しています。
天手力雄命が九州から信州まで、はるばる岩戸を運んできたという話は、その後で辻褄を合わせるために作った話のような気がします。