Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

狩野ぼたん園

2014-05-05 | Japan 非日常生活 遠征篇
Peony Garden

ゴールデンウィークの狭間のある晴れた日、群馬県の館林まで「つつじまつり」を観にでかけた。館林には「つつじヶ岡公園」という国内随一の躑躅の名所があり、館林城址に近い、その名も城沼の周りに50種以上1万株以上の躑躅が咲き誇る。「国の名勝」として名高い、その圧巻の景観を観た体験は、私のこれまでの(つまらない)「躑躅観」を根底から覆してくれた。「つつじまつり」についての報告は、日を改めることとして、今日の本題は「牡丹園」である。実は躑躅を観た帰りに、近くにある「狩野ぼたん園」という別スポットを訪れたのである。つつじヶ岡公園正門から外に出ると「躑躅を観た後は牡丹」というような看板が見つかり、矢印に従ってどんどん1kmくらい進むと「狩野ぼたん園」に行き着いた。「つつじヶ岡公園」は流石に「国の名勝」だけあって、団体バスで乗り付けた人たちも含め見物客も多い。恐らくは、私と同様に訪れた万人がそれぞれの「躑躅観」を新たにして帰途につくことだろう。それに比べて「牡丹園」の方はどうなんだろう。牡丹は中国では高貴な花として愛され、河南省洛陽では「牡丹まつり」が盛大に行われると聞いた。そのためか、私が洛陽で宿泊したホテルは「洛陽牡丹大酒店」という名だった。しかし現在の日本で、牡丹の花は決してポピュラーではないだろう。育てている人もあまりいないような気がする。この「狩野ぼたん園」の「狩野」さんは恐らくは造園業者で、たまたま躑躅とほぼ同時期に咲く牡丹の園を、「つつじまつり」に来た観光客の立寄り需要を見込んで見せているのだろう。牡丹園の開園は四月下旬~五月中旬だけと書かれていることからも窺える。(つづく)

日間賀島の夏の思い出

2013-09-12 | Japan 非日常生活 遠征篇
08月12日

興味津々。RT @TakagiSota: 瀬戸内のI島、沖縄のK島、小さな離島に集落が二つあると、互いに殺しあうほど争ったあげく、片方が片方を支配するようになる。島内限定の差別が生じるのである。他にも沢山ケースがある筈なのだが、こういう事例は島外には秘匿されるので調査は困難である


08月15日

由利島はダッシュ島。QT: 那須くらら『「困窮島」という神話 -愛媛県二神島/由利島の事例-』


09月11日

今年の夏は日間賀島の民宿に一泊した。名鉄で日間賀島行きの船が出る河和に行くまでに「阿久比」という駅があって、大江健三郎の「空の怪物アグイー」を思い出してしまった。


それから暫く行くと「上ゲ」という珍妙な名の駅があった。「アゲ」と読むようだが、「ゲ」は「ゲゲゲ」の「ゲ」を連想させる。


なかなかインパクトのある名前だ。「上ゲ」。


たった二日間の日間賀島滞在だったが、島中を歩き回った。この島には東にサンライズビーチ、西にサンセットビーチがあり、共に連絡船の船着き場があり集落がある。東西の集落通し、きっと仲が良くないのではないかと妄想した。表札を見ると同じ名前が多かった。


東西の港には、この島の特産でもある蛸のモニュメントが据えられていた。上に上げた触手が左右違うだけで、ほぼ同じデザインの赤い蛸。平等主義。島にそれぞれ一つの小中学校は島の中央に位置して、東西の集落間の干渉地帯に建てられたように思えた。



Himakajima West Port

大名古屋ビルぢング

2013-06-10 | Japan 非日常生活 遠征篇
DSCN4684

名古屋駅前の大名古屋ビルヂングが跡形なく無くなっていた。屋上に地球儀みたいなのがあったっけ。そうそう、あの「ビル「ヂ」ング」という表記を見るにつけて、ヒサヤ大黒堂の看板の赤い「ぢ」の文字や、天王寺駅近くにあった「っぢ肛門科」の看板の赤い「ぢ」の文字を思い出したものでした。



無念かまくら不登録 (新緑の候)

2013-05-02 | Japan 非日常生活 遠征篇
Fresh Verdure
妙法寺

05月01日

鎌倉で新緑を味わい躑躅の名所を観てきた。散歩するにはちょうどいい規模の都市だけど、反面他所と較べて寺社と住宅地・商業地が近接しすぎているのが不評なのかもしれない。QT: 鎌倉の世界遺産「不登録」へ、イコモス勧告に市民落胆 headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130501-…


あと鎌倉の推す「武家文化遺産」というのが外人には分かりにくいように思われる。


05月06日

世界文化遺産登録に漏れた「武家の古都・鎌倉」とは、要害的地形を示す山陵部と、その山裾や谷間などに造られた神社・寺院・遺跡などの重要な要素によって構成されている、そうだ。



「白澤」ふたたび

2013-04-30 | Japan 非日常生活 遠征篇
04月29日

テレビ見てたら「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」で、蛭子さんたちがバス待ちの時間潰しに立ち寄ったエーザイ「内藤記念くすり博物館」に、うちのブログでも取り上げた、あの幻獣「白澤」の像があった。mummymummy.blog.fc2.com/img/IMG_2209.j…



石戸蒲桜遠景

2013-03-31 | Japan 非日常生活 遠征篇
Ishito Kabazakura  石戸蒲桜

「堀ノ内」、今の住所では「今戸宿三丁目」にある東光寺石戸蒲桜は、滝沢馬琴が玄同の名で著した「玄同放言」巻ノ三に蒲桜のことを取り上げており、江戸時代にこの桜の名が既によく知られたものだったことが判る。馬琴は若き渡辺崋山に蒲桜の取材を頼み、「玄同放言」には崋山が遠近法を用いて桜の挿絵を描いている。

馬琴の道案内として「仲仙道、桶川駅の西北より、西に入りて、下石戸に至り、又屋津に至り、左へ諏訪市場に至り、堀ノ内に至る」とあり、崋山はこの道を辿って東光寺に到ったのだろう。戦国時代には石戸城が築かれた要害の地、荒川に向かった台地の果ての崖の上に東光寺はあり、後で崖下にある自然観察公園に下りてみたが、そこは人が住むにはいささか厳しい湿地帯であった。「屋津」はヤチと同義で低湿地の地名であるし、諏訪神社のある「諏訪市場」とひっくるめてこの地を「川田谷」と呼び、隣の地区も「日出谷」だから、崋山はこの低地沿いのルートを通ったに違いない。

「日出谷」よりさらに西へ進んだ高崎線を越えた「篠津」地区には「延喜式」にも名を残す「多気比売神社」があり、隣の「加納」地区には古代の製鉄所跡「宮ノ脇遺跡」がある。大和朝廷が蝦夷征伐によって生じた俘虜をこの地に移配して鉄製武器を作らせたのだろう。東光寺の近くには今戸神社があるが、これはかつての白山神社が名を改めたようである。白山・東光が揃った場所、そこはいわゆる「別所」なのかもしれない。

石戸蒲桜

2013-03-31 | Japan 非日常生活 遠征篇
Ishito Kabazakura  石戸蒲桜
石戸蒲桜

日本三大桜、つまり山高神代桜、根尾谷薄墨桜、三春滝桜の名をよく聞くが、そもそもは大正11年に国がこれらの巨桜を天然記念物に選んだことによるもの。このとき同時に、あと二本、富士宮の狩宿下馬桜と今回訪れた石戸蒲桜も天然記念物に選ばれており、三大桜と併せて日本五大桜と呼ぶらしい。山高神代桜と三春滝桜は満開のシーズンに訪れたことがあるが、どちらも花見客の数がすさまじく、三大桜の名声かくのごときかと驚いたが、今回北本駅で「石戸蒲ザクラ入口」行きのバスに乗り込んだのは僅か三人。