1週間ほど前のことだが、クライエントの都合により予定していた面談が当日になってキャンセルされたことがあった。
長年の経験から言えば、“キャンセルされること”はとくに珍しい出来事ではないし、その理由も納得せざるを得ないものだったが、正直“このときのキャンセル”は痛かった。
というのは、数日前に電話で面談の依頼を受けたとき、クライエントが希望した日時は、じつは私の都合が悪かった(予定が入っていた)のである。ところが私は、「できれば別の日のほうが……」などと曖昧な返事をしたために(これが間違いだった!)、それを聞いたクライエントが「どうしてもこの日でないとダメなのだ」と、自分の側の都合と事情を訴えてきたのだった。
それを聞かされてしまった私は、「そういうことなら仕方ないか……」という気持ちで自分の予定を変更して、この面談を引き受けるという成り行きになってしまったのである。
普段の私だったら、「自分の都合を曲げて相手の都合に合わせる」などという行為は絶対にやらないのだが、このような間違いを犯してしまったのには背景があった。
というのは、この面談依頼を受ける前に、すでにこのクライエントとは電話で1時間のカウンセリングを経験していたのだ。したがって私は、この人が今、“どの程度の精神的危機状態にあるか”を私なりにわかっていただけでなく、“手応えのようなもの”(とは言っても、「この人とだったらカウンセリング関係を作ることができるかな?」という程度の感触だが)を感じていたのである。
それが私に“曖昧な返事をする”という間違いを起こさせたのだった。
キャンセルの電話を受けた瞬間、「なんだよ。こっちは自分の予定を変更したのに。今日一日が無駄になったじゃないか!(怒)」と、恨みに近い否定的な感情が生じた。
が、少し冷静になってからよく考えてみたところ、相手を恨むのは「お門違いである」ことに気が付いた。と同時に「あ、我が出たんだ!」と悟った。
クライエントから希望の日時を聞いたとき、私が“曖昧な返事をした”のは、「どうしてもこの人とカウンセリングを続けたい!」という強い思いが背後にあったからであり、その“強い思い”は私の我欲であったことに気が付いたのだった。
一般的に言って“カウンセラーを志す人”というのは、人に対して“やさしい”人物が大半だろうと想像するが、下手をするとこの“やさしさ”は、カウンセリング関係を破壊することにもつながりかねない。
上述の私の経験が物語っているように、カウンセラーの“やさしさ”がクライエントによって“裏切られた”とき、それはクライエントに対する失望と恨みに変容するのである。そして不幸にもカウンセラーがそのような否定的感情を相手に対して抱いていたなら、カウンセリング関係など成立するはずがないであろう。
これはロジャーズが言う「時間の制限」の問題そのものであるが、私はこの経験を通してあらためて「時間の制限」を含めた「制限」の重要性を痛感し、再認識させられたのだった。
長年の経験から言えば、“キャンセルされること”はとくに珍しい出来事ではないし、その理由も納得せざるを得ないものだったが、正直“このときのキャンセル”は痛かった。
というのは、数日前に電話で面談の依頼を受けたとき、クライエントが希望した日時は、じつは私の都合が悪かった(予定が入っていた)のである。ところが私は、「できれば別の日のほうが……」などと曖昧な返事をしたために(これが間違いだった!)、それを聞いたクライエントが「どうしてもこの日でないとダメなのだ」と、自分の側の都合と事情を訴えてきたのだった。
それを聞かされてしまった私は、「そういうことなら仕方ないか……」という気持ちで自分の予定を変更して、この面談を引き受けるという成り行きになってしまったのである。
普段の私だったら、「自分の都合を曲げて相手の都合に合わせる」などという行為は絶対にやらないのだが、このような間違いを犯してしまったのには背景があった。
というのは、この面談依頼を受ける前に、すでにこのクライエントとは電話で1時間のカウンセリングを経験していたのだ。したがって私は、この人が今、“どの程度の精神的危機状態にあるか”を私なりにわかっていただけでなく、“手応えのようなもの”(とは言っても、「この人とだったらカウンセリング関係を作ることができるかな?」という程度の感触だが)を感じていたのである。
それが私に“曖昧な返事をする”という間違いを起こさせたのだった。
キャンセルの電話を受けた瞬間、「なんだよ。こっちは自分の予定を変更したのに。今日一日が無駄になったじゃないか!(怒)」と、恨みに近い否定的な感情が生じた。
が、少し冷静になってからよく考えてみたところ、相手を恨むのは「お門違いである」ことに気が付いた。と同時に「あ、我が出たんだ!」と悟った。
クライエントから希望の日時を聞いたとき、私が“曖昧な返事をした”のは、「どうしてもこの人とカウンセリングを続けたい!」という強い思いが背後にあったからであり、その“強い思い”は私の我欲であったことに気が付いたのだった。
一般的に言って“カウンセラーを志す人”というのは、人に対して“やさしい”人物が大半だろうと想像するが、下手をするとこの“やさしさ”は、カウンセリング関係を破壊することにもつながりかねない。
上述の私の経験が物語っているように、カウンセラーの“やさしさ”がクライエントによって“裏切られた”とき、それはクライエントに対する失望と恨みに変容するのである。そして不幸にもカウンセラーがそのような否定的感情を相手に対して抱いていたなら、カウンセリング関係など成立するはずがないであろう。
これはロジャーズが言う「時間の制限」の問題そのものであるが、私はこの経験を通してあらためて「時間の制限」を含めた「制限」の重要性を痛感し、再認識させられたのだった。