★tomoe-母のクモ膜下出血闘病日記

元気だったお母ちゃんが2004年2月17日突然倒れた。クモ膜下出血。家族の事、インターネットでできた事。体験談など。

大丈夫なんよ

2005年10月29日 | 家族の気持ち&行動
ごめんなさい。ヘンな記事をUPしたので
へこむことって何があったん?て
だんなから電話がありました。

すみません。小さなことで憤慨しただけで
後から思えばつまんないことに
こだわった私がバカだったんです。

大丈夫。元気元気ですよん★

今日、高校の親友いもちゃんから内祝い(すぎの店のポインセチア)が届きました。
先週はうえちゃんから時計が届いたし、けっこうハッピーに過ごしています。

7歳の時

2005年10月29日 | 家族の気持ち&行動
このエピソードブログで書いたことない?よね?どうだっけ?
仲良い人とかにはけっこう話してるエピソード。
ブログだから話します。
つっこまず、さらっと見てください。

私が7歳の時。
大きくなるまでぜんぜん知らなかったんだけど
お母ちゃんは難病であと半年の命!と言われたそうです。
私の小学校入学式を済ませすぐに入院>手術。

お父ちゃんは10歳の兄ちゃんと7歳の私を抱え
覚悟してたんだそう。でも毎朝かかさず
3人でお墓参りに行きました。
私たち子どもは訳も分からず、ただ
『お母ちゃんが元気になりますように』
って毎日毎日行きました。
お父ちゃんはあの時一人で抱え込んでたから?
毎日般若心経を書くことで
心を落ち着けていたらしい。

(今回の母ちゃんが倒れた時
 お兄ちゃんがみんなで般若心経を書こう!
 と言い出し、実行へと至る。)

そうしたら、半年後の検査の結果、
原因不明で完全治癒してしまったんだとか。
先生が首をかしげっぱなしだったらしい。
ウソのような本当の話です。

それ以来、子ども心に
神様とご先祖さまは絶対にいる!
と思いこんで今に至っている私なのでした。





私が頑張れた理由?

2005年10月29日 | 家族の気持ち&行動
私のお母ちゃん看病生活はまだまだ現在進行形で続いていますが
何でここまで頑張ってこれたんかな?と考えた時。うーん。

やっぱりいろんな人にお世話になってるなぁ、と思います。
友だち、だんな、家族、親戚、先生方、たくさんの人々。
頑張ることは頑張ったけど、一人で抱えこまんかった。
その日その日を頑張ってきたら今ここにいるってかんじ?
忙しくしてたらあんまりネガティブになる暇がなかった!
のが良かったかも。

あと、最初に出会った主治医がハートのある先生!
だったのが吉と出た気がします。
一般論的には『もう無理な状態』といいつつも
『でもそれは一般論で中には回復する人もいるからね』
という温かい希望のあるコトバを必ず添えてくれたので
(先生からしたら社交辞令?)だったかもなんだけど
私とお父ちゃんは『だったら絶対母ちゃんを助けてみせるー!!』
と超ポジティブシンキング二人が
周りを巻き込んで母ちゃんを支えていけたんだと思う。
私一人では絶対頑張れんかった。

あと。今だから言えるけど
神社へもご祈祷へ行き、縁のあるご先祖さまで行けるトコロは
全てお墓参りへ行って
『どうかお母ちゃんを助けてください!』
ってお願いしたりした。
そして檀家のお寺まで行って
お願いしたら、本来はそうゆう目的でお経を挙げないんだけど
と言われつつ、本堂で回復を祈る
お経をあげてくださいました。般若心経も書きました。

後日きいたんだけど、倒れる直前
お母ちゃんはこっそりお寺へ寄付をしていたらしく
そうゆう見返りのない心からした寄付も
お母ちゃん自身を助けられたのかも?
と勝手に思っていたりします。

私は特に宗教家ではないと思うけど
神様とご先祖さまはきっと何処かにいると信じているので
胸に手を当ててやってはいけないコトは
誰が見ていなくてもしないよう
心がけています。
やるべきコトしたらあとは神様におまかせしますっていつも思ってる。

そう思うように至ったエピソードはまた次に。

意識のない家族や先行きの見えない介護って大変だけど
遠い将来?先のコトは考えつつも
今日できるコト、かないそうな目標?これを日々こなしてきて
1年半たって振り返ってみたら
母ちゃん退院してて、まあぼちぼち元気になりつつあって
私もなぜか東京から名古屋へ引越してて
自分だけでなく、何かなるべくしてこうなった?
ような状態でいます。

最近はどこへいても
すぐに行動できるフットワークを大切にしてます。
やらなくちゃいけないコトはすぐ終わらせとく。
いつ何時でもお母ちゃんの所へかけつけられるように。

余った時間は名古屋ライフを楽しんでも良いよね?
と本来の私の生活も大切にするようにしています。