自分が心理学に興味を抱いたのは、中学の英語の先生が教室で騒ぐ生徒をつかまえて「わしら先生は児童心理学を勉強してきてるんだぞ」と一喝して、生意気な中学生を黙らせたことから始る。そのときの我々中学生は心理学のことなど何も知らなかったのであるが、一瞬どきんとして、腹の底まで見透かされたような気がしたのであった。
また、大学の教養部で選択した心理学では、先生が知能テストの結果を一人ずつ教授室に呼んで説明された。そのとき相手に気付かせることなくそっと褒めて極めて効果的に学生個人に自信を持たせてくれた。また、正座して座禅を組み、チーンと鳴る鉦の音にじっと聞き入るだけで高血圧が治り、その他の諸病を予防するなどと、当時の学問としての心理学では信じられないような効果を教えられたのである。小学生の時から実益主義の傾向の強かった自分としては、心理学に多大の興味を抱き、その後も関心を持ち続けたのであった。
また、自分は社会人になって潜在意識の存在に目を向けさせられた。その切っ掛けは既に30年以上も昔の話であるが、結婚する前に、婚約中の家内の父から次のようなことを尋ねられたのである。
「毛利君。近代を作った最重要の人類の発明・発見を4つ
上げるとすれば、それは何であるか知っていますか?」
自分は、即座には答えられなかった。義父は続けた。
「それはだね。アインシュタインの相対性原理。
ダーウインの進化論。それに、レーニンによる
共産主義国家の建設。最後に、フロイトによる
潜在意識の証明だよ」
アインシュタインもダーウインもレーニンも、当時の自分には得意の領域であった。しかし、フロイトの潜在意識なるものは考えたことがなかった。このときに、義父から、初めてマーフィーの「眠りながら成功する法」と言う本を読んでみなさいと薦められたのである。
この本を一読して自分は目を覚ました。この本では、潜在意識を活用することで、あらゆることが実現すると書かれていた。その後、特に会社の仕事などで悩みの多い時期には、この潜在意識の活用を実際に行い続けたのである。そして、実際にその素晴らしい効果を確認することができた。
その手順は次のとおりである。即ち、先ず願望を持つ。それを念じる。念じ続ける。潜在意識にそれを引き渡す。時間が経てば、潜在意識が作用して、いつの間にか願望を実現させていると言うのである。その後、これが自分の信念になった。現在でも、自分のものの考え方の根幹を形成している。潜在意識を信ずること。我が実益主義の性向から、すんなりと素直に消化されたのであった。
我が人生の各局面で、心理学は現実にかなり自在に駆使された。例えば、二日酔いになったときには、次のように考えて全てを潜在意識に預けた。二日酔いからムリに逃れようとしなかった。効果は抜群であった。
二日酔いになったとき
それは後の祭りだから仕方がない
まあ諦めてじっとしていることだが
治し方はある
シャンペンを飲む?
サウナに入る?
それは姑息な手段と言うものだ
立ち向かう方法はただ一つ
断固として二日酔いは存在しないと信じることだ
そして1日をいつもの通り過ごすことだ
やがて夕暮れになって
すべて前日どおりに為し終えたとき
二日酔いが克服できたことを知る
そもそも二日酔いなどなかったことを実感する
自業自得とは言え
その苦しみを自己の意思の力で解決する
何と素晴らしいことではないか
二日酔いだけの話?
人生のあらゆる局面で応用が利く至高の心理学
意思の力で解決できることは多い
普段の生活でも心理学を縦横無尽に使った。考え方は下記のとおりだ。意識して思う心が潜在意識に教え込むのである。このような考えは、ポジティブに生きるために非常に役に立った。
笑うから陽気になる
年だと思うから老ける
涙を流すから悲しくなる
頭が痛いと思から痛くなる
若いと思うから無理も利く
失敗すると思うから失敗する
病に逃げ込むから病気になる
しんどいと思うからしんどくなる
負けても良いと思うから負ける
上手く行くと思うから上手く行く
ここまでと思うから其処までとなる
怠けてよいと思うから怠けておれる
まあいいかと思うから中途半端となる
死んでも良いと思うから寿命が尽きる
終わっても良いと思うから終わってしまう
パットする前に入らぬと思うから入らない
風邪を引いても良いと思うから風邪を引く
ショットの前に嫌な予感を許すからOBとなる
何もしなくても良いと思うから何もする気がなくなる
考えてみれば世の中すべて自分の思い通りとなっている
一体全体何を好んで悪い結果を引き寄せる必要があろうか
この世は常に良いことを考えれば好いことが起きる世界なのだ
最近、子供の教育で取り上げられることの多いピグマリオン効果なるものも、これを常に意識することで大いに役に立った。会社でも部下を効果的に動機付け、育成するためには、叱るより誉めろということである。
上司が部下を素晴らしいと思い込むと
それだけで部下は育つ
素晴らしい部下には好い仕事を与え
よく思うから部下を厚遇し
好いアドバイスをし よく耳を傾ける
部下はそれに反応してすくすくと育つ
上司はさらに思い込みを強化し
部下は自信を持って積極的に振舞い
成果を上げる
人はよくなると益々良くなる
善循環である
上司が部下をダメだと思い込むと
それだけで部下はダメな部下に育つ
ダメな部下には価値の低い仕事を与え
ダメだと思うから部下を軽視し
口を利かず 耳も傾けない
部下はそれに反応して徐々にやる気をなくす
上司はさらに思い込みを強化し
自信をなくした部下は末席に座り続け
成果への達成意欲を喪失する
人は悪くなると益々悪くなる
悪循環である
気の毒だが
上司の最初の思い込みが勝負を分ける
部下からスタートする諸君の人生の分かれ道がここにある!
そうと分れば 諸君!
積極的に活動することを始めよ!
わが身の運命を他者に任せていてはアブナイ!
自ら考え 自らの意志で 善循環の輪に飛び込むことを始めよ!
最後に、人間生きている限り病気は避けられない。しかし、心の持ちようによって病気にならないか、なっても軽微に済むと思われる。健康心理学と言う分野があるが、この方面でも、かなり若い頃から以下のような考え方をしていた。
病気は心から起こります
心がそれを受け入れるからです
時には無意識の心がそれを望むことさえあります
病気とは病気で一杯になった不健全な心の絵の影です
病気など自分を害し傷つけるものを信ずることは愚劣です
健康であることが正常です
病気であることが異常です
11ヶ月に一度身体はすっかりと作り直されるのです
自然に健康な肉体に変わるのです
自分の完全なる健康を信じてください
病気を根本的に治すのは医者ではなく心です
病気が一番偉い医者であったと気が付けば病気は終わります
最後の最後に不幸にして病気になってしまったら、次のように考えようではないか。
病気のおかげで
自分の人生をより価値あるものにできれば
病気も立派な存在である
病気になったことで友情の存在を知り
友人が価値あるものだと知るキッカケになれば
その病気は何よりも価値が高い
病気になったことで家族のキズナが深まり
より親密な愛情を共有することになれば
その病気にはずいぶんと感謝しなければならぬ
病気になったことで自分自身を考え
自分自身のことがさらによく分かるようになれば
百の勉強よりも千の勉強をしたことになる
病気とて人生の一つの工程だ
病気だ 病気だと騒いで
すべての問題の根源を病気のせいにして
病気を恨んでみたところで病気が治るものでもない
病気にすべての罪を着せてそれで済むものでもない
ものは考えようだ
気分さえよければ病気であってもキミは幸せなのだ
治らぬ病気ならその病気と仲良く付き合えばいい
残りの人生を如何に楽しく暮らすか?
そのことだけを考えて残りの人生を構築すればいい
今更 なってしまった病気を悔やんでも何も始まらない
残りの人生
病気を前提に組み立てようではないか
再出発するのだ
病気と正面から対決するもよし
病気と仲良く一緒に暮らすもよし
仲良く暮らしても病気より優位に立つことを考えよ
病気とは個人と病気との心理戦だ
気持ちの上で上位に立て
負け犬になるな
病気に支配され運命を呪うだけで終わるな
不幸をバネに飛躍した人が居るが如く
病気をバネに飛躍することを考えよ
病気の諸君
人生の舵を前向きにとれ
健康な人もどうせ最後にはみな死ぬ運命だ
病気とて考え方一つでよい方向に向かうものだ
身の不幸を嘆いているだけでは何も始まらんのだ
自分とて、これまでの半生の過程で、長時間労働の激務や精神的なストレスから、うつ病を発症しかけたり、過労自殺の瀬戸際かもしれない精神的な危機に落ち込んだりした心当たりの一つや二つもないことはない。しかし、先に書いたような実益的な心理学を自らに適用しながら過ごしたお陰で、ずいぶんと救われたのである。心理学と言っても、専ら暗示の効果を信じ、それを実生活に応用するだけのことであり、打算的な下心が丸見えであった。理論も何もなく、経験的に実践していただけで、賢ぶった物言いは何一つ出来ないが、大変な実益があったことだけは間違いない。
最後に、自分はマズローの唱えた欲求5段階説の中で、生存や安定の欲求など低位の欲求については、これまでのところ、ほとんど心配無用の幸せな人生を送ることが出来た。しかも自分の関心事をずっと最高位の自己実現の欲求におくことができた。この自己実現については、自分の年齢に関係なく、これからもまだまだ主要な欲求として追求し続けたいものである。
多くの人々が加齢とともに夢を失い、マズローの5段階の坂道を転げ落ちていくように見えるのは残念なことだ。最終的に、最下層の生存の欲求レベルにまで落ち込んで、そこで呻き声を上げながら終末期を迎える老人も多い。しかし、少なくとも自分は、死ぬまで自己実現の欲求を指向して残りの人生を歩んで行きたいと、毎日のように思いを新たにしている。


また、大学の教養部で選択した心理学では、先生が知能テストの結果を一人ずつ教授室に呼んで説明された。そのとき相手に気付かせることなくそっと褒めて極めて効果的に学生個人に自信を持たせてくれた。また、正座して座禅を組み、チーンと鳴る鉦の音にじっと聞き入るだけで高血圧が治り、その他の諸病を予防するなどと、当時の学問としての心理学では信じられないような効果を教えられたのである。小学生の時から実益主義の傾向の強かった自分としては、心理学に多大の興味を抱き、その後も関心を持ち続けたのであった。
また、自分は社会人になって潜在意識の存在に目を向けさせられた。その切っ掛けは既に30年以上も昔の話であるが、結婚する前に、婚約中の家内の父から次のようなことを尋ねられたのである。
「毛利君。近代を作った最重要の人類の発明・発見を4つ
上げるとすれば、それは何であるか知っていますか?」
自分は、即座には答えられなかった。義父は続けた。
「それはだね。アインシュタインの相対性原理。
ダーウインの進化論。それに、レーニンによる
共産主義国家の建設。最後に、フロイトによる
潜在意識の証明だよ」
アインシュタインもダーウインもレーニンも、当時の自分には得意の領域であった。しかし、フロイトの潜在意識なるものは考えたことがなかった。このときに、義父から、初めてマーフィーの「眠りながら成功する法」と言う本を読んでみなさいと薦められたのである。
この本を一読して自分は目を覚ました。この本では、潜在意識を活用することで、あらゆることが実現すると書かれていた。その後、特に会社の仕事などで悩みの多い時期には、この潜在意識の活用を実際に行い続けたのである。そして、実際にその素晴らしい効果を確認することができた。
その手順は次のとおりである。即ち、先ず願望を持つ。それを念じる。念じ続ける。潜在意識にそれを引き渡す。時間が経てば、潜在意識が作用して、いつの間にか願望を実現させていると言うのである。その後、これが自分の信念になった。現在でも、自分のものの考え方の根幹を形成している。潜在意識を信ずること。我が実益主義の性向から、すんなりと素直に消化されたのであった。
我が人生の各局面で、心理学は現実にかなり自在に駆使された。例えば、二日酔いになったときには、次のように考えて全てを潜在意識に預けた。二日酔いからムリに逃れようとしなかった。効果は抜群であった。
二日酔いになったとき
それは後の祭りだから仕方がない
まあ諦めてじっとしていることだが
治し方はある
シャンペンを飲む?
サウナに入る?
それは姑息な手段と言うものだ
立ち向かう方法はただ一つ
断固として二日酔いは存在しないと信じることだ
そして1日をいつもの通り過ごすことだ
やがて夕暮れになって
すべて前日どおりに為し終えたとき
二日酔いが克服できたことを知る
そもそも二日酔いなどなかったことを実感する
自業自得とは言え
その苦しみを自己の意思の力で解決する
何と素晴らしいことではないか
二日酔いだけの話?
人生のあらゆる局面で応用が利く至高の心理学
意思の力で解決できることは多い
普段の生活でも心理学を縦横無尽に使った。考え方は下記のとおりだ。意識して思う心が潜在意識に教え込むのである。このような考えは、ポジティブに生きるために非常に役に立った。
笑うから陽気になる
年だと思うから老ける
涙を流すから悲しくなる
頭が痛いと思から痛くなる
若いと思うから無理も利く
失敗すると思うから失敗する
病に逃げ込むから病気になる
しんどいと思うからしんどくなる
負けても良いと思うから負ける
上手く行くと思うから上手く行く
ここまでと思うから其処までとなる
怠けてよいと思うから怠けておれる
まあいいかと思うから中途半端となる
死んでも良いと思うから寿命が尽きる
終わっても良いと思うから終わってしまう
パットする前に入らぬと思うから入らない
風邪を引いても良いと思うから風邪を引く
ショットの前に嫌な予感を許すからOBとなる
何もしなくても良いと思うから何もする気がなくなる
考えてみれば世の中すべて自分の思い通りとなっている
一体全体何を好んで悪い結果を引き寄せる必要があろうか
この世は常に良いことを考えれば好いことが起きる世界なのだ
最近、子供の教育で取り上げられることの多いピグマリオン効果なるものも、これを常に意識することで大いに役に立った。会社でも部下を効果的に動機付け、育成するためには、叱るより誉めろということである。
上司が部下を素晴らしいと思い込むと
それだけで部下は育つ
素晴らしい部下には好い仕事を与え
よく思うから部下を厚遇し
好いアドバイスをし よく耳を傾ける
部下はそれに反応してすくすくと育つ
上司はさらに思い込みを強化し
部下は自信を持って積極的に振舞い
成果を上げる
人はよくなると益々良くなる
善循環である
上司が部下をダメだと思い込むと
それだけで部下はダメな部下に育つ
ダメな部下には価値の低い仕事を与え
ダメだと思うから部下を軽視し
口を利かず 耳も傾けない
部下はそれに反応して徐々にやる気をなくす
上司はさらに思い込みを強化し
自信をなくした部下は末席に座り続け
成果への達成意欲を喪失する
人は悪くなると益々悪くなる
悪循環である
気の毒だが
上司の最初の思い込みが勝負を分ける
部下からスタートする諸君の人生の分かれ道がここにある!
そうと分れば 諸君!
積極的に活動することを始めよ!
わが身の運命を他者に任せていてはアブナイ!
自ら考え 自らの意志で 善循環の輪に飛び込むことを始めよ!
最後に、人間生きている限り病気は避けられない。しかし、心の持ちようによって病気にならないか、なっても軽微に済むと思われる。健康心理学と言う分野があるが、この方面でも、かなり若い頃から以下のような考え方をしていた。
病気は心から起こります
心がそれを受け入れるからです
時には無意識の心がそれを望むことさえあります
病気とは病気で一杯になった不健全な心の絵の影です
病気など自分を害し傷つけるものを信ずることは愚劣です
健康であることが正常です
病気であることが異常です
11ヶ月に一度身体はすっかりと作り直されるのです
自然に健康な肉体に変わるのです
自分の完全なる健康を信じてください
病気を根本的に治すのは医者ではなく心です
病気が一番偉い医者であったと気が付けば病気は終わります
最後の最後に不幸にして病気になってしまったら、次のように考えようではないか。
病気のおかげで
自分の人生をより価値あるものにできれば
病気も立派な存在である
病気になったことで友情の存在を知り
友人が価値あるものだと知るキッカケになれば
その病気は何よりも価値が高い
病気になったことで家族のキズナが深まり
より親密な愛情を共有することになれば
その病気にはずいぶんと感謝しなければならぬ
病気になったことで自分自身を考え
自分自身のことがさらによく分かるようになれば
百の勉強よりも千の勉強をしたことになる
病気とて人生の一つの工程だ
病気だ 病気だと騒いで
すべての問題の根源を病気のせいにして
病気を恨んでみたところで病気が治るものでもない
病気にすべての罪を着せてそれで済むものでもない
ものは考えようだ
気分さえよければ病気であってもキミは幸せなのだ
治らぬ病気ならその病気と仲良く付き合えばいい
残りの人生を如何に楽しく暮らすか?
そのことだけを考えて残りの人生を構築すればいい
今更 なってしまった病気を悔やんでも何も始まらない
残りの人生
病気を前提に組み立てようではないか
再出発するのだ
病気と正面から対決するもよし
病気と仲良く一緒に暮らすもよし
仲良く暮らしても病気より優位に立つことを考えよ
病気とは個人と病気との心理戦だ
気持ちの上で上位に立て
負け犬になるな
病気に支配され運命を呪うだけで終わるな
不幸をバネに飛躍した人が居るが如く
病気をバネに飛躍することを考えよ
病気の諸君
人生の舵を前向きにとれ
健康な人もどうせ最後にはみな死ぬ運命だ
病気とて考え方一つでよい方向に向かうものだ
身の不幸を嘆いているだけでは何も始まらんのだ
自分とて、これまでの半生の過程で、長時間労働の激務や精神的なストレスから、うつ病を発症しかけたり、過労自殺の瀬戸際かもしれない精神的な危機に落ち込んだりした心当たりの一つや二つもないことはない。しかし、先に書いたような実益的な心理学を自らに適用しながら過ごしたお陰で、ずいぶんと救われたのである。心理学と言っても、専ら暗示の効果を信じ、それを実生活に応用するだけのことであり、打算的な下心が丸見えであった。理論も何もなく、経験的に実践していただけで、賢ぶった物言いは何一つ出来ないが、大変な実益があったことだけは間違いない。
最後に、自分はマズローの唱えた欲求5段階説の中で、生存や安定の欲求など低位の欲求については、これまでのところ、ほとんど心配無用の幸せな人生を送ることが出来た。しかも自分の関心事をずっと最高位の自己実現の欲求におくことができた。この自己実現については、自分の年齢に関係なく、これからもまだまだ主要な欲求として追求し続けたいものである。
多くの人々が加齢とともに夢を失い、マズローの5段階の坂道を転げ落ちていくように見えるのは残念なことだ。最終的に、最下層の生存の欲求レベルにまで落ち込んで、そこで呻き声を上げながら終末期を迎える老人も多い。しかし、少なくとも自分は、死ぬまで自己実現の欲求を指向して残りの人生を歩んで行きたいと、毎日のように思いを新たにしている。


