吉田竜ヶ谷城は埼玉県秩父市吉田久長にあります。
吉田竜ヶ谷城地図
地方道37号線で秩父市吉田久長地区に入ります。馬頭尊を過ぎてすぐに右折し、うぐいすの里に向かいます。
里の中に入り、この案内図を右手に登ります。(案内図の右上にタンクとあり)
水道用のタンクの奥に道があり山に入ります。
登って5分もせずに、東曲輪
西を見ると
東第二腰曲輪
岩尾根が続き、堀切
堀切の上に第三曲輪
岩場を過ぎて、二の丸東下曲輪
一段高く尾根が南に折れて
余湖さんはこれを曲輪1としています。この西側下に
一段低く曲輪2、土塁が堅固に周囲を守っており、こちらが本丸かもしれません。
西側には堀切
俯瞰図は「余湖くんのお城のページ」より
■久長但馬守の居跡
「増補 秩父風土記」の記述によれば矢畑庄久永村(原文ママ)の記述に「久長但馬守の居跡、小田原籠城の後御当家へ出るなり...」との記述があり、これを受けて「秩父風土記」では矢納庄久長村(原文ママ)の記述に「この村の内に馬場と云うところあり、居跡残れり、土人の口碑に久長但馬と云いし人の住しと云う然れども詳説なし」と記されています。こうした事柄からのみでは、久長氏について伝承以上の事蹟を確認するのは難しいようです。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より
吉田竜ヶ谷城地図
地方道37号線で秩父市吉田久長地区に入ります。馬頭尊を過ぎてすぐに右折し、うぐいすの里に向かいます。
里の中に入り、この案内図を右手に登ります。(案内図の右上にタンクとあり)
水道用のタンクの奥に道があり山に入ります。
登って5分もせずに、東曲輪
西を見ると
東第二腰曲輪
岩尾根が続き、堀切
堀切の上に第三曲輪
岩場を過ぎて、二の丸東下曲輪
一段高く尾根が南に折れて
余湖さんはこれを曲輪1としています。この西側下に
一段低く曲輪2、土塁が堅固に周囲を守っており、こちらが本丸かもしれません。
西側には堀切
俯瞰図は「余湖くんのお城のページ」より
■久長但馬守の居跡
「増補 秩父風土記」の記述によれば矢畑庄久永村(原文ママ)の記述に「久長但馬守の居跡、小田原籠城の後御当家へ出るなり...」との記述があり、これを受けて「秩父風土記」では矢納庄久長村(原文ママ)の記述に「この村の内に馬場と云うところあり、居跡残れり、土人の口碑に久長但馬と云いし人の住しと云う然れども詳説なし」と記されています。こうした事柄からのみでは、久長氏について伝承以上の事蹟を確認するのは難しいようです。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より