吉田竜ヶ谷城は埼玉県秩父市吉田久長にあります。
吉田竜ヶ谷城地図
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ad/f2c3b2e88fa1a0b4d1266f3bc3c6d985.jpg)
地方道37号線で秩父市吉田久長地区に入ります。馬頭尊を過ぎてすぐに右折し、うぐいすの里に向かいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/00/c5dd07cfa5c47aef3c46c61a1f4de16c.jpg)
里の中に入り、この案内図を右手に登ります。(案内図の右上にタンクとあり)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/96/fdb99ece8e72102628a6a8045dc3ecd0.jpg)
水道用のタンクの奥に道があり山に入ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/88/a2c1f26bbfe7f4194c98c4da22db6805.jpg)
登って5分もせずに、東曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/b3/7df1f4a25f6501bfb93bfaadf229e3c8.jpg)
西を見ると
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a1/6734c23a968c909fd26f16f503755d78.jpg)
東第二腰曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/97/ee4585b5ea198d8d390c7f8435afb325.jpg)
岩尾根が続き、堀切
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/45/fc47838d6a9f1f9277d58e782b7d15bd.jpg)
堀切の上に第三曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/1d/14113557ddcf5f03bfbae9af7b3d238b.jpg)
岩場を過ぎて、二の丸東下曲輪
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/a7/a70d887d0a149e56b86cef70739c57c6.jpg)
一段高く尾根が南に折れて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/e1/5571ad6c3c767ed9622f1b31b8f40d7c.jpg)
余湖さんはこれを曲輪1としています。この西側下に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/6c/07c2c9ab67d69730097ce44b6602b8ef.jpg)
一段低く曲輪2、土塁が堅固に周囲を守っており、こちらが本丸かもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/d5/7ca267755cbb659e8b7348482ee5d9fd.jpg)
西側には堀切
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/74/37e91c1af143696b267e0a0cd3ff705b.jpg)
俯瞰図は「余湖くんのお城のページ」より
■久長但馬守の居跡
「増補 秩父風土記」の記述によれば矢畑庄久永村(原文ママ)の記述に「久長但馬守の居跡、小田原籠城の後御当家へ出るなり...」との記述があり、これを受けて「秩父風土記」では矢納庄久長村(原文ママ)の記述に「この村の内に馬場と云うところあり、居跡残れり、土人の口碑に久長但馬と云いし人の住しと云う然れども詳説なし」と記されています。こうした事柄からのみでは、久長氏について伝承以上の事蹟を確認するのは難しいようです。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より
吉田竜ヶ谷城地図
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地方道37号線で秩父市吉田久長地区に入ります。馬頭尊を過ぎてすぐに右折し、うぐいすの里に向かいます。
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里の中に入り、この案内図を右手に登ります。(案内図の右上にタンクとあり)
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水道用のタンクの奥に道があり山に入ります。
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登って5分もせずに、東曲輪
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西を見ると
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東第二腰曲輪
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岩尾根が続き、堀切
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堀切の上に第三曲輪
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岩場を過ぎて、二の丸東下曲輪
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一段高く尾根が南に折れて
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余湖さんはこれを曲輪1としています。この西側下に
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一段低く曲輪2、土塁が堅固に周囲を守っており、こちらが本丸かもしれません。
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西側には堀切
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俯瞰図は「余湖くんのお城のページ」より
■久長但馬守の居跡
「増補 秩父風土記」の記述によれば矢畑庄久永村(原文ママ)の記述に「久長但馬守の居跡、小田原籠城の後御当家へ出るなり...」との記述があり、これを受けて「秩父風土記」では矢納庄久長村(原文ママ)の記述に「この村の内に馬場と云うところあり、居跡残れり、土人の口碑に久長但馬と云いし人の住しと云う然れども詳説なし」と記されています。こうした事柄からのみでは、久長氏について伝承以上の事蹟を確認するのは難しいようです。「城跡ほっつき歩記」竜ヶ谷城記事より