山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

新潟、山梨、長野、群馬、栃木、埼玉県などの埋もれた城跡を探索しております。カテゴリ「城郭一覧」で簡単にアクセス。
 

沼田城攻略(沼田市史より)

2015-03-03 20:05:29 | 歴史資料
沼田城攻略

上杉憲政を擁して三国峠を越えた長尾景虎は、九月上旬に上野国に入り沼田城を攻略している。関東への出発は八月二十九日であり、沼田までの経路は明らかではないが、春日山から飯山を経て信濃川に沿って進み、三国峠を越えて上野に入り、利根郡西入り(新治村から月夜野町にかけての赤谷川沿いの地方)を経て最初の目標である沼田に到着したと推定される。
 宮野城は新治村猿ヶ京字宮野の城山にある戦国時代の城郭である。越後から上野への玄関に位置するこの城を「関東の大手」と称して、上杉氏は重要戦略拠点としている。「加沢記」


宮野城地図
宮野城は赤谷湖に突き出した地に構築されており、攻めるには北側からしかなく、そこで二本の大きな空堀で守られていました。

この地を猿ヶ京と呼ばれるに至った理由を、次のように記している。「加沢記」
吾妻郡宮野の郷・猿ヶ京の城は、関東の大手ならばとて御一族栗林肥前守に尻高左馬介を相添えてそ置かれけり、そもそも此の要害と申すは、先年(永禄三年)謙信公初めて関東へ出張之時、構え給わる要害に一宿し給いその夜の御夢を家臣直江山城守を召し語り給うは、大きな殿中にて七五三の美膳でもてなされたが、口中何ともなしに歯欠けたり、怪しく思いて手の内に吐き出して見、これをあらためるに八枚欠け落ち持ち手のうちに持ち足ると見て夢は覚めたれと、(中略)直江謹んで申されるは、さてもめでたき御夢想かな、関八州をかたはし御手に入る御夢想也と申されければ、景虎公を始め伺候の人々一統感じて御祝あり、謙信のたまいけるは今年庚申の年、今日また庚申の日なり、我も申年生まれ也、偏にもって宜しき門出の祝いの郷なればとて、その名を改めんとのたまいて、宮野を引き換えて猿ヶ京とそ付けられたり。

長尾景虎は、享禄三年(1530)正月二十一日越後守護代長尾為景の子として生まれ、生年の干支庚虎にちなみ幼名を虎千代といい、元服して景虎と称している。寅年生まれであり、猿ヶ京の命名の記事と一致しない。しかし、沼田城を攻撃する前に、猿ヶ京の城を占拠したことの可能性は高い。

今後、謙信の上野国進出について取り上げてゆきます

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。