小柏氏は上州藤岡上日野に居館をもって勢力を張っていました。
小柏氏居館地図
地方道71号線で小柏地区に入る手前に、斜め右上に入る道があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/68/eddba600b0ee623e7ac6ea33bcb53b8c.jpg)
バス停小柏から右手の道に入ります。狭い道です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/ba/68a6007d4db35d2c4efc19bac67ff996.jpg)
雑草が繁茂していますが居館跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/58/cb9f54c1f7559ec24d57b80e68a70fe3.jpg)
居館跡から西に200mくらい進むと記念碑がたてられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/ee/c6bc763013d2322b1da48d4c3c46b88f.jpg)
系図と小柏氏の平家一門の出自が記載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/cd/c39ddcce20c05905ed93b11507c7ca6b.jpg)
小柏氏は清盛の嫡男重盛の子維盛の子惟基を祖としています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/85/46faf7d1866ea87ee144cc21539c0a59.jpg)
アップすると横になってしまい、読みずらくてすみません。要約では源平の大乱の後、鎌倉幕府の追及の手を逃れて、この小柏の地に隠れたとのこと。重盛の小松姓を変えて小柏と名乗ったという。貞治六年(1367)小柏重家が西御荷鉾山の北麓に鼠喰城(そくい)を築き、また鬼石から西に県道177号線を進むと妹ヶ谷という地域になり、ここは日野小柏氏の妹竹野が嫁ぎ分家された。この地は妹ヶ谷城址がある。その後小柏高家が上杉憲実に従い、永享の乱に参戦し戦功をあげている。 戦国時代には平井城の上杉憲政が越後に逃れてからは、武田信玄に従い、勝頼の時、小柏定重は小幡信貞に属して長篠の戦に参戦し討死したと伝えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/65/b586f2d91d7da796e84d770a9ebbcf6c.jpg)
縄張り図は「群馬県古城塁祉の研究」下巻、この図で左端に孤塁があり、ここに累代の墓地があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/e1/e8b678e31b664c11c81286eb13187934.jpg)
墓石の形から当代のものと思います。
近日、小柏氏の関連で鼠喰城・妹ヶ谷城を紹介してゆきます。
小柏氏居館地図
地方道71号線で小柏地区に入る手前に、斜め右上に入る道があります。
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バス停小柏から右手の道に入ります。狭い道です。
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雑草が繁茂していますが居館跡です。
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居館跡から西に200mくらい進むと記念碑がたてられています。
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系図と小柏氏の平家一門の出自が記載されています。
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小柏氏は清盛の嫡男重盛の子維盛の子惟基を祖としています。
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アップすると横になってしまい、読みずらくてすみません。要約では源平の大乱の後、鎌倉幕府の追及の手を逃れて、この小柏の地に隠れたとのこと。重盛の小松姓を変えて小柏と名乗ったという。貞治六年(1367)小柏重家が西御荷鉾山の北麓に鼠喰城(そくい)を築き、また鬼石から西に県道177号線を進むと妹ヶ谷という地域になり、ここは日野小柏氏の妹竹野が嫁ぎ分家された。この地は妹ヶ谷城址がある。その後小柏高家が上杉憲実に従い、永享の乱に参戦し戦功をあげている。 戦国時代には平井城の上杉憲政が越後に逃れてからは、武田信玄に従い、勝頼の時、小柏定重は小幡信貞に属して長篠の戦に参戦し討死したと伝えられています。
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縄張り図は「群馬県古城塁祉の研究」下巻、この図で左端に孤塁があり、ここに累代の墓地があります。
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墓石の形から当代のものと思います。
近日、小柏氏の関連で鼠喰城・妹ヶ谷城を紹介してゆきます。