山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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花沢城址・今川義元の愛刀(静岡新聞記事)

2018-02-25 22:52:13 | 日記
花沢城址

戦国の山城、花沢城跡を調査・保存へ 焼津市方針
(2018/2/11 08:22)


高草山南東部の丘陵上にある花沢城跡=2017年3月、焼津市高崎地区
 焼津市は10日までに、戦国時代に今川氏が築いた山城「花沢城」(同市高崎地区)の城跡整備事業に取り組む方針を固めた。2018年度から3カ年計画で発掘調査を進め、城跡を保存し国重要伝統的建造物群保存地区の花沢地区と合わせて歴史的景観を整えて、交流人口の拡大を狙う。
 花沢城跡は高草山南東部に位置する標高141メートルの独立丘陵上にあり、今川氏が駿府の西の守りとして築いた。築城時期は定かでないが、武田信玄の駿府侵攻時に激戦地となったことで有名。
 18年度予算案には、一の曲輪(くるわ)と二の曲輪の間にあった堀を発掘調査する費用など約300万円を計上する見込み。今川氏の山城は、多くが武田氏や徳川氏などによって改変されたが、花沢城の曲輪は築城当初のまま残っている貴重な事例と考えられている。同市文化財課の担当者は「今回の調査で今川氏が築いた山城の全体像について、“物証”が得られるかもしれない」と期待する。
 花沢城址は私有地だが、市は歴史愛好家やハイカーらの立ち入りについて所有者から既に許可を得ている。今後は登城ルートの整備や案内看板の設置なども進める計画で、同担当者は「埋もれている文化財を保護しながら活用を図り、花沢地区と一体的な観光拠点にしたい」意欲を示す。


今川義元の愛刀


今川義元の愛刀を現代に 生誕500年へ復元事業始動
(2018/2/9 09:19)


内田義基さん(左)が取り出した玉鋼を大づちを使ってたたく春風亭昇太さん=8日午後、富士宮市人穴
 来年生誕500年の節目を迎える静岡県ゆかりの戦国武将今川義元の愛刀で、国の重要文化財「義元左文字」を作刀当初の姿でよみがえらせる取り組みが、富士市の刀鍛冶、内田義基さん(48)らの手で始まった。富士宮市にある内田さんの作業場に8日、昨年の大河ドラマで義元役を演じた静岡市出身の落語家春風亭昇太さん(58)が訪れ、始まりのつち入れ式を行った。
 義元左文字は桶狭間の戦いで義元が討たれた際、織田信長の手に渡り、太刀を磨いて短くし、腰に差す打ち刀とした。その後は豊臣秀吉、徳川家康と天下人に継承され、明治期に徳川家から京都市の建勲神社に奉納され、現在に至る。
 復元プロジェクトは内田さんの知人で、富士宮市の会社員佐野翔平さん(27)が「義元の功績を若い世代にも広めるきっかけに」と発案。現存の刃長は67センチだが、義元が愛した2尺6寸(約80センチ)の太刀を打つ。つばなどの外装品は、東京都の刀鍛冶、水木良光さん(35)が制作する。名誉顧問には今川氏の研究で知られる小和田哲男静岡大名誉教授が就いた。
 内田さんは「字は違うが、自分と同じ名の義元公は憧れの存在。史料が少なく容易ではないが、心を込めて作りたい」と話し、プロジェクト名誉会長を務める昇太さんは「信長に奪われた名刀の魂だけでも静岡に取り戻したい」と待ちわびる。
 刀剣を擬人化したオンラインゲーム「刀剣乱舞」の影響で、若い世代の刀剣ファンが急増している。同ゲームには義元左文字も「宗三左文字」の名で登場する。太刀の復元は、来年5月の完成を目指し、県内の義元ゆかりの場所に奉納することを検討している。

 <メモ>義元左文字(よしもとさもんじ) 約620~680年前の南北朝時代、筑前国(現在の福岡県)で作刀された。戦国武将三好政長(宗三)が所持し、宗三左文字や三好左文字とも呼ばれる。武田信虎を経て今川義元に伝わった。後に手にした徳川家康は、大阪の陣で帯刀したとされる。1657年の明暦の大火で火をかぶって再刃された。太刀当初の姿はとどめない。静岡新聞記事より

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