山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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中城

2018-08-15 20:27:28 | 山城ー武州
中城は埼玉県小川町大塚にあります。

中城地図

国道254号線で農協前の信号の北100mくらいの町道を左折すると図書館があります。ここに駐車して西に歩いてゆくと春日会館への登り道があり、テニスコートも城内です。

私は春日会館側から入らず、西側の狭い町道から丘陵地にある中城を訪問しました。

春日会館側は仙覚律師遺跡碑とあるかもしれません。

城壁を登り

内側は空堀によって囲み二重土塁となっています。

本丸北曲輪

西の虎口

北曲輪から城壁を見ています。

虎口から入ると、二重堀から本丸へ入ることができます。

土塁の西先端部にお堂がありますが、櫓台と思われます。

本丸、右手のテニスコートがなければ立派な遺構であったのに残念です。

次回 空堀を一周いたします。

歴史
凸武州松山城主上田氏の城郭か
 「新編武蔵風土記稿」の増尾村古城蹟の項に「村の小名中條にあり、四方二町ばかりの地にて、から堀の蹟所々に残り、また櫓の跡なりとて小高き所あり、その辺今は杉の林なりたれど、城蹟のさま疑ふべくもあらず、土人の伝へに猿尾太郎種直が居城なりといへど、何人の枝属にて、何の時代の人と云うことは伝えざれば詳ならず」と記されています。なお、この猿尾氏については源義経の家臣であったという伝承も存在するようですが、その真偽は詳らかではありません。また、建武年間(1334-1336)には斎藤六左衛門重範が居城したとの口碑も伝わっているようですが同様にその詳細は不明なようです。
 さらに、文明6年(1474年)の太田道潅の書状に「上田上野介在郷の地、小河に一宿仕り候ところ」(「文明12年(1480)11月28日 太田道灌書状写」より)と記されており、梅沢氏の著書である「中世北武蔵の城」などによれば、1980年11月に実施された発掘調査の成果とあわせて、これを中城の地であろうと比定しています。こうしたことを踏まえ「小川町の歴史 資料編1考古」(小川町/1999編集発行)では、その構造・出土物などから築城時期を15世紀後半と捉えると共に、上田氏の本拠地とされる安戸・御堂へのルート上にあたることから、武州松山城とも関わりの深い上田氏関連の城郭であることを示唆しています。
 なお「新編武蔵風土記稿」大塚村の項によれば、近世の元禄11年(1698)i旗本金田丹波守の陣屋が置かれたことから、現在でも陣屋台との呼称が残されているとのことです。「城跡ほっつき歩記」小頭@和平氏ブログより






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