この名前、なんとお読みくださるでござろうか?
チチキノコサシ=ちょっとかすっても誤答でござる。
これはチダケザシという名前の花なのでござる。
ユキノシタ科チダケザシ属に分類されているのでござる。
チダケザシ属はアスチルベというのでござる。
となると、園芸好きなお方には察しがお着きでござろう。
左様でござる。
園芸店で売っているアスチルベと同じなのでござる。
あれは、濃色から白までいろいろと品種や園芸名があるのでござるが、これはただ薄いピンクでチダケザシの名前だけなのでござる。
されどなんら変わるところは無いのでござる。
片やアスチルベという事で何百円の値段がついて店頭に並び、片やチダケザシとして畦の草と一緒に刈り倒されるのでござる。
エライ違いでござるな。
なんとなく拙者を見ているようなところがあったりするのでござる。
貧乏人の僻みでござろうかな。
今、富士山の宝永の噴火に関しての小説を睡眠薬代わりに読んでいるのでござる。
今の霞ヶ関がそのまま江戸時代にスリップした感じでござるな。
逆でござるかな?
江戸時代の幕府が霞ヶ関へ来たのでござろうかな。
官僚根性と権力闘争は、現代となんら変わるところが無いのでござるな。
人脈からの出世があり、血縁からのポット出があり、賂が横行し、身の保全にだけ政治を使い、自らが税金を着服し・・・でござる。
そこに生きる身分こそ武士の次に来る農民でござるが、商人の儲けのための餌にされ、武士の餌にもされるのでござる。
挙句の果てが亡民として飢え死にの道があるだけという、なんともいえぬものでござる。
これが江戸時代の話でござるが、明治になっても渋谷定輔氏の書かれた「農民哀史」を読むと、なんら変わるところが無いのでござる。
農民に関しては、それが下層へいけばいくほど、江戸時代も明治も大正もさらに昭和も変わらぬのでござるな。
搾取と収奪をされる立場は、いつの時代も下層の人間と決まっているようでござる。
そうなると、親は子を勉強させて霞ヶ関へ送り込んでやりたいものでござるな。
でっかい会社へ入れたいものでござるな。
収奪されるよりは収奪や搾取をする側の方が良いと思うものでござるな。
学校では、「夢を持て」とか「希望はでっかく持て」とか聞かされた記憶がござる。
その時はそう思いもし、最近までそう思っていたのでござるが、「それは太閤記の世界でござろうかな?」と思う次第でござる。
下克上で、人を戦で殺す手段があればこそ太閤記が成り立つのでござるな。
太閤記にしろ、太平記にしろ、いろいろと書き物がござるが、下層の人間の事をかかれたものはトンと見られぬのでござる。
必ず「立身出世」があるのでござるな。
そうでなければドラマにならぬのかも知れぬのでござる。
学生のときに友人に見せられた写真は、とんでもなく衝撃でござった。
中国大陸での日中戦争で、日本軍の将校(軍刀を持っているのは将校だけ)が、中国人の首をはねているところの写真なのでござる。
写真には、宙に浮いた首と吹き出した血が噴水の如くに写っているのでござった。
別の友人の父親の話では、召集されて即席の訓練を受け、二等兵として中国へ輸送船で上陸後、最初にさされた仕事の事でござる。
『クウニャン狩り』なるものとの事でござる。
トラックへ街を歩いている中国の若い女性を捕まえて放り込み、軍の慰安婦にするということでござった。
その邪魔をするものは射殺があるのみで、抵抗の激しい娘は強姦して殺してしまうということでござった。
その方は、それを見て「この戦争は負けた」と思ったとの事でござる。
拙者のいいたいのは、「その最下層とされている人々にも生活があり愛情がありということでドラマがあり、命がある」でござる。
記録されたり歴史の表に出ないところにこそ、とんでもなく大きな歴史があり、人が生きているのではなかろうかという事でござる。
拙者の在所でこんな事をいうと、「こいつは赤だ」とかいろいろと言われるのでござるような・・・。
赤でもピンクでもドドメ色でもいいのでござるが、それを言うのが同じような人たちでござるから面白い仕組みでござる。
淡いピンクのチダケザシの話が、赤い色の話になったので話が戻ったということでござるな。
というところで、「明日の心だ!」
チチキノコサシ=ちょっとかすっても誤答でござる。
これはチダケザシという名前の花なのでござる。
ユキノシタ科チダケザシ属に分類されているのでござる。
チダケザシ属はアスチルベというのでござる。
となると、園芸好きなお方には察しがお着きでござろう。
左様でござる。
園芸店で売っているアスチルベと同じなのでござる。
あれは、濃色から白までいろいろと品種や園芸名があるのでござるが、これはただ薄いピンクでチダケザシの名前だけなのでござる。
されどなんら変わるところは無いのでござる。
片やアスチルベという事で何百円の値段がついて店頭に並び、片やチダケザシとして畦の草と一緒に刈り倒されるのでござる。
エライ違いでござるな。
なんとなく拙者を見ているようなところがあったりするのでござる。
貧乏人の僻みでござろうかな。
今、富士山の宝永の噴火に関しての小説を睡眠薬代わりに読んでいるのでござる。
今の霞ヶ関がそのまま江戸時代にスリップした感じでござるな。
逆でござるかな?
江戸時代の幕府が霞ヶ関へ来たのでござろうかな。
官僚根性と権力闘争は、現代となんら変わるところが無いのでござるな。
人脈からの出世があり、血縁からのポット出があり、賂が横行し、身の保全にだけ政治を使い、自らが税金を着服し・・・でござる。
そこに生きる身分こそ武士の次に来る農民でござるが、商人の儲けのための餌にされ、武士の餌にもされるのでござる。
挙句の果てが亡民として飢え死にの道があるだけという、なんともいえぬものでござる。
これが江戸時代の話でござるが、明治になっても渋谷定輔氏の書かれた「農民哀史」を読むと、なんら変わるところが無いのでござる。
農民に関しては、それが下層へいけばいくほど、江戸時代も明治も大正もさらに昭和も変わらぬのでござるな。
搾取と収奪をされる立場は、いつの時代も下層の人間と決まっているようでござる。
そうなると、親は子を勉強させて霞ヶ関へ送り込んでやりたいものでござるな。
でっかい会社へ入れたいものでござるな。
収奪されるよりは収奪や搾取をする側の方が良いと思うものでござるな。
学校では、「夢を持て」とか「希望はでっかく持て」とか聞かされた記憶がござる。
その時はそう思いもし、最近までそう思っていたのでござるが、「それは太閤記の世界でござろうかな?」と思う次第でござる。
下克上で、人を戦で殺す手段があればこそ太閤記が成り立つのでござるな。
太閤記にしろ、太平記にしろ、いろいろと書き物がござるが、下層の人間の事をかかれたものはトンと見られぬのでござる。
必ず「立身出世」があるのでござるな。
そうでなければドラマにならぬのかも知れぬのでござる。
学生のときに友人に見せられた写真は、とんでもなく衝撃でござった。
中国大陸での日中戦争で、日本軍の将校(軍刀を持っているのは将校だけ)が、中国人の首をはねているところの写真なのでござる。
写真には、宙に浮いた首と吹き出した血が噴水の如くに写っているのでござった。
別の友人の父親の話では、召集されて即席の訓練を受け、二等兵として中国へ輸送船で上陸後、最初にさされた仕事の事でござる。
『クウニャン狩り』なるものとの事でござる。
トラックへ街を歩いている中国の若い女性を捕まえて放り込み、軍の慰安婦にするということでござった。
その邪魔をするものは射殺があるのみで、抵抗の激しい娘は強姦して殺してしまうということでござった。
その方は、それを見て「この戦争は負けた」と思ったとの事でござる。
拙者のいいたいのは、「その最下層とされている人々にも生活があり愛情がありということでドラマがあり、命がある」でござる。
記録されたり歴史の表に出ないところにこそ、とんでもなく大きな歴史があり、人が生きているのではなかろうかという事でござる。
拙者の在所でこんな事をいうと、「こいつは赤だ」とかいろいろと言われるのでござるような・・・。
赤でもピンクでもドドメ色でもいいのでござるが、それを言うのが同じような人たちでござるから面白い仕組みでござる。
淡いピンクのチダケザシの話が、赤い色の話になったので話が戻ったということでござるな。
というところで、「明日の心だ!」