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石巻ボランティア、第2弾 今の被災地に必要なものは・・・。

2011-09-25 21:44:00 | 徒然なるままに
9月24日(土)

9月19日の午前中、石巻でボランティア活動をして来た。
今回は、『傾聴ボランティア』をすることになっていたのだが、当日、相手のおじいさんが、疲れてお休みになっているということだったので、急遽、救援物資の仕分けや運搬、解体予定の建物の中から、まだ使えそうなものの運び出しなどの手伝いをした。

最後に、石巻市立湊中学校のボランティア活動をしている拠点にお邪魔して、東日本大震災の復興祈願仏画制作に参加させていただいた。
横浜からボランティアにいらしてくださったKEIさんが、各地でボランティア活動をしている方々や被災者の方々に描いていただいた仏画で、日本列島を埋め尽くすという壮大なスケールの仏画だった。


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

2:46地震発生時のまま時を止めてしまった電波時計と、復興のシンボル・フラワーひまわり
昇降口の1階の天井まで水に浸かったことが分かる。


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

震災直後から炊き出しをしていた『みなと食堂』が閉店した時に植えた、『旅立ちの木・絆』と名付けられた桜の記念樹
この桜が大きく育って満開の桜を咲かせる頃には、この学区の人たちの生活も元通りになっていますように…。


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

山梨県の仏画師の安達原千雪様の仏画を参考に、日本列島全部に復興祈願の仏画を制作しているところ。

今回のボランティアを通して感じた事は、活動内容がずいぶん変わってきたことだ。

被災地は、半年経って、津波に遭わず、ほぼ通常の生活を取り戻せた地域と、あの日のまま手付かずの状態で、瓦礫撤去、解体を待つだけの地域とでは、天と地ほどの差があると言うこと。
未だに避難所暮らしの被災者の方もあれば、半壊状態の家で暮らす人、住みなれた街を離れ、仮設住宅で過ごす人・・・。
普段の生活に戻ったとしても、未だにあの震災を現実のものとして受け入れられない感があり、秋になって、体のだるさや、疲れを感じるようになっているらしい。
ましてや、家族も家も、仕事も失ってしまった人たちの、絶望感や孤独感、不安や『助かった』ことへの罪悪感など、心の傷は未だ癒えない。

そして、そんな過酷な状況で、粉骨砕身、手弁当自腹を切ってはるばるボランティアに来てくださっている、特に震災直後の3月からずっと活動をしてくださっている方ほど、かなり心が疲弊してきていると感じた。

それにはいろいろな要因があるとは思うのだが、一番は、ボランティアを『道具』やただ働きしてくれる便利な人たち、使いっぱしりぐらいにしか思わないようなぞんざいな態度で依存している被災者の人たちがいることだ。
やってもらって当たり前。
救援物資はもらって当たり前。足りないと文句を言う。
我がままで、自己中心的な人たちに、いいように利用されて、疲れが倍増している実態がある。

そんな我儘な人たちも、本来の平常時だったら、「お陰さまで」、「困った時はお互いさま」、何か頂いたら空の入れ物では返さず、気持ちばかりのお返しをするなど、今の日本人が忘れている温かい感謝の気持ちの表し方を知っているはずの人たちなのだ。
人の善意や、誠意をちゃんと受け止め、感謝の気持ちや態度を表す、こんな当たり前のことが、こういう非常時ではできなくなっているのだろう。
心に余裕がなく、将来への希望もビジョンも持てず、不安で、気が回らなくなると、心がささくれて心ない、周囲の人たちへの配慮の足りない言葉を投げてよこしたり、優しくしてくれる人に当たったりしてストレスを解消するようになるのかもしれない。



長期でボランティアをされている方は、時々は、普通の自分の生活の場に戻り、本来の自分の心と体の健康を取り戻して、リフレッシュするべきだと思った。
また、たまったストレスを上手に抜くために、ボランティアのためのカウンセリングボランティアが必要だと思った。
心に余裕のない人たちによって傷つけられたボランティアの人たちに、感謝の気持ちを伝え、労り、励ます、地元の本当の声を代弁する声かけが必要だ。


石巻ボランティアセンターが、近々閉鎖すると聞いた。
被災地の自立を促すためということらしいが、逆に、これから長期にわたって、さまざまな形の『支援』が必要になってくる時期なのではないだろうか?

『傾聴ボランティア』には、高齢者の言葉を理解すための、『通訳』的なボランティアも必要だ。


『復興』は、ライフライン、交通の復旧、建物解体、ヘドロ出し、瓦礫撤去など、力仕事の段階から、メンタル面のケアが重要になって来ている。

被災者の心の復興には、『傾聴』と『自立支援』と『仕事』が必要だと思った。


『頑張れ、石巻』ではない。頑張るのは、被災地以外の日本人だ
やっと立ち上がって頑張っている人たちを応援しよう!。
被災地の農産物、銘菓など、何でもいい、震災復興支援商品を買おう!
義援金に協力しよう!
被災地に出かけて行って、食べたり、泊まったり、商品を買って、お金を使ってこよう!
そして、『差別』はやめよう!
たまたま、東日本が震災にあったのだ。
たまたま、福島原発がそこにあって爆発が起きたのだ。
明日は、我が身だ。
日本中、どこで地震、津波が起きてもおかしくないのだ。
自宅にいつ戻れるかわからない、着の身着のままで避難してきた福島の人たちを差別しないでほしい。
空き家になった家を荒さないでほしい!!

石巻は頑張っている。泣きたいのを泣かないで、笑い飛ばして、カラ元気で頑張っている。
あれだけ悲惨な目に遭ったことが、今でも現実感が伴わないのだと言う。
これは現実ではなく、まだ悪夢の中にいて、目が覚めたら、いつも通りになっているかもしれないと思ってしまうのだと。
身近な人たちが亡くなったこと、
帰る家も街もなくなったこと、
去年までと同じように迎えるクリスマスもお正月もけして訪れないこと、
そこにあった『当たり前の生活』が、本当の幸せだったこと
それを思い知らされる現実が、事あるごとに訪れては、胸をえぐられるよな、身を斬られるような思いをするのだろう。
11日を迎えるたびに、「あれからちょうど○か月…」と、2;46になるたびに、黙祷しながら、あの瞬間を思い出すのだ。
こんな辛い思いを乗り越えるのに、どれくらいの時間と支援が必要なのだろう。
生き残ったことを悔いることなく、これだけのことを体験して生き残ったのだから、生きられなかった人の分まで、幸せになることが、生かされている意義だと知ってほしい。

お彼岸を過ぎると、石巻は一気に寒くなる。
心がほっこりするような温かい心のやり取りが、被災地に広がっていくことを祈る。

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