4月10日(日)
久しぶりにCafeにやってきた。
すっかりご無沙汰してしまいました。
掲示板や書き込みのお返事もためてしまってごめんなさい。
後ほど書きこみにお邪魔いたします。
まずは、近況報告から。
年度末、年度初めの、飲まず食わず寝る間もない忙しさもようやく一段落。でも、この1ヶ月間の無理がたたって、病院で検査を受ける羽目になってしまった。
検査結果は月曜日に出るのだが、元気にこの1年を乗り切るためにも、早期発見早期治療だと思って、どんな結果でも前向きにとらえて体調管理に努めよう。
4月から、今度は小学校の先生になった。
2年3組の担任だ。
身体が中学生の半分ぐらいしかないような、かわいいかわいい児童達。
エネルギーも吸われるが、その倍以上のパワーと癒しをもらっている。
着任式の後、3組のみんなを連れて、教室に入った時、耐震工事の影響で天気がいいのに教室はなんだか薄暗い。
一人の子が、
「先生、電気を点けていいですか?」
と聞いてきたとき、別の子が私の前に来て、
「先生、今、東北関東大震災で、東北地方の人たちは大変な思いをしています。教室は明るいから、電気を付けないで、節電しましょう。」
といってくれたのだ。
「ありがとう!みんな、○○くんがこう言ってくれて、先生はとってもうれしいです。みんな、お勉強が始まったら電気を点けるようにするけれど、今日は、教科書を配布したり、席を決めたりするだけだから、電気を点けなくてもいいかしら?」
と言ったら、
みんなが、大きな声で
「いいで~す!!」
と返事をしてくれた。
これが2年3組のスタートだった。
この小学校は、今年創立50年のかなり古い校舎だ。3月11日の大地震の時には、校舎も体育館も校庭もかなり痛んで、卒業式も入学式も、他校の体育館を借りなければならない状態だった。校庭は工事中でいまだに使用できない。
また、この学区は、両親ともに都心で働いている家庭が多く、地震の日は保護者に連絡が取れないうえ、電車が止まって、迎えに来てもらえず、避難所になった学校に泊まることになってしまった児童も多数いたそうだ。
そんな怖い、心細い、不安な体験をしたせいもあるからだろうか、私が話す被災地の故郷石巻の様子や、地震の際の心構えなどの話を、真剣に聞いてくれた。
その話を、津波で壊滅的被害を受けた北上町の小学校で先生をしている友人に知らせたところ、とても感激してくれていた。
地震から明日で1カ月。未だに故郷の被災地に駆けつけることもできず、できることと言えば、募金や援助物資の提供ぐらいしかなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
幸い、両親、親戚も無事で、実家も流されることはなかったので、今すぐ安否確認に帰省する必要はなく、仕事に専念できることはありがたいと思っている。
それなら、私にできることは、自分の受け持ちの児童たちの安全を守ること、安全を呼び掛けること、被災地の人たちの思いや、自分たちもいつ何時被災者になるかわからない危機管理を考えさせ、児童達から被災地の人たちへの応援メッセージを届けることだと思う。
宮城県では早いところは11日から、遅くとも21日から学校が再開するそうだ。
入学式や新学期を心待ちにしている児童・生徒たちがたくさんいることだろう。
でも、そうなると、今学校で避難所生活をしている人たちは、どこで生活することになるのだろう?
自宅に戻り、泥や瓦礫を取り除きながら次にまた大きな余震が来たら崩れてしまいそうな危険な家で、ヘドロの匂いの中寝泊まりしている人たちは…?
学校自体が流され、津波で何もかも流された学校の生徒たちは、さらに遠くの学校に統廃合されることになるのだが、通う家は?
児童・生徒たちの大切な個人情報をはじめ、教材も、資料も、道具も何もない中での教員たちの心労、苦労は想像するだけでも気の毒でならない。
瓦礫が邪魔をして、未だに収容できない遺体が海や町に無数にあるという。
遺体確認ができれば幸運。お葬式が出せるだけでもありがたい。
身元を確認する人もいない、行方不明の届けも出せない、出す人も一緒に流されてしまった・・・。
故郷から届く、また、故郷を見に帰った人たちから聞かされるあまりの惨状に胸がつぶれ、涙が止まらない。
そんな中、ネットでうれしい知らせを見た。
石巻の川開きが、この夏開催されるという話だ。
「川開き」は、石巻の人間にとっては、1年中で最大のお祭りだ。
江戸時代に北上川河口部の改修を行い、石巻発展の礎を築いた川村孫兵衛の偉業を讃えるとともに、海難事故、水難事故によって亡くなった英霊を供養するために行われる祭りである。
ここ最近は、市街地のドーナツ化現象で、シャッター街になってしまった商店街で、祭り自体も縮小化し、寂しい祭りになっていた。
でも、この「川開き」を今年も開催することによって、石巻を再興しよう!と言う地元の仲間の心意気に触れて、石巻人として、心から嬉しく、誇りに思う。
かつて、歌川広重(安藤広重)は、安政の大地震で大きな被害を受けた江戸の人たちを勇気づけるために『江戸名所百景』を作成した。
日々、復興して行く江戸の姿と、失われた在りし日の江戸の姿を毎日描いて、擦り上げ、江戸の人たちに配ったという。
特に、地震で亡くなった人たちの慰霊のために打ち上げた『両国の花火』の絵は圧巻だ。
今回の地震で亡くなった方、行方不明者の数は一つの町単位で1万人以上と言う。
石巻の小学生だけでも125人死亡、75名行方不明だと言う。
スポンサーの造船所も製紙工場も商店街も魚市場も壊滅的な打撃を受けただろうに、例年通り花火大会を打ち上げると言うのだ。
これは、なんとしても帰省して、地元のみんなを応援してあげたい。
天気が心配だが、天国に行ったみんなにも見えるぐらい、きれいで大きな花火をたくさん打ち上げてほしい。
今は瓦礫で人一人通るのもやっとの商店街。建物の上に船が刺さっているというような信じられない光景を、元のようにすることは困難なことだろう。
でも、生まれ変わった街で、地元の人も、帰省してきた人も、川開きを楽しめるような町づくりを頑張って欲しいと思う。
きっと、今、一生懸命活動してくれているボランティアの人たちも、元気になった石巻を見に来て、一緒にお祭りを楽しんでくれるはずだ。
私も、帰省のときには、両親に胸を張ってうれしい報告ができるよう、採用試験勉強がんばるぞ!
久しぶりにCafeにやってきた。
すっかりご無沙汰してしまいました。
掲示板や書き込みのお返事もためてしまってごめんなさい。
後ほど書きこみにお邪魔いたします。
まずは、近況報告から。
年度末、年度初めの、飲まず食わず寝る間もない忙しさもようやく一段落。でも、この1ヶ月間の無理がたたって、病院で検査を受ける羽目になってしまった。
検査結果は月曜日に出るのだが、元気にこの1年を乗り切るためにも、早期発見早期治療だと思って、どんな結果でも前向きにとらえて体調管理に努めよう。
4月から、今度は小学校の先生になった。
2年3組の担任だ。
身体が中学生の半分ぐらいしかないような、かわいいかわいい児童達。
エネルギーも吸われるが、その倍以上のパワーと癒しをもらっている。
着任式の後、3組のみんなを連れて、教室に入った時、耐震工事の影響で天気がいいのに教室はなんだか薄暗い。
一人の子が、
「先生、電気を点けていいですか?」
と聞いてきたとき、別の子が私の前に来て、
「先生、今、東北関東大震災で、東北地方の人たちは大変な思いをしています。教室は明るいから、電気を付けないで、節電しましょう。」
といってくれたのだ。
「ありがとう!みんな、○○くんがこう言ってくれて、先生はとってもうれしいです。みんな、お勉強が始まったら電気を点けるようにするけれど、今日は、教科書を配布したり、席を決めたりするだけだから、電気を点けなくてもいいかしら?」
と言ったら、
みんなが、大きな声で
「いいで~す!!」
と返事をしてくれた。
これが2年3組のスタートだった。
この小学校は、今年創立50年のかなり古い校舎だ。3月11日の大地震の時には、校舎も体育館も校庭もかなり痛んで、卒業式も入学式も、他校の体育館を借りなければならない状態だった。校庭は工事中でいまだに使用できない。
また、この学区は、両親ともに都心で働いている家庭が多く、地震の日は保護者に連絡が取れないうえ、電車が止まって、迎えに来てもらえず、避難所になった学校に泊まることになってしまった児童も多数いたそうだ。
そんな怖い、心細い、不安な体験をしたせいもあるからだろうか、私が話す被災地の故郷石巻の様子や、地震の際の心構えなどの話を、真剣に聞いてくれた。
その話を、津波で壊滅的被害を受けた北上町の小学校で先生をしている友人に知らせたところ、とても感激してくれていた。
地震から明日で1カ月。未だに故郷の被災地に駆けつけることもできず、できることと言えば、募金や援助物資の提供ぐらいしかなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
幸い、両親、親戚も無事で、実家も流されることはなかったので、今すぐ安否確認に帰省する必要はなく、仕事に専念できることはありがたいと思っている。
それなら、私にできることは、自分の受け持ちの児童たちの安全を守ること、安全を呼び掛けること、被災地の人たちの思いや、自分たちもいつ何時被災者になるかわからない危機管理を考えさせ、児童達から被災地の人たちへの応援メッセージを届けることだと思う。
宮城県では早いところは11日から、遅くとも21日から学校が再開するそうだ。
入学式や新学期を心待ちにしている児童・生徒たちがたくさんいることだろう。
でも、そうなると、今学校で避難所生活をしている人たちは、どこで生活することになるのだろう?
自宅に戻り、泥や瓦礫を取り除きながら次にまた大きな余震が来たら崩れてしまいそうな危険な家で、ヘドロの匂いの中寝泊まりしている人たちは…?
学校自体が流され、津波で何もかも流された学校の生徒たちは、さらに遠くの学校に統廃合されることになるのだが、通う家は?
児童・生徒たちの大切な個人情報をはじめ、教材も、資料も、道具も何もない中での教員たちの心労、苦労は想像するだけでも気の毒でならない。
瓦礫が邪魔をして、未だに収容できない遺体が海や町に無数にあるという。
遺体確認ができれば幸運。お葬式が出せるだけでもありがたい。
身元を確認する人もいない、行方不明の届けも出せない、出す人も一緒に流されてしまった・・・。
故郷から届く、また、故郷を見に帰った人たちから聞かされるあまりの惨状に胸がつぶれ、涙が止まらない。
そんな中、ネットでうれしい知らせを見た。
石巻の川開きが、この夏開催されるという話だ。
「川開き」は、石巻の人間にとっては、1年中で最大のお祭りだ。
江戸時代に北上川河口部の改修を行い、石巻発展の礎を築いた川村孫兵衛の偉業を讃えるとともに、海難事故、水難事故によって亡くなった英霊を供養するために行われる祭りである。
ここ最近は、市街地のドーナツ化現象で、シャッター街になってしまった商店街で、祭り自体も縮小化し、寂しい祭りになっていた。
でも、この「川開き」を今年も開催することによって、石巻を再興しよう!と言う地元の仲間の心意気に触れて、石巻人として、心から嬉しく、誇りに思う。
かつて、歌川広重(安藤広重)は、安政の大地震で大きな被害を受けた江戸の人たちを勇気づけるために『江戸名所百景』を作成した。
日々、復興して行く江戸の姿と、失われた在りし日の江戸の姿を毎日描いて、擦り上げ、江戸の人たちに配ったという。
特に、地震で亡くなった人たちの慰霊のために打ち上げた『両国の花火』の絵は圧巻だ。
今回の地震で亡くなった方、行方不明者の数は一つの町単位で1万人以上と言う。
石巻の小学生だけでも125人死亡、75名行方不明だと言う。
スポンサーの造船所も製紙工場も商店街も魚市場も壊滅的な打撃を受けただろうに、例年通り花火大会を打ち上げると言うのだ。
これは、なんとしても帰省して、地元のみんなを応援してあげたい。
天気が心配だが、天国に行ったみんなにも見えるぐらい、きれいで大きな花火をたくさん打ち上げてほしい。
今は瓦礫で人一人通るのもやっとの商店街。建物の上に船が刺さっているというような信じられない光景を、元のようにすることは困難なことだろう。
でも、生まれ変わった街で、地元の人も、帰省してきた人も、川開きを楽しめるような町づくりを頑張って欲しいと思う。
きっと、今、一生懸命活動してくれているボランティアの人たちも、元気になった石巻を見に来て、一緒にお祭りを楽しんでくれるはずだ。
私も、帰省のときには、両親に胸を張ってうれしい報告ができるよう、採用試験勉強がんばるぞ!