5月21日(水)
昨日は超党派の国会議員20数名で台湾総統の就任式に出席する。
8年ぶりに国民党が政権を奪回し、
会場となった台湾ドームは1万5千人の出席者で熱気に包まれていた。
就任式典(原語では就職慶典という)に先立ってい総統府で宣誓式が行われ、
その模様がスクリーンに映し出される。
正副総統は国旗と孫文の肖像画に向かって宣誓し、
立法院長(国会議長)から大きなはんこを手渡される。
台湾では法律案に総統が押印してはじめて法律となる。
式典では京劇や雑技、歌などのパフォーマンスの後、
台湾と外交関係のある国の代表が紹介され入場する。
台湾と外交関係にある国は20数カ国で、
私たちが聞きなれた国はなく、
アフリカや中南米、太平洋諸国。
ここに台湾の置かれた国際環境での厳しい立場が垣間見える。
そして、中華民国第12代総統馬英九氏が就任演説を行う。
演説中に会場全体が万来の拍手で盛り上がったのは2回。
1回目は、「民主主義の根幹たる選挙に政府当局が干渉することは、
今後は絶対にありえない」のくだり。
今回の総統選挙がいかに激戦であったかがうかがえるし、
裏ではややこしいことが山盛りあったのだろう。
2回目は、「台湾生まれではない私を、
あたたかく育ててくれた台湾の愛情に深く感謝する」のくだり。
馬総統は香港生まれで、
ハーバード大学に留学経験もある典型的外省人エリート。
それだけに余計に感極まったのだろうし、
会場全体が「がんばれ」コールに包まれ、
司会者が制止に必死だった。
式典終了後は総統府において、
日本側を対象とした総統主催に昼食会。
石原東京都知事や中田横浜市長も出席。
台湾新幹線で出される駅弁の「台湾弁当」を食べる。
ちなみに、この弁当箱が訪台の唯一のお土産。
一国の民主主義の成熟度を示すものとして政権交代がある。
一般に、政権交代が一度行われただけなら、
それほど成熟度は高くないが、
2度行われ、
それが一滴の血も流すことなく行われれば、
成熟した民主主義国家だと言われ、
今回の訪台でもよく聞かされた。
台湾では2000年に長い国民党政権が終わって民進党政権が誕生。
民進党政権は2期8年続き、
今回再び国民党に政権が移る。
翻って我が日本はどうか。
本当に忸怩たる思いがしてならない。
とにかく、民主主義という価値観を共有できる隣国である、
韓国ととは様々な問題はあるものの、
連携を強めていく必要がある。
貴重な情報は、何も高度の機密情報だけから得られるものではない。誰もが目にする小さな公開情報の中にも、気づかずに見過ごされてしまうには大き過ぎる情報がある。
週刊実話の5月29日号に、先般来日した中国の胡錦涛主席が創価学会の池田大作名誉会長を持ち上げて、彼は立派な政治家だ、などと繰り返し発言した、これに、あわてた創価学会関係者は、外務省と一緒になって、この発言が広まらないように奔走した、という趣旨の記事があった。
胡錦涛主席のこの言葉は大手新聞やテレビでは一切報道されていない。
いうまでもなく、政教分離は憲法20条で原則禁止されている。創価学会は日蓮正宗系の宗教団体だ。その一方で創価学会は連立政権党である公明党の支持母体である事は周知の事実だ。だから、これは政教分離の原則にもとることにならないか、という問題は、これまで折に触れて取りざたされてきた。そんな中で、中国の元首が、創価学会の名誉会長は政治家だと言ったという。これが事実ならば、やはり外部の人間が客観的にそのように受け止めているのか、と言うことになる。政教分離問題が再び問題視されかねない。
週刊実話の記事は、見過ごされてしまうには大きすぎる小さな記事だ。
18日の朝日新聞に「議定書の裏に密約」という記事があった。
すなわち、温室効果ガスの削減目標を定めた京都議定書を日本が批准する02年に、経済産業省と経団連(現・日本経団連)との間で、「日本政府としては京都議定書は批准するが、国内排出量取引制度をはじめとする強制的措置は産業界に課さない」という確認があったという。
この確認は外部に公にはされず、文書にも残されていない。
しかしその密約が、来る環境サミットで指導力を発揮しようとする福田首相の足かせとなっているという。
密約とは、外務省が米国との間で取り交わしているものと相場が決まっていた。しかし、その実は、政府の至るところで行われているということだ。
この朝日新聞の記事は、見過ごされてしまうには大きすぎる小さな記事だ。
20日の朝日新聞に、防衛省が、暴行した米兵が被害者に支払うべき賠償金を、日本の予算で肩代わりしていた、という記事があった。
その記事によれば、02年に横須賀市で起きた米海軍兵によるオーストラリア人女性暴行事件に関し、民事訴訟の結果、裁判所は米兵に賠償金を支払うよう命じたが、米兵はすでに帰国。米政府側も支払いを拒んだため、日本政府が見舞金としてそのオーストラリア人の女性に、300万円支払ったというのだ。
こんな馬鹿げた事が国民に知らされることなく勝手に行われていたのだ。何に基づいてこのような肩代わりが許されるのか。国民の税金が使われる話だ。政府の裁量権の濫用ではないのか。
この朝日新聞の記事は、見過ごされてしまうには大きすぎる小さな記事だ。
20日の読売新聞で、自民党の与謝野馨前官房長官が19日に都内で講演した記事があった。その講演の中で与謝野氏は、自分が前原誠司民主党副代表と某出版社の対談で話した際、前原氏が次のように自分の前で小沢民主党代表を批判したと、ばらした。
「(民主党の国会運営は)間違っている。国民のために一つずつ物事を決めないといけない。小沢代表が悪い。政策に興味が無く、政局にしか興味が無い」
こんな事をばらされた以上、前原氏はその真偽を自ら明らかにしなければならないであろう。
副代表である前原氏が代表の小沢氏をここまで批判したのなら、もはや民主党にとどまるべきではないのではないか。
この読売新聞の記事は、見過ごされてしまうには大きすぎる小さな記事だ。
政治家・官僚の手による政策の中には、誰が見てもおかしい政策が数多くある。
しかも、その誤りの是正の必要性が繰り返し指摘されているのに、政府・官僚が決して改めようとしない政策がある。国民も最後はあきらめる。泣き寝入りする。
卑近な例で言えば公務員改革だ。年金改革だ。高齢者医療制度の廃止だ。ガソリン減税の復活だ。
そしてやがて来る消費税の引き上げだ。この事は88年に竹下政権が導入した時点で決まっていた。消費税をいったん導入すれば、あとは数字を書き換えていくだけで税収増が機械的に行われる。打ち出の小槌だ。89年に3%で始まった消費税は97年の橋本政権で5%となった。次は7%だ、10%だ。
最後は国民も、どうしようもないとあきらめる。
そんな政策の中でも、やはり何といっても群を抜いて大きく、深刻なものが、この国の対米従属政策である。
唯一の可能性は国民が目覚めることだが、これがまた目覚めそうもない。
それでも最後は国民の覚醒しかない。だから私は忍耐強く対米従属の誤りを書く。
21日の各紙を読んだ私は、あらためてその異常さを感じた。同じ日の新聞各紙にこれだけ多くの日米関係の異常さを教えてくれる記事が見られるのだ。
それは決して偶然ではない。そこまで広く、深く、この国の対米従属が当たり前になっているという事だ。
直視せよ。この日米関係の卑屈さを。
東京新聞がスクープしていた。在日米軍の米兵やその家族に高速料金が免除される通行証が発行されていたという。
日米地位協定に基づき、米軍が公務で高速道路を使用する際は、その経費を防衛省が肩代わりすることとなっている。
これだけでも隠れた「思いやり予算」であるが、こともあろうにそれを悪用して、米兵やその家族の娯楽のための高速代までただにしていたのだ。
米側は「福利厚生も公務だ」と開き直っている。それを政府は黙認している。
毎日新聞「記者の目」で那覇支局員の三森輝久記者が書いていた。今年の4月13日に起きた万引で店員に取り押さえられた米兵の息子を、米憲兵隊が連れ帰ったという事件についてである。
三森記者は、この事件の第一報を聞いたとき、「やはり」と思ったという。
そもそも日米両政府が米兵犯罪の再発防止策として検討している米軍と日本警察の「共同パトロール」が始まれば、こうなるだろうと懸念していたという。
なぜか。それは米憲兵は地位協定の解釈を一方的に行い、行動する。しかし、日本の現場の警察には、その米憲兵の行為を制止する権限は無い。指をくわえて黙認するしかないのが現実なのだ。
三森記者は言う。米兵犯罪の再発防止に日本政府は本気で取り組んでいるのかと。
シーファー駐日米大使は20日、有楽町の日本外国特派員協会で講演し、日本の防衛費について「北東アジア各国の国防費増大が続く中で、日本だけが例外だ。防衛費の対国内総生産(GDP)比が着実に低下している事は問題だ」と指摘し、日本は自国の安全保障により専念するために防衛費を増やせ、と話したという。
一方において中国の防衛費負担増を懸念し、他方で日本の防衛費を増やせという。
一方において米国の戦争のための米軍再編への負担増をせまり、他方において自国の国防のために防衛費を増やせという。なんのための日米安保条約だ。
ただでさえ日本経済は米国金融資本の食い物にされている。米国の戦争経済の赤字補填に日本経済を差し出している。
その一方で軍事費の増額を求める。
これは日本経済をつぶすということだ。国民を貧困に追いやることだ。
シーファー大使が財政改革に喘いでいる日本の現状を知らないはずは無い。
こんな講演をする駐日大使はボイコットすべきではないのか。こんな発言を放置させて黙っている政府・国民はよく考えたほうがいい。
食糧大国米国も揺らいでいます。世界中にグローバリゼーション、自由貿易、WTO(世界貿易機関)といって農業と食糧輸入の自由化を強引に推し進めた米国は、供給責任を負わない身勝手な国家であることを露呈してしまいました。
石油が高くなり、バイオ燃料にすれば儲かるからと米国の農家が判断し、トウモロコシを食糧や飼料ではなくバイオ燃料の原料にしたことから、世界的な食糧と飼料不足の連鎖反応が始まりました。
急速に肉食が普及する中国での肉類への需要が価格に火をつけました。トウモロコシや米、小麦などの穀物の価格は上昇し、そうした商品に投資する資金が急増してますます価格の高騰が起きました。
世界中で1日1ドル未満の所得水準で暮らす人は11億人いると言われます。そうした貧しい人たちを食糧高騰は直撃しました。
農民にとってはいいだろう、というわけではありません。農業自由化の政策によって、インドなどの途上国では、温暖化の影響で旱魃に苦しむ農民は、収量が増えるからと米モンサントなどの農業メジャーが開発する穀物種子や肥料を購入してきました。
自給自足をやめて、商品作物を作り、それを売って生計を立てる農民層が増えたのです。そうした農業の必要物資も高騰を続け、農業メジャーは高い収益を上げています。一方で、農民は借金に頼るようになりました。
しかし、農民が作って地域で売る農産物の価格がそんなに上がるわけではありません。コストは上がり収入は増えない。それでは借金を返せない。現金に換えるためには作物を食べてしまうわけにもいかない。こうして、インドの農民にここ10年ほどで自殺が急増しているのです。
インドだけではありません。中国や他のアジア諸国やアフリカの農民の多くも、伸びない収入と高騰する生活費の格差の中で苦しんでいるのです。
高成長が続く新興国、そこでの好景気と消費の伸び、値上がりを続けるエネルギーと食糧、それによって生存を脅かされる人々。先進国の巨大金融機関や企業は守っても、世界の貧しい人の生存については、グローバリゼーションはあずかり知らないことが明らかになってしまいました。
新興国の成長が食糧とエネルギー問題を生んだ
資源価格の上昇は、国民の暮らしの点からは最貧国であるアフリカの諸国に次々に新しい資源国を誕生させました。
非鉄金属、石油、天然ガス、未開拓のアフリカは資源の宝庫でもあり、紛争の火薬庫でもあります。これまでアフリカの資源を独占してきた欧米の資本に中国が加わって資源争奪競争が展開されています。資源の富は、軍事力や警察力で地域を独占し、外国から資本と技術を導入すれば、容易に富を得ることができる点において、製造業やサービス業と産業の構造が根本から異なります。
暴力で国民を抑圧し、ひどい生活を強いても、権力者が安定して富を享受し得る点において、日本のような資源消費国とは根本的に異なります。こうして、資源国では、非資源国よりもはるかに国内紛争が多いという傾向を生みました。
世界は、グローバリゼーションによる新興国中心の高度成長と引き換えに、エネルギーと食糧を手に入れるのが不安定な世界に突入したのです。
☆☆米国以上に苦しい日本経済
こうした事態は、日本には関係ないのでしょうか。とんでもありません。米国以上にこれから苦しいのが日本経済なのです。米国以上に食糧もエネルギーも外国に依存しています。そして、日本の生命線である工業製品の生産は大きな危機を迎えるのです。
自動車や鉄鋼がその典型です。中国やインドを震源地とする自動車の価格革命はやがて世界に及ぶでしょう。日産自動車が最低価格2500ドル(約26万円)の自動車の開発を掲げたのもその一例です。インド最大の自動車会社であるマルチ・スズキ・インディアの主力車は50万円前後です。
途上国が消費市場の中心になるにつれ、価格競争と量産効果で自動車の価格破壊が世界で起きるのは時間の問題でしょう。もちろん、少数の富裕層は1台数千万円の車に争って乗るかもしれません。しかし、このセクターに強いのは超高級な欧州車です。日本が強い1台150万円から300万円前後の乗用車に乗る人は世界的に減るでしょう。自動車の世界に価格破壊が起きるからです。
一方で、自動車の材料は値上がりします。その代表が日本が世界に冠たる鉄鋼です。鉄鋼の材料である鉄鉱石と石炭は3社ほどの資源メジャーに独占されています。
さらに、需要が中国などの新興国を中心に続伸した結果、鉄鉱石と石炭の大幅な値上げを日本の鉄鋼メーカーは飲まされました。そのコスト増加分は年間3兆円に達する見通しです。
まるで、世界中のパソコンメーカーが、組み込み部品であるインテルのマイクロプロセッサーとマイクロソフトのソフトウエアに利益のほとんどを吸い上げられたのによく似た構造ができてしまいました。これからは、日本が得意とした自動車メーカーと鉄鋼メーカーの緊密な連携による高品質で低価格の材料提供ができなくなるのです。
日本の自動車メーカーにとっては、自社製品の価格破壊、材料価格の高騰というダブルパンチが構造的問題になり得るのです。そうなれば、あまたの部品メーカーにまで影響が及ぶでしょう。
生き残りのためには、インドや中国などの新興国に一層生産設備を移し、日本国内の生産を縮小せざるを得ません。国内で販売されるものの多くも外国で生産したものを輸入することになります。
☆☆日本は石油も食糧も買えなくなる?
事は自動車に限りません。国内の雇用は減り、貿易収支は悪化します。ただでさえ、少子高齢化で財政収支が悪化しているところへ、貿易収支が悪化すれば、双子の赤字という事態になります。
そのうえ、工業製品の相対価格が原料に比べて低下するという交易条件の悪化が起きるのです。それは長期的には、日本の貿易収支を悪化させるでしょう。しかも、将来は成長率の低い日本の円は、ドルと並んで、新興国通貨に対して低下することが十分予想できます。ますます日本国の交易条件は悪化します。
今まで通り、日本は食糧も石油も買えるのでしょうか。答えはノーです。
ならばどうするか。せめて食糧は自給すべきです。70年代に米国が自分の都合で突然大豆を禁輸した時に、欧州諸国は食糧を外国に依存する危険を知って、高いコストをかけて食糧の自給率を高めてきました。
70年代前半に日本と同様に5~6割程度の食料自給率しかなかったドイツや英国は、今では7~8割程度にまで自給率を高めています。食料の輸出が輸入を上回るという意味においては、フランスやオランダ、デンマークは食料輸出国です。
☆☆道路問題とよく似た農業問題
ところが、これまで30年以上にわたって、日本はノホホンと食料自給率を低下させ、今では4割にまで来ています。しかも、掛け声とは裏腹に、一向に自給率が上向く気配すらないのです。現実に進んでいるのは米の減反です。同じ先進国でも、どうしてこんなに欧州と差がついたのでしょうか。
新興国がサブプライムローン問題を一足先に克服する中で、日本経済が地盤沈下を起こし、食糧価格がこれから高騰し、円が食糧生産国の為替に対して下落した場合、将来の日本が食糧を確保できない事態も十分考えられるのです。もはや、戦後経済の常識は通用しないのです。
国民の食糧を確保することこそ、古今東西の国家の基本でした。食べるものがないことこそ国家の危機です。どうして日本はそんな危機が迫っているのに対応することもないのでしょうか。
戦後復興期から高度成長時代にかけて作られた農地法や食糧管理制度や農協などの仕組みは、国民を飢えから救うという使命を果たし、食糧増産に成功しました。しかし、米の自給に成功し、日本が豊かな社会になってからも、戦後復興期に作った制度をそのままにしてきたために、日本社会の変化にも世界の変化にも、対応する力を失っているのです。
そして、古い制度にしがみつく人たちの利害を守っているうちに、国力が大きく損なわれています。そのために日本人と日本の国土が持つ巨大な潜在力が生かされていないのです。
その意味では、農業問題は、戦後復興期の1952(昭和27)年に田中角栄議員が提案した制度を変えることができなかった道路問題とも、非常によく似ています。
どうすれば、日本が強い農業国家に変われるのか、それは次に論じましょう。