山本太郎氏「もう1人じゃない!」参議院東京スピード初当選

2013-07-22 10:32:47 | 選挙

おめでとう山本太郎さん 無所属で東京で当選はあっぱれです

第23回参院選は21日、投開票され、20人が出馬し大混戦となった東京選挙区(改選数5)で、無所属新人の俳優・山本太郎氏(38)が初当選を果たした。同選挙区で民主党が1998年の結党以来、初めて議席を失う一方、組織の後ろ盾を持たない山本氏が開票後1時間余りでのスピード当確を決めた。

バンザイ三唱の代わりの言葉は決めていた。「もう1人じゃない!! もう1人じゃない!!」。山本氏は何度も拳を突き上げる。杉並区内の選挙事務所は、詰め掛けた支援者による体感室温40度超の熱気と歓喜の叫び声に満たされた。

 予想外の早さで舞い込んだ吉報にも、山本氏は軽く笑っただけだった。「このまま浮かれるわけにはいかない。イバラ道はこれから始まる。目先の利害関係に利益を求める人たちとの戦いになる」。早くも先を見据えた。

 最激戦区であり、各党の最重点地区である東京で奇跡の勝利を飾った。「新党今はひとり」の名の通り、組織票も支持母体も潤沢な資金も持たない男が議席をかっさらった。民主分裂の追い風を、ネット選挙の解禁が後押しした。ツイッターのフォロワー数、ブログ閲覧数などは全候補者の中でもトップクラスに。支持拡大を実感した。16日には演説中に感極まって号泣。「芸能界のタブーを破り、本当は怖かった。1人でつらかったんだ…」と本音をもらした。

 俳優として手にしていた居場所を2年前、突然捨てた。東京電力福島第1原発事故発生直後の2011年4月、脱原発運動を開始。北海道から沖縄まで活動に奔走する日々を送り始めた。昨年5月、一般女性と結婚する際は条件を出した。「オレを自由に行動させてくれ」。同12月には「今はひとり」を結党し、衆院選東京8区に出馬。期間中、政界を引退したばかりの鳩山由紀夫元首相の携帯電話に直接電話し、いきなり「一緒に選挙に出て戦いましょう!」と共闘を猛プッシュしたこともあった。これにはさすがの鳩山氏もタジタジだったとか。敗れはしたが、約7万1000票を獲得して次点となる健闘で今選挙につなげた。

 「選挙戦は長く、つらかった。でも、これまでと比べものにならないイバラの道は始まっている。政権を取るところまで行く」。右側頭部にできた原因不明の円形脱毛症は、いつの間にか5円玉大から500円玉以上に膨らんだ。でも、もう帽子で隠そうとはしなかった。悩み、苦しみ抜いた男にとっては誇るべき勲章だった。

 【山本太郎氏の政治活動の歩み】
 ▽2011年 東日本大震災後の4月にツイッターに脱原発発言をつぶやき、原子力撤廃デモに参加。5月には所属事務所を退社、その後はフリーになった。7月には玄海原発反対を訴えて佐賀県庁にデモ隊とともに侵入、一般市民から建造物侵入罪で告発された(後に不起訴)。
 ▽2012年 4月、横浜市の太陽光発電関連会社に就職するもほとんど出社せず、本人の申し出により7月に退社。12月に「新党今はひとり」を結成、衆院選出馬を表明。東京8区から無所属で出馬し7万1028票を獲得するも、石原伸晃氏の次点で落選した。
 ▽2013年 脱原発運動を継続。5月には、茨城県東海村議会を訪れ、東海第2原発の再稼働中止の請願の様子を傍聴。同月、東京都内の集会で参院選出馬を表明。

 ◆山本 太郎(やまもと・たろう)1974年11月24日、兵庫県宝塚市生まれ。38歳。日テレ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」内の「ダンス甲子園」で芸能界入り。主な出演作にドラマ「ふたりっ子」「新選組!」、映画「岸和田少年愚連隊」「バトル・ロワイアル」など。2003年「MOON CHILD」でブルーリボン賞助演男優賞受賞。家族は妻。



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