喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

再度タコ釣にチャレンジ

2017-06-22 17:59:11 | 日記
6月22日(木)曇り
 今朝は4時に起床、早めの朝食を摂り、5時前に自宅を出発。
市原町で郵便局長Y氏を乗せ、一路 加古川市播磨町本庄の草部渡船へ。
東二見のマルワ釣具店へ立ち寄り、草部渡船へ着いたのが6時丁度。
乗船名簿に署名し、船代を支払い、乗船、既に船の艫には先客が陣取っ
ているので、船の右舷中央へ、7時前に出船、淡路島の風力発電機が
くっきり見えるところまで出ます。東には明石海峡大橋、今日は曇り空
朝は肌寒く、救命胴衣の上に”グリーンのみまもり隊”の入ったジャン
パーを羽織りました。
 第一投目に私にタコが乗りました。船長の奥さんが、「増田さん
撮って良いですか?」と聞くので 「良いよ」と 船の売り上げの強力。
10時の納竿までにタコは8匹、3回目にして数は更新しましたが型は今一
郵便局長さんは2匹までは私と対でしたが、そこまでで終わり、
”次回こそは!と燃えていました。” すっ飛ばして帰ったものの
加古川バイパス付近までは車が混んで、自宅へ帰ったのが12時20分。

一投目に来た運の悪いタコ

 慌ててパンを口に頬張りながら学校へ入ります。 先日校庭北側で
剪定した枝木を片付ける為、剪定ハサミを持ち出し、50㎝程度に切り
袋へ詰めようとしたが、雨で濡れていて重い。 乾いてから袋に詰めよう
と思い、後は草引きを、幼稚園と小学校の境で、小学校の土地と思われる
部分を引きました。
縁石部分からはみ出し、ペチュニアの花が種がこぼれていたのか逞しく
咲いています。 引くのが可哀想と思い、残しておきました。
 校庭北側の溝付近も雨が降って草が引き易いので、3時間半ぶっ通しで
草引き、腰は痛いが 身体は楽。
何も考えることがないのですが、頭に過るのは 15年前の平成12年の頃、
前年度に税金を沢山支払う事になり、馬鹿らしくなって この年は
不動産コンサルティング技能登録を取ろうと決心。
 その頃 支部では西脇支部管内だけの役員をしていて身軽な頃。
4月から開講される講習を受けるのに大阪 梅田の阪急ホテル12階まで
毎週通いました。
 大阪には大学に行っていた二人の子供が居たので、時々 講習が終わった
後、お茶を飲んだり食事をしたり、そして最終のバスに間に合うように
別れ、梅田から御堂筋線で新大阪駅かもしくはその先の桃山台駅まで
 電車に乗って、高速バスに乗りかえ 通ったものです。
そして その秋の試験に臨みました。会場は天王寺のサツキ会館とか
言う所、午前中は一般的な試験、午後からは筆記試験でした。
 まぁ全問正解と行かないまでも90%は・・・との気持ちでした。
予想通り、合格しましたが、会場で講師の大西先生に出会いました。
先生は大阪で不動産鑑定士事務所を開かれていて、私に「増田さん。
此処までこれたのだから不動産鑑定士試験を受けないか?」と言われ
 一時迷ったことが・・・それは子供がまだ学校にお金が要るのと、歳も
歳だったのでした。
 あの時 不動産鑑定士になっていたらと思いましたが後の祭り、

 そして翌年、国交省の外郭団体 不動産近代化センターから電話があり、
講師の要請が有りました。 
 場所はやはり当時通った阪急ホテル12階、持ち時間は1時間。
どんな話をしたのか 今では覚えていませんが、体験談を話したと思い
ます。
それが1週間2回、3週間行ったので 1日 交通費5,000円、講義費15,000円
の計20,000円 合計で12万円。 まぁ当時 給料も年1200万円会社から
取っていたので、大した額とは思いませんでしたが・・・
次の年平成14年も声が掛かりましたが、 もうそれどころではなくなって
 その後も、神戸不動産会館へ行くようになり、3支部統合した頃は毎年
総会の時は議長をやらされ 本部の総会では司会などやらされ、流通委員会
などに所属したときは、不動産会館6階か7階かで、新しく入会する会員に対し、
講義を行うなど 柄にない事を経験させられました。
 でも今になると良い体験をしたとつくづく思う次第。あれやこれやと草引きを
していると考えることがないので昔の事が走馬灯のように頭を巡って来ます。
その娘も 大阪の子と交際、そして旦那になる子は東京で公務員試験を受け
東京へ赴任。
 そして娘は追いかけるように1年後には結婚。今では小学6年生の娘と小学
3年生の息子と2児の母。
 当初 東京都昭島市の消防寮に住んでいましたが、今では埼玉に家を建て
婿は2時間ほど掛けて通勤しています。

保育園側から見た草引き後の様子。


剪定した枝木と引いた草。




やっと梅雨が訪れました。

2017-06-21 18:03:36 | 日記
6月21日(火)小雨
 朝早く目が覚めましたが、外は雨模様。 こんな日は一度ゆっくり
しようと8時頃まで寝床に
市労連主催、グラウンドゴルフの予定でしたが、取りやめは確実。
案内書には雨の場合は順延と書いてあったので明日になるのか?
しかし 明日は予定していることが有り、行けない。
老人会長に電話を入れると、「m(__)m、電話を入れなければと思って
いた矢先、実は明日でなく28日に伸びた。28日が雨ならば29日と言って
来ている」との回答。

 テレビでニュースを見ていると、昨夜、森友学園の園長宅へ検察が入った
との事。加計学園問題と言い、首相や首相夫人が、両社ともに忖度をした
ことに、本人は否定していますが、立場上不利になると知らぬ存ぜぬの
一点張り。共謀罪も無理やり採決し、国会も早々と閉会、ほお被りして
いれば国民も忘れるとの算段だったのか?
 ところが電話でアンケートを取ると 支持率が急激に下がり、慌てた
のか首相が陳謝などしておりましたが、肝心のところはうやむやに・・・

 2時前に学校へ入り、外も小雨がシトシト降っているので 先日から
気になっていた排水口の濾過器代わりになるものがないか?
一番単純なのは餅を焼く網を 小型化したようなものが有れば良いのだが
”金を使わないで・・・”との希望なので ハタと困る。

 何かないか?と物置小屋を探していると プランターの底に敷く排水
ネットが目に付きました。 どうせプランターが壊れ、底だけ置いて
いると判断。2枚拝借し、直径10センチの丸い濾過するものを8枚作り
ました。が、作ると言っても切るものがない、カッターナイフと小型
ハサミでカットしました。 作業中にM先生が小屋に来られ「これ
治らないでしょうか?」と箒を持ってくる。
「とりあえずやってみよう」。と預かり、苦心惨澹何とか使えるように
その後、作った濾過装置をそれぞれ排水濾過機のない排水口に取り付け
作業。 まぁ使用している内、ゴミが溜まってくると思うが、流れ難く
なれば掃除をすればよい事。先生方にもそう言っておく。

取り付けた手製の濾過器

 今日は昨晩から降った雨のお蔭で 畑に水やりをしなくて済みます。
しばらく梅雨空が続くとの事ですが、明日降る予想だった梅雨前線は
南海上にあり、関東には影響が有るものの兵庫県は明日、日和になる
との事。





クマが出たとの情報が・・・

2017-06-20 18:10:34 | 日記
6月20日(火)曇り
 お昼前 防災無線で「市原町でクマがでた」との情報でした。
市原だと日野小の隣に位置します。 まぁ杉原川を挟んでいるのと
市原といっても妙覚寺奥の森林公園付近だと思います。
でも数か月前の情報で冨吉南付近でクマを見たとの情報もありました。
 
 私が住む裏山も市原の山と地続きになっており、秋になればドングリや
柿が実りますから油断できません。
クマに遭遇しないことを願いながら 裏の畑へ行き、ズッキーニ―を収穫。

受粉させた実は大きくなっています。
 収穫したズッキーニー

 小学校へは12時45分に入り、着替えてプール付近の草引きをしました。
休みなしでの3時間半は腰に来ます。
掛かる際には 1年生がプールに入ってきました。 賑やかな事。
それに比べ 保育園のプールは落ち葉が溜まり、園舎はシーンと静まり
帰っています。
プールが終わり、辺りがシーンと静かに・・・夕方から雨が降るとの事。
風も出てきました。
 静寂の中で 頭に色々な事が巡ります。 余り考えても仕方がないので
食べるものを考えました。 そういえば今の季節はハモのシーズン。
数年前、委員会で一緒だった淡路のN支部長が「一度 淡路に来ないか?」と
言い出し、委員会のメンバーで淡路市の洲本へ行ったことが有ります。
N支部長の家は 洲本のお寺の前で 自宅で奥さんはブティックをされて
いました。
 私は遠方なのとアクセスが悪く、車で淡路へ、委員会のメンバーの殆どは
神戸とかアクセスのよいところなので日帰りを予定していました。

 N支部長の自宅は昔ながらの入母屋造り、聞けばW大学で奥さんと知り合い、
一緒になったとか言います。N支部長の出身は佐賀県で造り酒屋をしていた
と言うので良い家柄だったと思いますが、奥さんが養子娘だったため
「遥々 佐賀から泳いで養子に来た」。と笑わしていました。
いよいよハモ料理が届き、客間へ通してもらいました。
 そこから庭を見ると、石灯篭などが倒れたまま、神戸淡路大震災が起きて
から16〜7年経っていたでしょう。
色々と話をしながら淡路の玉ねぎがたくさん入ったハモ鍋をつつき、そして
蒸したハモを梅肉で頂きました。
その日はビジネスホテルで泊まる予定だったので しっかりアルコールも頂き
いささか酔いました。
N支部長が「家に泊まって行け」と言うのを 断固断り、ビジネスホテルへ
その晩 よく眠れたこと。
あくる日は早朝に目が覚め、洲本の浜辺近くの公園を散歩しました。
松林が有り綺麗な公園でした。
 そこから町の方へ眼をやると、カネボウと書いた会社か工場が目に入り
ましたので、近くの人に聞きますと、3年ほど前に撤退したとか、
N支部長宅へ昨晩の礼を言って、再び 西脇へ向かって帰りました。
 あんなことが有った。こんなことが有ったと思い浮かべながら草引きを
していると4時半に、2袋の生ゴミ袋を両手に持って 一輪車置場へ置き
校舎内を見回り、5時5分に学校を後に、帰りは畑へ寄り、夜には雨が降る
とのことで 水桶の蓋を開けて帰りました。

作業前

作業後
畑の様子。











園児の声が聞こえるよう・・・

2017-06-19 17:59:51 | 日記
6月19日(月)晴れ
 今朝も5時半に起床、新聞を読み、ラジオ体操をし、Wiiなどを行って
朝ドラを見て、朝食を摂らず 9時前に三木医院へ定期検診を受ける。
先生に「今日、血液採取と聞いたが・・・」と聞くと、「町ぐるみ検診を
受けているので 今度は10月頃でよいだろう」との事。
 血圧もタンパクも血糖値もまぁまぁなのだが、LDLコレステロール値が
高い。 遺伝性にもよるらしいが、私の場合、アルコール摂取によるもの
かもしれない。 医師いわく「もう2キロほど痩せてみよう」と言う。

 帰宅して朝昼飯を食べ、全米オープンゴルフを観る。
松山は、最終日 調子がよいのか12アンダーまで伸ばすのだが、アメリカの
ケプカとか言う選手も 好いゴルフをし、14アンダーで優勝をする。
期待していたが残念、昨日 もう少し スコアーを伸ばしていれば・・・
と思うのだが・・・

 12時40分、小学校へ入る。 今日は暑い。車で見る温度は31度と
なっている。 机の上に封筒があり、中を見ると混合油18リットルの
購入権が入っている。
 これだけあれば今年 校舎前や堤防回りなど3回行っても足りるだろうと
思ったが、”ひょっとして、父兄のボランティアで草刈り機を提供して貰った
人に要るのでは・・・”と思い、校長が居られたので聞くと、やはり提供
して貰った人に対して混合油を提供するとの事。
 草刈りくらい 十分にできると思っていたが、これも混合油の残り具合と
相談しながら 草刈りを行わなければならない事になる。

 先週に引き続き 堤防北側の草を刈ろうとしたが、子供がプールに
入っているのを見て、出来ないと判断。
北側 幼稚園との間の木の剪定と草を引く。幼稚園は昨年度廃園されて
静まり返っていますが、小学校からのプールに入った学童の声を聞き
今にも園児の声が聞こえるかのような感じを受け、幼稚園がなくなった
寂しさを感じました。 
日野幼稚園が生まれたのは私達昭和18年19年生まれが最初で一期生です。


 4時に終わり北棟校舎2階へ上がり、しばらく休んでいた鉄柵の錆落とし
を区間2m程度行う。もう4〜5時間あれば全部終わりそうだが、錆落とし
が足りるか? ペンキも残り僅かになってきて これも足りるかどうか?
4時45分に終え、校舎内見回り校旗を下して、5時過ぎに学校を出て
畑の水やり。 ”雨が欲しい”と思う次第、皮肉にも21日グラウンド
ゴルフを予定しているが、この日から雨が降るとの予想。
まぁいまいち グラウンドゴルフには力が入っていないので 晴れようが
雨が降ろうが どちらでもよいのですが・・・


綺麗な雉をみました。

2017-06-18 18:33:42 | 日記
6月18日(日)晴れ
 今朝も早く起き、朝食を摂り、当番なのでグラウンドへいち早く行き、
グラウンドゴルフの用意をするのですが、既にもう一人の当番の方が
先に来ておられ、旗を立てておられました。
 この方、男の方で御年93歳。毎日朝5時には2キロほどの道のりを歩いて
居られます。
耳は遠いのですが、それ以外は元気そのもの、グラウンドゴルフも上手で
毎月1回、私が集計をしてランクを付けているのですが、何時も上位、
 お年寄りはこの方が最高齢で次が89歳、87歳と元気な方が居られます。
車も乗られるし、私もこの方々のように元気で過ごしたいと願っています。

 午後は全米オープンゴルフをビデオで見て、5時頃に畑へ水やりに
すると 何時も私が車を停める定位置があるのですが、鳥の姿が・・・
よく見ると、綺麗な雄の雉です。
車のスピードを落とし、近づくと堤防の草むらへ隠れました。
水やりをしていると、ケーンケーンと甲高い鳴き声、堤防側に目をやると
直ぐ近くまで 姿を現しました。
 カメラに収めようと胸元の携帯電話を取り出そうとしましたが、持って
来るのを忘れた。 しばし様子をみていましたが、怖がる様子もない。

 自然界は変わったのでしょうか? 私がハンターをやりだしたのは、
丁度 銃が持てる20歳。 ポインターと言う鳥を追い出す犬ですが、当時
会社勤め、たまに山へ連れて入ると 嬉しいのか?帰ってきません。
だから仕事へ行く前に 雉の鳴き声がすれば犬を連れて行かず 鳥撃ちに
行ったものです。 
 当時、向かいの山は禿山と言うか、松の苗木が植わっていて 辺りを
見渡せる所でした。
ケーンケーンと雉が泣いた場所を この辺だろうと推測しながら石を
投げると、驚いた雉は 大きな羽音を立てて 飛び立つ。散弾銃で撃ち
落とすのです。

 ”雉も泣かずば撃たれまいに”とのことわざ通り、鳴かなければ場所も
特定されず、撃たれることは無かったでしょう。
射落とした雉を家に持って帰り、会社へ行ったものです。
撃った雉はどうしたか? 当時 向かいの家が養鶏場をしており、そこの
小母さんが 鳥を捌くのが上手だったので頼みました。
だが、私も 当時一緒に暮らしていた親兄弟も私同様、ムシが弱いのか
喰わず嫌いか?牛肉だったら食べるが当時、カシワも嫌いでしたから
とうとう、最後は処分に困り、火を通して、犬のエサにしたものです。

 ヤマメしかり、私は渓流釣りもしますが、当時、遠く矢田川くんだりまで
行ってヤマメをよく釣って帰っていましたが、誰も川魚は食べません。
それで他人にあげるか、当時 家に”ミー”と名付けた猫がいたので
そのミーのエサにしたことを覚えています。
今思うと なんと勿体ない事をしたのかと後悔しております。