喜寿をむかえた男の遊々生活!

喜寿を迎えた老人の日々を日記に・・・

自分を労わろう。

2017-06-24 17:28:01 | 日記
6月24日(土)晴れ
 今朝 5時に朝刊を取りに起き、ベッドに戻り 1面から読み始めました。
私宅は神戸新聞を取っています。
何時もは19面、”くらし”など余り見ないのですが、”あなた自身にもやさしく”と
タイトルが目に入りました。
いたわろう、よりそおう、自分との本当の向き合い方 と、そして中身は、抜粋
ですが、身近な人が辛い経験をして消沈していれば慰めの言葉も掛けたくなるでしょう。
では、あなた自身はどうですか?大事な人の傍に寄り添うような気持で、自分にも
寄り添ってみたことは有るでしょうか?
自分に対しては「なんだ、それぐらいでへこたれて、どうするのだ。ほら、頑張って」
などと叱咤激励したり、「たったそれぐらいで落ち込むなんて、ダメだよ。もっと
強くならなくちゃ!」とハッパを掛けたりしていませんか?
本当は、自分が辛い時、悲しい時、苦しい時こそ自分の心に寄り添って、慰めて
欲しいのです。と言う内容でした。

 そう言えば 私の場合、幼い頃は 大阪から疎開してきて転々と家を代わり
父は肖像画を描いたりしていたが、貧乏暮らし、終戦後間もない頃で、誰もが
苦しかった時代。
その中でも非農家の私の家は 食うのに困るほどの貧乏、そして4人兄弟、
 大阪生まれの大阪育ちだった母は大阪弁、どうしても子供も親の影響を受けて
大阪弁になる。当時、学校へ通う時も学校内でも大阪弁で笑われました。
身体も華奢で、栄養不足によるものか、校医(当時市原町の吉田内科医院)から
類似結核と言う病名を貰ったほどです。
小学校4年生後半から5年生は殆ど学校に出席できず、6年生になった頃 
修学旅行は校医から「修学旅行は諦めた方がよい」と両親に告げられたものの
父が必死で頼み込み 連れて行ってもらうことに それが為に6年生担当の
森田先生と校医の吉田先生には 代わる代わる背負って貰って名所旧跡を
回った思い出があり迷惑を掛けた事を今でも思い出します。
当時、修学旅行は奈良・京都、宿泊は京都の”いろは旅館”外出だけは、させて
頂けませんでした。

中学校を入学したころから、体力も付き始め、社会人になるころには、体力的にも
精神的にも追いつく事ができたと思います。
 その頃から思っていたことは”人に負けるな、我慢しろ”と言い聞かせる事でした。
前述の文の内容みたいに”人に優しく、自分に厳しく”と言うものではなくて
”自分にも厳しいが他人にも厳しい”と言う人間に変わって行きました。

 仕事も一生懸命 こなしました。 それは上司にも認められ、年上の方には
好かれました。 だが、こんな私を、一人 特に真剣に見ていてくれる方が居ました。
その方は会社の工場長でもあり、私と個人的にも懇意にさせてもらい、仲人にも
なって貰った方です。 会社を辞めて宅建業に身を投じ、数年後に出会った時
その方は町会議員で居られ、「お前は 若い頃 ケンのある男だったが、少し
丸くなったかのようだなぁ」と言われました。残念なことに数年後、肺癌を患われ
亡くなりました。その方の娘さんは澳京子さんと言い、演出家になっておいでです。

 ”自分にも厳しく、他人にも厳しい”は、子育てにも影響したのか?と、最近に
なり後悔します。
”お父さんが出来たのだから お前たちもできない事は無い”。と言うのが口癖で
”私は26歳で父を亡くし、何一つないところから、家も建て、結婚もした”と
息子たちにはハッパを掛けたつもりが、萎縮させていたと思う次第です。
 今後、残り少ない人生は、”自分にも優しく、他人にも優しく”したいと願う
のですが、果たして・・・


 朝食後、妻が「お天気が好いのも今日までで、明日から崩れるのでジャガイモ
掘りをする」。と言うので、私は「先に小坂町の土地と、野中の土地に除草剤を
撒きたいので乗せて行って欲しい。その後、手伝うので」と頼み、噴霧器と除草
剤を 妻の軽四に載せ 小坂町の土地へ、この土地は宅建業を行っているとき、
東京の業者が大手保険会社の残務整理を行っていて、この土地も処分の対象と
なっており、元 保険店の寮が建っていた所、便利の好いところに位置しており
 当時としては相場のより若干安いかなぁ?と思われる価格で買いました。 
ところが道幅が狭いためか、何度も客を連れて行ったが、話が流れて現在に
至っております。

 まぁ 損までして売る気もないし、4月まで三木市の宅建業者に駐車場として
貸していましたが、草も生えているだろうと思い、今日行く気になった次第。
妻は私を下し、Aコープで商品券を云々とやらで、行きました。
 小坂町の土地は やはり草が沢山生えており、除草剤を約10ℓ余り撒きました。

迎えに来た妻の車に乗り、今度は野中町の山裾の土地へ、ここにも畑を作って
いますが、今日来た目的は 此処も除草剤を撒く事。
20リットルほど撒きましたが、15分ほどの作業。 この土地面積が約180坪です。
こんなところ、草を手で引いていたら、毎日引いていても1カ月は掛かるでしょう。
引き終わった頃に 次の草が生えている事でしょう。

私が此処の土地を買った時は、うっそうと背丈より長い草が生えており、僅かに
建物の頭が見えているだけの状態でした。

 この土地を何故買ったか?は、利益が出たとき、税金を納めるのに、金を借りる
必要性が・・・
国金(現政策金融公庫)の担当者が「社長、形だけでよいので担保を提供して
ください。家はダメですか?」と言うので、家だけはダメと断り、考えておくと
返事をしたのですが、運悪くと言うかタイミングよくと言うか・・・
この土地の持ち主が ある日 尋ねてきて「私は小学生の頃まで野中町に住んで
いて、山裾に相続で貰った家屋と土地が有るのだが借って欲しい」と事務所を
訪ねてきたのです。
”約180坪を経費込みの250万円で”と言うので 住宅地図で場所を教えてもらい
土地勘が当然あったので 物件を見ずに購入、それを担保に供したのです。

 野中町の土地に除草剤を撒き終わり、次いで前島町の管理している借家の横の
畑へ行き、ジャガイモ掘り、 今年は煮崩れし難い、メークイン1本に絞って
植えました。 掘り終わった後は借家廻りの除草剤撒き、そして畑の草引き、
雑草は世話をしなくても直ぐに伸びます。
妻と2時間ほどかけて 作業が終わったのが昼を廻り2時頃、帰ってシャワーを
浴び、缶ビールを飲みながら アースモンダミン女子ゴルフを観ます。
妻は「K子が好きな ブルーベリーと、ズッキーニ、玉ねぎ、それに今日掘った
ジャガイモを送ってやろう。孫にはお菓子を買っているので、それも一緒に」。
などと言って宅配便で送ったようです。

ジャガイモ掘りの様子。