夢音(ゆのん)~風のおるごーる~ atelier JUNON

~想いをかたちにするために~
天然木を使った、オルゴール作家

ありがたいです

2024-05-11 09:28:30 | つれづれ
昨日もたくさんの皆さんが

会場に足を運んでくださいました。

昨年からの御縁の方

初めてご覧になった方

友人知人。

ああ何ともありがたい事です。



作品をもっともっと豊かに

表現広げて行きたいです。

夢や希望には翼がついているんです

その翼を羽ばたかせるのは自分自身。

さて

どのような世界を作って行きましょうか?

ワクワクして毎日を過ごしています。




どんな時も

それはブレることはありません。


今日も晴れやかな空

素晴らしい朝

喜びの音色を奏でられますように。



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創作人生

2024-05-11 06:33:37 | つれづれ
人生にはレールもないし

決まった道もない

今話していることは今の最善だけど

人の繋がりや関わりは無常の中に存在しています。

海の水の中と同じで。

私がずーっと貫いて来たのは

無常というものが存在するからです。

諸行無常

流れる水の流れを無理に変えることはできませんが

ただ

その無常の中で

流れに沿いながら小舟を作ることはできるものです。

小舟が少し穏やかな流れに入れば

補強したり創意工夫して船を少しばかり大きくすればいいと想います。

しかし自分の乗る船を身に合わぬ巨大なものにしようとしても坐礁します

海路図を描いているのは人生では自分しかいないからです。

共に船に乗り操舵する時は信頼関係が必須

それだからこそ嵐も乗り越えられます。

もしも信じてもらえない人が乗っていたら船は転覆するでしょう。

船長の経験や感や様々な危機を乗り越えた経験や学びが大切で

理論理屈だけでは航海は難しい。

いろんな船の船長が陸にあがれば乗組員達は次にどうするのかなと観察したりしながら

自分の船の規模や

行く先を考えるべきですね。

身の程を知ることこそ大切。

身の程を知れば

海路図を誤ったり

船の大きさを理解把握できなくて坐礁することもありませんね。

それをずーっと若い頃からのいろんな経験で学びました。

謙虚に身の程を知りながら最善を尽くすことこそ

大切な人生の歩み方だと想っています。

人の言葉はその人を信頼するからこそ信じていられます。

自分の発する言葉も同じこと。

発した言葉の責任は取らねばなりませんが

発せられる言葉の変化やその裏にどのような人間関係や繋がりがありその言葉に至るのかを

理解していなければ

次の予測は立たないでしょう。

ああ次はきっとこのように変化していく言葉だなと思えば果たしてその通りになる

確かめるためには

予測した言葉を自分から発してまっすぐに質問してみる。

そこに愛や信頼があればなおさら。

視線を離さず。

人はとても正直です。

目は語るし言葉は心の現れです。

自分の言葉もそうです。

微妙に変化していく言葉があればそれは心の揺れなどがありますよね



船団は信頼関係。

自分の事を心底信じてくださる船があれば船団を組めるが

組めない時だってもちろんありますね。

それは人を責めたりすることではないし

どんな人にも大切な人生があり

それは相手も同じだからです。

自分だけが尊ぶべきものではないからです。

尊重すべきは自分だけではなく人も同じ。

人にも人生の大切な航路があるからです。

有耶無耶には決してできませんね。



対立や疑いからは破壊しか生まれないけれども

協調や信頼からは違うベクトルが生まれ

そこには想像以上の何かしらが生まれてきますね。喜びも倍増します。

そんな人としての小さな基本的な事が

人生の航海においてはとてもとても大切なことであるなあと歳と共に感じます。

人を愛し信じて臨む世界には愛ある世界が生まれますし

策略や軽蔑、疑い等の基礎の上には何も生まれない事を経験でわかったりするものです。

この場合の愛とはちょっと哲学的なものですが。



これから歩む時に

どこまで自分が本当本物の気持ちで作品づくりに臨めるかは

自分の想いの中の世界をなるべく純粋に構築しておくことだなと信じています

完璧になんてないけど

失敗することもあるけど

とんでもない天変地異も最近は起こり得ます。

それでも自分はいろんな事を信じて信頼したならば

その豊かな世界をこの世界に表したいと想うだけ。

理解するには会ったり話したり相手のことを知ることも必要。

それがいろんなものを生み出します。

しかし相容れないと想われているならばいくら話そうとしても無理に話せないし

そこは努力のしようがない。

そこで相撲を取ろうとしてもいけない。

流れに身を置き身の程を知り

無常を感じることは大切なことだと想うのです。

諸行無常。

どんな事も。



私のおるごーる達は

愛ある世界を表すだろうし

これからもそれは自分の想いの世界なので

その芯は変わることはありません。

しかし自分の存在は無限ではない。

環境というものは

無常を意識しておかねば

本当に、よろこびや希望を持ち歩む事はできないと想っています。



次男の決断を聞き

私は彼の人生の中の流れを見ていました。

親子であっても同じ流れなど存在しないし

黙ってその人生を自分の存在しうる間見守る他はないでしょう。

それは他の子どもたちも同じこと。

しかし

愛こそは

大切な存在を守り慈しみ育む基本だと信じているし

子育ての中私が人生で学んだことは

無償に与えて育てていく喜び

愛して愛して行くことの喜び。

それは無限で尽きることはないし

憎しみや破壊からは暗闇の限界が現れますが

愛は様々なものを産み育てていくし育みます。

どんな困難が来ても

それを助けると信じています。

陣痛を越え

産みの苦しみを経て

育てる苦難や喜びを経て

それは人でもものづくりでもどんな事でも

男でも女でも

変わらないと想います

出産とかに、限られることではない。

血の繋がりとかだけでもない。

愛ある人生がたとえ無常の中に存在しているとしても

ただひとつ

光のような心に輝きがあれば

喜びを見出しながら手を取り合いながら

いろんなことを学び歩んで行ける気がします。

策略とかじゃなく

ノウハウとかだけではなく

想いの底から本当のきもちで取り組む大切さがあると想うのです。



私はそれを行いたい。

尊大なる存在でもなく

「ただの自分」であると

わかっているから。





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