思わぬ若い頃の夢を見て
ふと想いました。
若い頃


不安ならば闇雲にその不安で押しつぶされるようになり
とにかく身体を使いハードに働いたものでした。
年齢を経て
若い頃ほど体力なくなってきますと
ただ闇雲に動き回ることはできませんね。
でも不思議なことに
いろんな対応を身につけたり
学んだりしたり経験してる事で
知恵も付きます。
年の功?(笑)
これで困ったらよ~し
次はあーして見ようか
それでだめなら次はそっちだ。
みたいないろんな引き出しが知らない間に増えてます。
もちろんにっちもさっちもいかなくなれば
助けて〜。っていうのも大切で。
誰に?って言うものではなくて
他者に頼る、任せると言う手段もあるんだなと言うことがわかるのも年齢な気がするんです。
いろんな立場の方でいろんな悩みもあることを聞きます。
事業者の方なら後継者作るのも大変だと色々話を聞きました
芸術分野なら1代だろうと笑われます
確かに。
でも作家は一代でもうちの工房は続く。
そこから私の想いを引き継ぐ作家も出てくる可能性は高いです。
色々ありますね。
他者に助けてもらうといえば
ただ単純に何でも依頼するとかそういうことではないです。
例えば材料調達のために家具屋さんとか他の業種の方との情報交換したり
いろんなことを相談できる人がいるという事は
ある意味他者に頼ってる部分もありますよね。
年々繋がりも増えてきますから。
若い頃なら全部自分で走り回り調達し一人で、自分が自分が、と、我を張る事はエネルギーになりますし機動力になりますけど
それは自然と落ち着くし
自然なのだなあと想います。
植物が芽吹くときのエネルギーと同じですよね。
硬い種子の殻を破り生まれてくる訳ですから。
段々とどのような植物になって行くか、どんな養分水分を得るか、でその成長のスピードや成長の仕方、根のはり方は変わりますし
樹木になるのか一年草なのか
花壇の薔薇になるのかススキとなるのか
山に生えるか草原か海辺の砂浜に這うか
いろんな生き方がありますよね
私は植物や樹木を見ているといつもそんなことをふと想います。
はて
私は何なのかなぁ?って。
そうするとしんどいことも割と楽しみになってきたり。
自分の行き先を想ったり。

創作の過程でいろんな問題にぶつかったり悩んだりします
そんなことは日常的なんですけど
今度はどんなふうに突破しようかなぁ。とか
今の発想をかたちにするためにはどんな材料がどれだけ必要なのかなぁとか
うわあ~。今の状態じゃとても大変だ。とか。
じゃあ無理なのかなぁ?
いやいや、もしかしたらこっちから攻めたらどうかしら?とか
高価な材料費足りないわ!と、想うと
今はこの代替ないかしら?とか。
毎日毎日
考えることは山積。
それを苦痛に想うなら今の創作はとてもできませんし続けられないです。
決まった材料が目の前に揃っていて安定的に作ったり描いたりできるならばそんなに苦しくないけど
あれがない、これがない
そんなばかりの初めてのジャンル。
昨日も、
初めて画廊でこんなかたちのおるごーるを展示されたのは勇気いるね。認めてもらえるの?
と、何年も来てくださる方にご心配頂きました。
認められるとか価値とかは作家にはさっぱりわかりません。
死ぬまで認めては貰えないかもしれないし
そのうち消えちゃうかもしれないし
逆に人気出たりするかもしれないし。
けれどもそれは作家の表現したい情熱が灯っている限り続く気がします。
年齢のおかげで
こんな作品してみたい
作ってみたいと想うとき
いろんな創意工夫も出てきます。
つくづく経験とか年齢って
いいものだなあと想えます。
今しかつくれない、表現できない世界を今作ればいいので
そのためには今できることを総動員しますし
それが煩わしいと思い出すとできませんし。
面倒なこと。しんどいこと。つらいこと。
それらと仲良く同行しながら歩んで行くことは
私はみそらママや他にもたくさんの友人や
先日も出雲のお友達からも学びました。
周りにはそんな先生たくさんたくさん。
いいことは真似したいけどなかなかできなくて。(笑)
私はそんなに根性ないなあ。とも想います。
それでもそれを個性と想って自分がきつく落ち込み過ぎないようにしなきゃなあと
広島の応援してくださる先生からも学びました。
これ程いろんな皆さんからあたたかいお気持ち頂けるのも
感謝しかありません。
ああ
今日も普通に目が覚めて
特段辛いところも今のところありません。
最高です。
山口の画廊での毎日を
明るく楽しく過ごさせて頂きます。
さて
私のこれからはどうなっていくのか。
皆目検討もつきませんが
それでも毎日毎日一歩ずつ
前に向かって歩んで行きたいなあと想います。
