何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

やっと難病申請できた

2014年12月20日 04時53分08秒 | Weblog
日々寒さが身にしみてきます。霜の降りる朝から凍りつく朝に変わってきましたが、千切れそうな指先を暖めながら散歩は続いています。介護保険手帳はもらったものの一部負担のお金が捻出できず、まだどういうリハビリをすればいいのか近くのセンターに介護相談にも行けてません、だからと言って何もしないのではチャレンジャーではないので、一週間ほど前から、ただ歩くだけの散歩ではなく、膝を腰のあたりまで高く上げて、足を下ろすときは思いっきり強く大地を踏みしめるようにしている。辛いから楽にしてやるのではなく、辛いところに負荷を掛けて刺激を与えてやる。そうしてしばらくしたら普通に歩く。実際には何も変化は無いのかも知れないが、少しバランス感覚が戻るような気がして続けている。人が前向きに行うことに成果は無くても無駄はないと信じているから。
歩いている姿は、不細工そのもの。想像してみてください、60過ぎた爺さんが、腕を大きく振って、膝を腰の位置まで上げて、その足を力いっぱい振り下ろしてガックンガックンしながら道をあるいています、この爺い、何やってんだ、きっと道で出会う人は思っているに違いない。ちょっと前までだったら恥ずかしくてこんなこと出来なかった、今はどう見られたっていい。
唄える時間を延ばす為だったら何でも出来る。

昨日午前中に、福祉会館と健康センターを行ったり来たり。やっとそろった難病申請の書類をもって申請を受理してもらった。審査されて通知が来るのは2ヶ月も掛かるらしいが次の診察が2月24日だからそれまでには間に合いそうだ。小脳萎縮を遅らせることが出来るかも知れない薬を試すことがやっと出来るが、2ヶ月先だ。
前にも書いたが、お金が無いというのは不自由なものだ。
受理を終えたところで、難病の人で収入の少ない人にはわずかながら(数千円)補助金が出るらしく、担当の人が申請書類をコピーしてそろえてくれた書類を持って福祉会館に出掛け、その申請も済ませた。わずかなお金でも今の僕には大助かりだ。
そこの窓口で、生活保護の相談をしたいといったら、相談窓口は二階だと教えられた。

これからの事を考えて、相談したが、生活保護を受けることはやめることにした。
今生活保護を受けている人達が一ヶ月にもらっているお金は、僕と典子さんの稼ぐお金よりはるかに多い。病気に掛かる費用も全額出してくれて、それに加え家賃まで張ってもらえるそうだ。生活保護を受けると金銭面の心配はすべて解消される。
保護を受ける事をやめた理由は、車を持ってはいけないし、レンタカーを借りてもいけないと言う事。これからのライブ活動をあきらめていない僕にとって車は手放せない。ライブ活動の事だけじゃなく、歩くことは困難になりつつあるが、今のところ車は普通に運転できるので、生活には欠かせないものだ。
寝たきりになるまでに、生活の為に借りたローン会社の借金や全国の仲間からお借りしている借金を返して、典子さんに金銭的苦労を掛けない状態にしたい。

思いだけじゃなく、やるしかないんだ。普通に働くことが出来ない僕は、音楽で何とかするしかない。
とにかく、今日出来ること頑張るぞー!。

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