何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

柿、柿、柿

2014年11月10日 17時57分19秒 | Weblog
先週はアパートの美観部や各棟の清掃のお手伝いが続いた。
アパート内の遊歩道には、あちらこちらに柿の木が植えられていて、すべての木に沢山の実が食べ頃に実のっている。
清掃のお手伝いの後は毎回、柿の実を頂いて帰るものだから食卓には何時も柿が置かれている。

基本的に我が家は木に実った物(果物類)は食卓に上がらない。何日か食卓の飾りになってしまっている間に、一個の柿の実が完熟状態になっていた。捨てるのはもったいない、柔らかくなった柿の実の皮を少し破って、その穴に口をつけて、ジュルジュルっと吸った。
口の中に上品な甘さが広がった。お菓子とは違う優しい甘さが、口一杯に広がると同時に少年時代の風景がよみがえってくる。
三重県の祖父母から大阪府貝塚市に住む両親に引き取られたのは五歳の時。両親は農家の一軒家を借りて住んでいた。広い庭には柿の木が一本植わっていた。三重県の山奥で遊び回っていたのでまだ五歳だったが木登りは上手だった。親にも馴染めず友達も居ない僕は柿の木に登っては一人遊んでいた。
小学生になっても、大阪に馴染めない僕は一人遊びと木登りを繰り返していた。
木登りをしなくなったのは、僕の増えた体重に柿の木の枝が耐えられなくなって、折れた枝と共に脳天からまっ逆さまに落ちて、気を失いそうなぐらい痛い思いをした事、そしてビートルズをラジオで聞いて衝撃を受けて音楽にのめり込むようになった頃。
折れた柿の木とビートルズが僕の人生を決めた。
そう言えば、ギター一本持って、片道切符で東京に来たのも秋だった。

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