拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

あのベンチ

2024年01月19日 | 日記
1月14日(日)晴れ



一週間前1月12日の金曜日
あまりテレビは観ない私が!
何気なしにつけたテレビのNHKで
琵琶湖の”あのベンチ“座る人の思いとは?

 ドキュメンタリー2024年1月9日からの72時間、
一つの現場にカメラを据え、そこで起こる
さまざまな人間模様を72時間にわたって
定点観測するドキュメント番組が
一週間前のこの時間に放映されていました。

あのベンチに座ってみたくなって
彦根市の琵琶湖畔を訪れてきました。



彦根市の琵琶湖畔にある ”あのベンチ” です。
近所の方が「琵琶湖をゆっくり眺めたい」
「来た人にもゆっくり眺めてほしい」の
思いから設置されたそうです。



ベンチの前は青く綺麗な琵琶湖が拡がり
東の方には雪を被った伊吹山




いい眺めですねぇ~





琵琶湖の”あのベンチ“座る人の思いとは? 
2024年1月9日 ドキュメント72時間、一つの現場に
カメラを据え、そこで起こるさまざまな人間模様を72時間に
わたって定点観測するドキュメント番組でした!

自転車で琵琶湖を一周する「ビワイチ」コースだそうで
一周200キロで現在2000回廻って地球一周を超えられたと言う人
人生に疲れ会社を辞め琵琶湖を眺めに来られてる人
バイクで日本一周されながら訪れられた人
病気でご主人を失くされた女性とか
さまざまな人間模様が放映されていました。
(私が観て記憶してることで多少間違ってるかも知れません)

訪れてみたが、ゆっくり座る間もなく次々と
多くの人が訪れられていましたので



湖北のコハクチョウも撮りたくて
さざなみ街道を北へ米原から長浜の湖北まで走って
湖北野鳥センターまで行ったがコハクチョウは見ることも出来ず
前回作の奥の洲や幻の道を撮って再びさざなみ街道を
南下して ”あのベンチ” へ帰って来た。





落陽はもっと右(北側)と思っていたが
この日は左の端に沈んでいく


昼も多かったけど夕刻でもこの様に駐車場は満車!


車を駐車する駐車場所も中々空かない



何とか駐車できて


日没の僅かの時間に ”あのベンチ” も空いて
ゆっくり座ることができた。







やがて西の山蔭に日は沈んでいく
琵琶湖の夕景をはじめて夕景を撮ることが出来た。
日没がはやいこの季節でも岐阜県から京都・大阪を抜けて
和歌山の自宅まで運転はチョットしんどいです。
でも!朝起きが遅かったので居眠りも無く
無事に帰宅することができた。

ありがとうございました。


コメント (14)
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奥の洲へ幻の道 

2024年01月17日 | 日記
1月14日(日)晴れ


琵琶湖に浮かぶ水鳥の楽園の奥の洲(おくのす)
今話題になっているのが!雨が少なく琵琶湖の水位が下がり
湖底に沈んで見えなかった奥の洲への幻の道が
14年ぶりに出現したと言うことです。

奥の洲は陸地から200メートル程離れた
琵琶湖にある小さな島ですが!
昨年からの雨不足で琵琶湖の水位が下がり
陸地と島が繋がって歩いて行き来できるようになり
普段は見れないので幻の道と言われていたが
12年ぶりに見えるようになりました。



湖底から現れて長靴が必要な道かと思っていたら
砂地でスニーカでも歩ける乾いた道でした。
柳や葦で覆われた島も一周できます。
遥か彼方には竹生島も見えます。

昨年の12月時点ではマイナス60センチ位が
1月14日観測ではマイナス78センチになったそうです。

知り合いの写友さんは12月に幻の道を渡って
ここ奥の洲を一周してコハクチョウも
撮られ発表されていました。

この日は二日前の金曜日のNHKテレビ
ドキュメント番組で琵琶湖畔72時間琵琶湖畔の
あのベンチ何を思って座るのか?」をやっていました
それを観て彦根市の琵琶湖畔の「あのベンチ」を撮りに訪れ

更に足を延ばして長浜市湖北の
水鳥センターへコハクチョウを撮りに行ったが

コハクチョウは観ることが出来ずにオオワシを
望遠鏡でみることができましたが!
写真は撮れなかったので!



野鳥センターに飾られていた剥製を撮って!
帰り道に奥の洲へ寄りました。

奥の洲には船で渡って僅かの人しか訪れなかったが!
陸続きの道ができ多くの人が訪れて騒ぐので
コハクチョウ等の水鳥は恐れ警戒して
見れなくなったそうです。
私も一羽の野鳥も観ることが出来ませんでした。

次は奥の洲からの帰り道です。



ご覧の様に広々とした道幅の道です。(奥の洲からの撮影)



正面には雪を被った伊吹山です。



湖底から現れた道を奥の洲へ行く人 帰る人です。



左(北側)へカメラを振ればこんな感じです。



奥の洲から撮った雪の伊吹山を背景に琵琶湖

自宅から長浜市の湖北迄の走行距離は200キロ超で
帰りに更に「あのベンチ」から夕陽を撮って
この日の走行距離は412キロで無事帰宅

次回は「あのベンチ」を投稿します。
ありがとうございました。
コメント (6)
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シャポン玉で遊びましょう

2024年01月16日 | 日記
1月3日(水)曇り


1月1日 能登半島地震発生
1月2日 羽田空港日航機の衝突炎上事故
何という2024年の新しい年の幕開けでしょう!
テレビでは悲惨な事故のニュースばかり!



正月はゆっくり寝転んでテレビでも観ようと思えども
悲惨な現場からの映像が繰り返し流されて
寛ぐ場も無いと思うのは私ばかりだったでしょうか?
チョット出かけて明るい光景はないものかと?
和歌山四季の郷公園を訪れてみたら



曇天にも拘わらず七色のシャポン玉が
膨らんで大空に向かって舞い上がっています。














シャポン玉は直ぐに壊れて消えるけど!



夢が大きく膨らんでいいですね。




お兄さんが膨らませた大きなシャポン玉に



子供たちは顔を近づけて



息を拭きい掛けると





大きなシャポン玉の中に小さなシャポン玉ができる


尊い命を一瞬に奪われた人々
倒壊した家屋の下に助けを求める人々
被災は何とか免れて不自由な避難生活をされ乍ら
命が尽きる方もいらっしゃるとのこと

童心に帰って子供たちとシャポン玉の
大きく膨らんで舞い上がって壊れて消えていく

「人生100年時代」と云われて久しいが!
日本では聖路加国際病院名誉院長で日野原重明先生が
2002年頃から使用されていたそうですが!
日野原先生は105歳で亡くなられた。

現在日本の平均寿命は男性が81.05歳女性が87.09歳
健康寿命は男性72.68歳女性75.68歳
私は来月83歳になるが
お陰で職場にフルタイムで勤め
日常生活も人の手を借りずに出来ているが!

自然災害や人災が多発する昨今
シャポン玉のように何時消滅するか分からない命
大切に有意義に楽しく過ごしたいものです。

ありがとうございました。
コメント (2)
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すさみ海岸からの夕陽

2024年01月10日 | 日記
1月5日(金)晴れ


前回作品の串本町大島からの帰り道
国道42号の海岸沿いの道路から綺麗な夕陽が観え
車を空き地に駐車し撮ることにしました。











海岸沿いにススキが繁茂してる




自生する水仙を逆光で





雲に隠れたと思った太陽が雲の下から



顔を表したら達磨夕陽のお膳立て



元旦の能登半島地震で
尊い命を失われた人のご冥福を祈り


未だ行方不明の方々の一日も早い発見と救済


被災され避難所生活を強いられ不自由な生活をされてる
多くの方々をお見舞い申し上げます。





このユニークなオブジェは何でしょうか?
すさみ町はイノブタの生産地です。
ここの近くにイノブータン王国があります。

※ イノブタとは?
イノシシの雄と豚のメスを交配させて
誕生したのがイノブタ
美味しいイノブタ料理があります。


逆光で未熟で撮影失敗で分かり難いですが?
「突然の大波に注意 救命胴衣常時着用」
磯釣りが多いこの地域の釣り人への注意です。

人生百年と云われる時代ですが?
いつ何時!何が起こるか分からない
自然災害や人災も多い日本

今日も無事に生かされてることに
感謝!有難いことです。

先が見えない人生 一日一日を大切に楽しく
有意義に過ごしたいと思います。

ありがとうございました。 


コメント (2)
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串本町大島

2024年01月07日 | お出掛け
1月5日(金)晴れ


正月休みの続きでこの日も休日
南紀串本町の大島に水仙が咲いていないか?
訪れたらご覧の様に満開で見頃を迎えていました。


串本町は本州最南端の潮岬や橋杭岩の名所がありますが!

ここは串本 向いは大島 仲を取り持つ巡航船
アラヨイショ ヨイショ ヨイショヨイショ(^^♪ と

唄われていた民謡「串本節」の紀伊大島です。

串本から橋杭岩が連なる向こうにありますが!
以前は巡航船で行き来していましたが!
平成11年にくしもと大橋が完成し本土と道路で繋がり
車でも自由に行けるようになりました。

ここ大島は古くから外国との交流がなされていて








ピラミッドや獅子頭のような奇岩が浮かぶ海岸の海金剛


此方にはトルコ記念館もあります。





今から百数十年前の明治23年9月16日トルコ国の
軍艦エルトゥールル号が暴風雨のため岩礁に座礁し難破
乗組員69名は集落の島民の献身的な活動で救助でされたが!
580余名の尊い命が奪われた海難事故がありました。
引き上げられた遺体をここの丘に埋葬された



翌、24年に和歌山県知事をはじめ、
有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立された
現在も献花が絶えたことが無いと言われています。

それをきっかけに日本とトルコに深い友好の絆が結ばれて
イランとイラクの戦争の際に48時間後に迫った攻撃。
イランに取り残された日本人215名。そのとき、
トルコから駆け付けた救援機2機により全員イランを無事脱出

※エルトゥールル号事件は「海南1890」のタイトルで
映画となり2016年に全国で公開されました。




エルトゥールル通りがありトルコ人の経営する店もある




その先にはトルコの英雄ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像


「国の平和 世界に平和を」と刻まれている。



ここの広場のあちこちに水仙が咲いている




「日本の灯台の父」リチャード・ヘンリー・フラントン(英国人)が
わが国で初めて手がけた石造りの洋式灯台で
明治2年3月着工、明治3年9月から点灯されて
現在も現役で点灯され続けています。


白い樫野崎灯台です。



ここ大島に咲いてる水仙は英国人技師が当時
遠い故郷を偲んで植えたのが始まりだそうです。




トルコの初代大統領でもある英雄アタテュルクが
指さす向こうには太平洋が拡がっている。


ありがとうございました。 - taku -
コメント (4)
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