拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

やまゆりとオニユリ

2024年07月30日 | 日記
7月23日(火曜)晴れ


昨年初めてお会いした「やまゆり」にお会いしたくて
今年も藤原宮跡の蓮を撮った後に松阪市の
やまゆりの里へ二度向かいました。


最初は15日に訪れましたがその日は途中から雨が降り出し
三重県は豪雨注意報と共に雷雨注意報が発令され
狭いカーブが多い山間部で大雨が降り続き



見通しが悪い道をスマホナビを頼りに
大雨の中をやっと訪れたが?



蕾が多くてポツリぽつりとの咲き具合でした。




15日の雨の止み間に撮った分



昨年「やまゆりの里」をご紹介下さった方が
写真サイトで「20日~21日頃に見頃を迎えると思います。」
「その日にいらっしゃたら他の場所もご案内します。」
と、私の作品へコメント頂いていましたが?

その日は義弟の葬儀で急遽九州に出かけることとなり
「やまゆりの里」を訪れることは出来なくて
この日に訪れることになりました。



松阪市は霜降り黒毛和牛の美味しい松阪牛で有名ですが?
市の花は「やまゆり」で道路沿いで見かけました。

カーナビでは検索できない山間部の狭い道
スマホナビでも彼方此方探しやっと検索できた山の中



4~5台程駐車出来る小さな駐車場



車を降りた途端に素敵な芳香が漂い
「やまゆり」が咲いているのが直ぐわかる



道路沿いの斜面に「やまゆり」と共に「オニユリ」も咲いてる。




ゆりの王様と言われ日本の古来から



里山に自生する大輪のゆりは貫禄がある


白地に黄色い筋の「やまゆり」に混じって


珍しい赤筋の「やまゆり」も見かける





白地の「やまゆり」に混じってオレンジの「オニユリ」も













私にこのやまゆりの里をご紹介下さったAさんは
写真サイト” ZUISO "で 「やまゆりの郷」の
タイトルでアップされていますが?

ここの近くに「やまゆり」が咲く場所が4ヶ所あるそうです。
来年度は其方もご紹介してもらいたいと思いますが?

我が家からここ三重県松坂市の山間部までは片道156キロ
全て一般道路ばかりなので3時間以上かかります。

果たして一年後に84歳の私が
それだけ運転できるかどうかが疑問?
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大和三山と蓮

2024年07月26日 | 日記
7月23日(火曜)晴れ
連日厳しい暑さが続きこの日も早朝から気温が上昇
奈良地方も今日は35℃を超えて猛暑日になるとの天気予報
今年は綺麗な蓮が撮れていなかったので関西で最後に見頃を迎える
奈良の橿原市にある藤原宮跡の蓮田に出かけた。
駐車場で車を降りた途端に汗が吹き出る!

奈良盆地の大和三山に囲まれるように昔都があった
藤原宮跡に咲く蓮が見頃を迎えていた。
大和三山とは畝傍山(うねびやま)香具山(かぐやま)と
耳成山(みみなしやま)の三つの山のことである



青空にぽっかり浮かんだ白い空




蓮田の東側にあるのが香具山



遠くには葛城山系を背景に



西側にあるのが畝傍山





大和三山で一番高い山(199.2メートル)




次に北側にあるのが耳成山



大和三山ではありませんが!大阪との府県境にある二上山!



周囲を山々に囲まれた大和盆地




色んな種類の蓮が綺麗に咲いていたが!








35℃を超える危険な暑さで汗が流れて
ゆっくりと落ち着いて撮っていられないので
早々と退散し車に逃込みエアコン!

その後ヤマユリを撮りに三重県松坂市へと走る
ヤマユリは後日アップさせて貰います。
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妹婿との別れ

2024年07月23日 | 日記
7月19日(金)晴れ


前日熊本に住む妹(次女)から妹婿の訃報が届き
20日同じ和歌山に住む妹(三女)と一緒に九州熊本へ向かう
早い飛行機にするか?便利な新幹線にするか迷ったけど?
新幹線に決めて和泉砂川駅から「特急くろしお」新大阪迄行き
新大阪から山陽新幹線のぞみと九州新幹線つばめを乗り継いで新玉名
新玉名駅には妹(次女)が車で迎えに来てくれていた。



妹(長女)は聾唖者で結婚した旦那も聾唖者
聾唖者同士の夫婦で日常生活や子育てと厳しい前途?
周りはいろいろ心配し危惧していたが?

二人で仲良く協力し合って3人の子供に5人の孫に恵まれ
子や孫たちは優しく賢い立派な大人に成長してる
娘には夫婦でグァム等海外旅行に連れて行って貰ったり
孫は札幌雪まつりに連れて行ってくれたり
私など他の兄妹は誰も行ったこともない国内旅行へも!
妹(三女)が「お姉さんが一番幸せな人生を送ってるなぁ~」
その旦那が94歳で亡くなっての通夜と葬式でした。


葬儀会場に珍しい物が現れた。「蜘蛛がいてる怖い~!」
妹が言うので見たが全長2cm位で逃げて行き何か分からない?



すると聾唖者の妹(長女)が「カニ!カニ!」と言って
聾唖者なので発音がぎこちなくて分かり難い!
掴まえて持って来てくれたので良く見るとやっぱりカニだ!

リニューアルオープンした会場にカニが来るなんて?
川が近いので時々入って来るらしい?


近くに菊池川が流れている



菊池川の高瀬大橋です。ここは幼い想い出があります。
昭和20年戦時中に空襲が激しくなり住居が危ない!
家財道具を積んでるリヤカーを父親が曳き!
母は二歳の長女を背負い私の手を引き
お腹には子供を身ごもってた。


住んでいた荒尾市から3里(12km)あまり歩いて
この橋を渡っていた時に空襲警報の鐘がなって米軍機が襲来
慌てて渡って土手の藪に隠れたことを思い出します。
ここから約1里(4km)程の所にある実家へ疎開途中でした。
その数日後に大牟田・荒尾が空襲に遭いました。





JR鹿児島本線の鉄橋の向こうの背景に雲に隠れてる雲仙


帰宅途中の新玉名駅のホームから見える雲仙です。
九州新幹線つばめで博多迄行き、博多から新大阪迄はのぞみ


「特急はるか」の車内




「特急はるか」の車窓から夕景


新大阪からは「特急はるか」へ乗車



耳が聞こえない!言葉が話せない!障害者夫婦!
住んでる町から金婚式のお祝いと記念写真を貰っていました。
結婚当時の昔は今と違って聾唖者夫婦に対しては
「つんぼ」や「おし」と陰口や後ろ指差され
世間の風当たりが厳しい時代もあったようだが
二人で力を合わせて素晴らしい人生で
幸せであったと思いながら!

〇〇さん妹の〇〇と幸せな人生を
送って頂きありがとうございました。


昨夜(22日)のお月さん
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地下タンク撤去

2024年07月16日 | 日記
5月20日地下タンク撤去始まる

会社廃業に伴い1月~2月にかけて先ず社員に辞めてもらい
続いて所有する建設機械(重機)や車両の整理を始め
次々と手放していく中で地下タンクも撤去することに決定



会社の事務所の横の敷地内のブロックで囲まれた片隅


ガソリンスタンドのような古い計量器があります。
起業してダンプカーや重機が増えるに従って
大量の燃料が消費されるようになって
一般のガソリンスタンドでの給油は支障をきたし
40年程前に自社の敷地内に地下タンクを埋設された。


その時に危険物の取扱の免除を取得し
危険物自家給油取扱所の保安監督者として
私の名前も消防署にも届け済で事業廃止と共に
危険物取扱所の廃止届も消防署に届けなくてはならない
その場合危険物を使用できないようにタンク内から油を抜き取り
洗浄した後にタンクを廃棄処分するか水とかを注入して
使用できないような処置をしなくてはならない。
何れも消防署の担当者の立ち合いが必要!

事業が廃止となった現在この跡地で利用するにも
危険物の大きな地下タンクが埋設されてたら
何をするにも困るだろう?と言うことで
地下タンクを撤去することになる。





危険物の軽油等残っていた油を全て抜き取り
専門業者にタンク内を洗浄して貰って
廃止届を消防署に提出する


後は土間を破砕し地下タンクを掘り出し撤去処分!
今まで自社でやってた工事の一部だけど!
重機を運転するオペレータは辞めてもらった現在
私一人では悔しいけど何も出来ないので
近くの取引業者と契約して工事を請け負ってもらう

奇しくもその業者は我社に以前勤められていて
退職後に起業された人の会社です。

その会社はユンボが不足し日立に注文されていたのが
工事が始まるのに合わせたように本日新車が納入されて来た。



そのユンボにブレーカを取り付けて土間の斫り






斫りが終わってガラを取り出したら油の配管が剥き出し



配管を取り除き更に掘削をはじめると!



一つ目のタンクが見えてきた 
容量10,000ℓ(ドラム缶500本分)入りタンク



続いて二つ目のタンク



更に掘削が進むと三つ目のタンクで合計30000ℓを貯蔵



そんなに燃料を使用するのかと思われかも知れませんが?
一日に1000ℓ以上使用する重機もあります。
因みに前回紹介したWA800の燃料タンクは1430ℓです。



取り出したタンクの一つ



作業中に傷んだ足場の土間や





タンクの下の基礎も破砕して取り出し




ダンプに積込んで排出し



土砂を入れて埋め戻し



傷んだ土間は締固めをして



コンクリート舗装する。



工事が終わり養生シート用に組み立てられてたビディの取外し



6月11日地下タンク撤去工事が終了して
全ての私の任務も終了しました。

忙しい時は100名近くの社員を雇用していましたが!不況で
元請け業者からの受取手形の不渡り多く資金繰りが厳しくて
数十億の負債で倒産に追い込まれた時期もありました。
その時は72名の社員が働いていました。

数日後倒産と決まった時にハローワークに出かけ所長に面会し
「営業不振でやむを得ず倒産となり事業を廃止で72名の全従業員
を解雇しますので宜しくお願いします。」と伝えたら
「それは困ります。地方の小さいハローワークで72名の解雇とは
とんでもないことです。思いとどまって下さい。」と言われたが!
どうすることも出来なく会社は倒産し社員は全員解雇となりました。

厳しい経営の中でも協力会社からの仕事の受注も多くあったので
社長は別会社を立ち上げ「ついて来る者だけでもう一度頑張ろう」
辞めて去った者もありましたが!残された者全員で頑張りました。

今回は倒産してどなた様にも迷惑かけた訳でもなく
綺麗に解散出来て廃業となりました。

そんな関係で厳しい時代も共に乗り越えてきた
社員の一人ひとりに多くの想い出があり
辞めていくのがとても愛しいです。
重機の一台一台も社員と同じで愛しくて別れが辛い
社長は私以上に辛い思いをされたと思います。

会社を立ち上げ起業する時は多くの夢や希望がある
会社を閉じ廃業する時は夢も希望も無くなってしまう。
でも!廃業は起業する時より数倍も難しい
一歩判断を間違えたら全てが無くなる
それも高齢になってからでやり直しが出来ない。

そんなことを考え失礼ながら廃業を社長に勧めた。

長々とお付き合い戴きありがとうございました。
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重機の整理 パートⅥ ブルドーザ D6 D7

2024年07月12日 | 日記
6月18日 (火曜)重機の整理も愈々最後となって来た


この日はブルドーザのD7と D6の積込みお別れ
排土板やブームとかトレーラの荷台から
はみ出す部材は先に分解し取外していたので


その部材をレッカーを段取りしていなかったので
我社のユンボを貸してトラックに積込み


このユンボは社長の意向で売却しない



1台のトラックに積込めないので


白いトラックにも積込む



部材の積込みに使用したユンボは我社の倉庫に帰る






今日はトラック2台に新車のトレーラも2台来てる


排土板等の積込みを終えて次は本体の積込み



ブルドーザの中型機のD6の積込み





続いてブルドーザD7の積込み







この日の積出はこれで終わり昼過ぎに出発




残りは同じブルドーザなD6 2台



続けて直ぐにでも引取りに来ると思っていたが!



トレーラの段取りが付かず


7月1日にやっと引取りに来てくれた





今回売却予定の重機は全て積込みが終わってヤレヤレだ!




当初から売却しないと決めていたユンボZX350とZX200
咲き終わったホテイアオイの池の向こうで並んでる

重機の整理する車両や重機の売却予定の80台余り
「投げ売りはするな!」と社長に指示され全てを託された
2月から始まって4ヶ月も罹ってしまったが?
2台の大型機を残して殆ど売却できた。
社長も納得して頂き嬉しいです。

これが最後の仕事と思い精一杯頑張りました。
社長と巡り会うことができて苦楽を共に
51年間歩み続けた人生でした。
お世話になり大切にして頂き
心から感謝しています。

売却して欲しいと言ってきた業者と此方の思惑の
相違でどうしても契約できなかった重機



その1台がホイールローダ WA700 総重量67060kgある。


もう一台は同じくホイルローダのWA800 総重量90700kg


WA800は関空埋立工事で購入した重機で


関空で作業中の写真です。



これはこの重機を購入する時のコマツから頂いた見積書です。
通常単価1億6千万円を5千8百万円値引きして
平成2年に1億2百万円での購入でした。

この重機はトレーラで回送できるように分解して
神戸港までの運搬が2百5拾万円で
海外への運搬の船賃が5百万円するそうです。
そんな関係で双方の金額の折り合いがつかず不成立になった。

日本の業者との交渉で上手く販売できなかった
今回の4台のブルドーザも海外に行くことになったが?
海外での売却先はまだ未定だそうです。
帰国してドバイとかにも行き取引して来るそうです。

重機の整理で2月から交渉を続け親しくなった
外人さんは実はスリランカの人です。
夫婦で一人の子どもを連れて日本に来て12年
日本で3人の子供が出来て6人家族
日本の学校が夏休みになったら
スリランカに一時帰国するそうです。

その時「スリランカに一緒に行きませんか?」
「私がアチコチよいところをご案内します」
「青い海がとても綺麗で紅茶が美味しいですよ!」
「あなたは写真が好きだからきっと気に入ると思います。」
と強く誘われています。

皆様には趣味のない重機の話が続きましたが
重機の整理は今回を持って終わりとしたいと思います。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

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