拓のフォト日記

写真付きで日記や趣味や日々の出来事等を
自分なりに判断し感想を記載してますので
どうぞお気軽にお越しください。

メタセコイヤ並木

2022年11月30日 | 日記
11月30
日(日曜)晴れ



ボケ老人のメタセコイヤ並木散策です。
メタセコイヤの綺麗な紅葉を撮りたくて毎年訪れてるが
中々思い描いたような綺麗な紅葉が撮れません。
今年も11月27日の日曜日に挑戦しました。

車で出掛けたら帰路で湖西道路とか名神道路の渋滞で
長時間運転に疲れるので今年は電車で行くことにしました。

特急くろしおと特急サンダーバードを乗継して
10時前にマキノ駅に到着予定でしたが!
身体障害者割引の手続きでの駅での乗車券購入で手間取って
特急くろしおに乗り遅れ1時間遅れてのマキノ駅に到着

マキノ駅からビッグランドの現地迄
コミューニティバスで行く予定でしたが?
駅前のバス停に行けば既に多くの人が並んでる!
こんなに多くの乗客は小さなコミューニティバスには乗れない
どうしよう?タクシーに電話したが今日は無理との返答
バスの発車時刻になってもバスは来ない
バス会社の人が来られて頭を下げ
「すみません!バスが故障して30分程遅れます。」

暫くしたらバスが来たのでみんなで喜んだが!
運転手が降りて来て「このバスは行き先が違いますが?」
「そこから現地まで歩いて30分程で行けます。」
「もし宜しかったらご乗車下さい。」
「それじゃ私たち載せて下さい」と2人、5人と
仲間の人と相談しながら更に増えて10人以上の人が乗り込んだ
30分と云われてるが自分の足では40分かかるかも知れない
休憩して歩いてたら1時間以上かかるかも知れない
そんなこと思って私は乗るのを止めた。

30分経ってもバスは来ない!残された人たちは不安になって
「ここで待つよりバスに乗って行ったらたら良かった!」
「ここから歩いて1時間程かかるらしいけど!」
「いつ来るか分からないバスを待つよりボツボツ歩いて行こうよ」
一緒に来られた仲間の人たちと話し合いながら!
歩いて2人で出掛けられる人がでた。
更に続いて3人5人10人と歩き始められた。
だが1時間も歩く自信がないので
歩くの止めてバスを待つことにした。

40~50人の行列も前の人たちがいなくなって残された20数名
「コミューニティバスだったら小さいからみんな乗れるかな?」
バスが来てくれても皆さん其々心配は尽きない。

暫く経ったらバスが目についた。
「あっ!バスが来たよ!大きなバスが来た」
あのバスだったらみんな一緒に乗れそうだ!」
「良かった!」「良かった!」みんなで手を叩いて喜んだ!

「遅くなってしまって大変申し訳ございません」
バスから降りてみんなに頭を下げる若くて爽やかな運転手

バスは走り出した。先に出発された人が歩かれている。
その横に停車して運転手は窓越しに首を出し
「遅れたバスなんですが?宜しかったら乗りませんか?」
「乗せて下さい!」と喜んで乗って来られた。
暫く行くと又歩かれてる人がいらっしゃる。
またバスを止めて呼びかけられたので乗り込んでこられ
立ち席も詰めて満員状態になったが?
「良かったなぁ~」「ホンマに良かったなぁ~」と
知らない者同士が仲良く声かけて笑顔が続く車内でした。
現地に到着して下車する時は皆さん其々
「ありがとう」「ありがとう」とのお礼に若い運転手は
「いえいえこちらこそ遅れて申し訳ございませんでした。」
現地への到着は大幅に遅れたが爽やかな車内のひと時でした。

それではメタセコイヤ並木をご紹介致します。
色ずきはもう一つで不満足でしたが!
最大115mの巨木が直線2.4kmの黄金のトンネルを走行する
綺麗な車を中心に撮ってきましたのでご覧下さい。





































慣れない電車の旅!往路にトラブルが多かったので
復路はトラブルに巻き込まれないように
13時28分のバスだけど早目の1時に
バス停に行ったら10人以上の人の行列ができてる
このバスに乗り遅れたら次は3時間後の16時28分だ!
マキノ発の電車は13時50分で湖西線は1時間に一本しかない

バスを待てどもバスは来ない!
メタセコイヤ周辺の道路は何処も大渋滞で遅れてる
何とか電車に間に合うようにバスが来て欲しいがバスは来ない!
電車の発車時刻になってもバスは姿さえ見せてくれない!


お腹空いたがレストランもカフェも満員で順番待ち
たこ焼き屋サツマイモ・パンとかの車が見えるけど長い行列
バスを待ちながらイライラしながらバス停で
気を紛らわせるために撮った一枚です。

1時間ほど遅れてきたバスに乗ってやっとマキノ駅に着く
何かを食べようと思いながら駅前で探すけど!
駅の横は郵便局で少し離れたところへ歩いて行ったら!
レストランとか喫茶店はあったが?何処も準備中



自宅で朝6時に食後直ぐ出発して何も食べずに
新快速の網干行きの湖西線に乗った!
いろいろあった日曜日だったが無事に帰宅できた。

今日で今月も終わりになった。
毎月毎日仕事にカメラにと忙しい日々を送っているが
何とか今月も無事に終えることが出来て
ありがたいことです。
健康第一です。
3日遅れのフォト日記でした。

最後までご覧戴き
ありがとうございました。




コメント (8)
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天理銀杏並木

2022年11月28日 | 日記
11月28日(月曜)晴れ
新型コロナオミクロン株ワクチン5回目の接種に
仕事を途中で抜けて行って来ました。
病院に行くついでにインフルエンザのワクチンも同時に接種
インフルエンザは初めての接種でした。

「どちらをどちらの肩に接種しますか?」
「どちらでもいいですよ!」
「コロナは接種後に腕が痛くなる人もいますので」
「利き腕でない方に接種しましょうか?」と云うことで
左手にコロナを右手にインフルエンザワクチンを接種した。


今日は二日遅れのフォト日記です。
11月26日(土曜)晴れ
今は紅葉が真っ盛りで何処かへ行きたいけど
何処も車の渋滞と人が溢れて行く気がおこらない。

家事を済ませてネット見てたら
天理の銀杏並木が今月いっぱい見頃とある
既に見頃は済んでいるだろう?と思いながらも
見頃は済んでも落ち葉が黄金の絨毯になって見頃だろう?
今まで行ったことないので行ってみようか?
昼過ぎてから出掛けて のこのこ 奈良県天理へ向かう

予想通りに銀杏並木の綺麗な銀杏は落葉していた。
期待してた黄金の落ち葉は箒で綺麗に履かれ
一部しか落ち葉も残ってない。

そんな中でいいとこ撮りして来ました。
























銀杏の黄金の絨毯は期待外れだったが?
何とか数時間撮影を楽しめた。
往路は阪和道から西名阪道路と高速で行ったので
1時間チョットで現地に到着したが!
暗くなったがまだ5時過ぎ!
この季節日没がはやい!

帰路はゆっくり一般道路にしよう
ところが一般道路は彼方此方で交通渋滞だ!
京奈和道に入るまで1時間以上も要してしまった。
奈良県は東西の道路は整備されてるが?
南北道路が未整備で連日渋滞してスムーズに通れない。
京都・奈良・和歌山を結ぶ京奈和道も奈良県内が
工事が遅れ全線開通は何時のことやら?
はやく帰れると思っていたが?
帰宅したのは8時前!
でも、今日も無事に帰宅できた。

一日無事安穏が一番有難い
最後までご覧戴きありがとうございました。



コメント (2)
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岡本太郎大阪展

2022年11月16日 | お出掛け


「芸術の秋」 「美術の秋」
季節は残暑厳しい夏の終わりから秋への変化の季節に
大阪中之島美術館で「岡本太郎展」が10月2日迄開催されてました。
私は終盤を迎える頃の9月23日に訪れて「撮影は可」でしたので
最初から最後まで撮って来ましたが画像の整理が出来ず
アップする機会を逸してしまってカードの中に入ったままでした。

旬が過ぎてしまったのでお蔵入りにしようと思ってましたが?
ブロ友さんが大阪の「岡本太郎展」は終わったけど、
今東京で開催中で来年は名古屋で開催されるので
遅くはない今が「旬」と励まされその一部を
ご紹介させて頂きます。

彼は絵画、立体、パブリックアートから生活用品まで、強烈なイ
ンパクトのある作品を次々と生み出し、大阪万博の核となる「太
の塔」をプロデュースし、晩年は「芸術は爆発だ!」の流行語
とともにお茶の間の人気者にもなった。彼は、戦後の日本の芸術
家としてもっとも高い知名度を誇るひとりでありながら、あまり
に多岐にわたる仕事ぶりから、その全貌を捉えることが難しい存
在でもありました。「何が本職なのか?」と聞かれ、彼はこう答
えます。「人間一一全存在として猛烈に生きる人間」。

それではご紹介させて貰います。



『傷ましき腕』1936年(1949年再制作)
大きく結ばれた深紅のリボンから突き出した右腕。切り裂かれた
傷口をあらわにしながらも、その拳は力強く握られている。戦後
岡本は「【傷ましき腕】などの一連の作品が、純粋なリリシズ
ムと同時に犯行と告発をびっつけているのは、当時のわたしのす
がたそのものである」と記している。パリにおける異邦人として
の気楽さと寄る辺のなさ、芸術表現への自信と不安といった青春
の苦悩が、拳を握る傷ついた腕として表されている。


『空間』1934年(1954年再制作)
暗闇の中に赤い裏地を見せてはためく布、その向かい
配された真っ直ぐな棒。布のしなやかさと棒の硬い質感
の対比が画面に緊張感をもたらしている。異なる質感の
比は、岡本が戦後提唱する「対極主義」を思わせる。
「『形』でない形、『色』でない色を打ち出すべきだ」
いう自信の言葉とともに。1934年のアプストラクシ
ン・クレアシオン(抽象・創造協会)の年鑑の、モンド
リアンの作品の対向頁に掲載された。


『コントルポアン』1935年(1954年再制作)
1937年に初めての画集『OKAMOTO』の刊行にあたり、それまで
無題となっていた作品に、評論家ピエール・クルチオンが題名を
つけた。本作《コントルポアン》もそのひとつで、音楽の「対位
法」(複数の旋律を調和させながら構成していく作曲法)をいみ
している。中央の緩やかな曲線の左右に描かれた、黄色の幾何学
的な形と、赤と白で表された有機的な形の対比が、異なる旋律の
呼応する音楽を連想させたのかもしれない。


『露店』1937年(1949年再制作)
色とりどりのリボンや腕輪、かざぐるま、ラッパなどが並ぶ露店
明るい店先とは対照的に、店の奥は薄暗い。そこに立つ売り子は
《傷ましき腕》と同じような真紅のリボンを頭に結び、客の方に
は目もくれず、うつむいたまま笛を吹いている。その内省な姿は
青春の苦悩を表しているかのようである。《傷ましき腕》とと
に1949年に再制作された本作は、1983年に岡本本人によりグ
ンハイム美術館(ニューヨーク)へ寄贈された。


『師団長の肖像』1942年
30歳を超えて徴兵された岡本は、10歳以上も年の離れた同
胞たち交じり、「自由主義者」のレッテルを貼られ、最前
での危険な任務を課せられた。そのなかで、一番過酷な
状況を求め、自信の運命に挑むようになったと回想する。
本作は、中国・河北省の応での初年兵時代に、漢口の司令
部に呼び出され命令として描いたもの。戦争末期に描いた
《眠る兵士》とあわせて、岡本の軍役時代を伝える数少な
作品である。


『眠る兵士』1945年



『憂愁』1947年
復員の翌年、この作品を描いたのと同じ頃、岡本は
の詩を発表している。そこでうたわれるものは
「心空しい時、ハタハタと鳴る、わが悲しみのあか
し―旗」が、自分の左右のこめかみのあいだにあら
われるという情景であった。岡本の自画像ともいえ
るこの顔のない褐色の肉塊は、戦争によって深く傷
き、すべてを失った作家の心象を伝えるるもの
ある。強烈な目玉のイメージと鮮やかな色彩を特徴
する岡本芸術に先がけた、戦後の出発点ともい
る作品である。


『電撃』1947年



『赤い兎』1949年
跳ねる赤い兎というモチーフは、岡本太郎によれば、自信の胸か
ら飛び出てきた「私の叫びであり、生命の象徴であり、生命の幻
影の造形」である。また、心臓を表しているともいわれる。前年
に発表した画文集には、似た構図のスケッチとともに、「赤い兎
/を/上げ/ま/しょう」という詩が掲載されている。父の死、対極主
義の発表と目まぐるしい動きのなかで描かれた本作は、芸術に生
命を賭ける岡本の決意表明ともいえ、読売新聞社主催の第一回日
本アンデパンダン展で安部公房に高く評価された。


『黒い太陽』1949年
左奥にある翳りある太陽と対峙するように、右手前に苦悶の表情
を人が描かれている。この作品の関連として書かれた詩には、
陽に届かぬ手を伸ばす人間の苦悩がうたわれる。岡本によれば、
「黒い太陽」とは、根源的な生命と切り離された人間の苦悩、
まり近代的なニヒリズムを乗り越え、失われた神秘を奪還するこ
とに芸術の課題があるのだと説く。



『夜』1947年
花田清輝らとともに、前衛芸術を研究する「夜の会」を立ち上
げた際、会の由来となった作品。短刀を背中に隠した少女が、雷
に割かれ燃える樹に対峙している。髑髏が覗く木の枝の全体が、
目を血走らせ牙をむいた邪悪な存在のダブルイメージとなってい
る。パリ時代に参加した、秘密結社「アセファル(無頭人)」に
よるサンジェルマンの森での儀式をほのめかしているという指摘
もある。本作の少女のモチーフは、この作品に先立って描いた
・かの子の遺作『生成流転』(1940年刊)の表紙にもあらわれる。


『作家』1948年
この作品のモチーフは、父・岡本一平であるとされる。
本作が描かれた半年後に一平はなくなることになるが。
岡本はその直後に刊行した『岡本太郎第1画文集アヴ
ンギャルド』を亡き父母に献じ、表紙にこの作品を
ている。岡本の絵画の特徴である、力強い線と鮮やか
色画を組み合わせた様式があらわれた最初期の作品であ
り、本作の線描に父の漫画からの影響を見る指摘もある。

※解説は当日絵画とともに提示されたそのままの文言です。
※誤字脱語変換間違いがございましたらお許し下さい。

まだ続きますが後日アップさせて頂きます。

ありがとうございました。

コメント (14)
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ナメゴ谷

2022年11月13日 | 日記
11月12日(土曜)晴れ


今日は朝から晴天だったのでナメゴ谷に行く
先日ナメゴ谷の紅葉が読売新聞に掲載されていた。

奈良県南部の上北山村に隠れ紅葉スポットのナメゴ谷がある。
昨年まで国道309号線を天川村からみたらい渓谷を通過し
ナメゴ谷に行っていたが?国道と云って道路が狭くて
対向車と対抗できない区間が数十キロ続くので
今年は五條から大淀を通過する169号線を
南下し上北山村に入る道を選んだが

自宅を出発して先ず京奈和道に入った途端に
渋滞して全く進まなくなってしまった!
これでは何時になるか分からない
京奈和道でU ターン引き返し

一般道を走行してたら国道24号線も事故で通行止め!
再び渋滞する中を京奈和道に侵入しての走行

奈良県内に入って五條からやっと予定のコースを走行
上北山村から右折して狭い国道309号線を
目的地のナメゴ谷へ向かうが?

国道でも狭い道路が続くので対向車が来たら
どちらかがバックして道を譲らなければならない!
何とか昼頃に辿り着いたが日当たりが悪く
霞かかかったようなボヤけた景観で

龍が天から降りてくるような画像を期待したが!
天候と時間の関係で撮ることが出来ず!
残念でしたが撮って来ましたのでご覧下さい。



尾根伝いに広葉樹が色づく










周りの山々も色づいて綺麗でした。





遠くに望は大台ケ原の山々です。




帰宅途中にチョット休憩 川上村の大迫ダム湖

今日は夕方に早目に無事帰宅できたが?
何時ものようにスーパー銭湯で疲れを癒して
家では何もすることなく床に入り寝てしまった。

昨日は雨で家に籠ってPCの前で皆様のブログを拝見したり
以前撮った未処理の画像を整理したりで一日が終わった。

平日は仕事で休日に撮った画像は整理出来ずに
溜るばっかりでUPも出来ないまゝです。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

コメント (2)
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橋杭岩のライトアップ

2022年11月06日 | 日記
11月5日(土曜)晴れ


今日は朝から良い天気何処へ行こうかと迷ってしまう?
串本町の橋杭岩が3日から5日までライトアップされてる情報
数年前にライトアップの時に満月を撮った思い出がある
午前中はブログやZUISOの皆様方の作品を拝見

数日前にアサギマダラが「和歌山の日高町にも飛来してる」
読売新聞に投稿されていたので気になっていた。
一度覗いてみようと昼前の早目に出発して
日高町「アサギマダラの谷」に寄った。

イベントは終り調査員の人が一人捕虫網を持って捕獲した
アサギマダラを調べたりマーキングされていた!
暫くアサギマダラの飛来地など教えて貰ってた。
次は上富田町にも寄ってみたら100頭以上の
アサギマダラが吸蜜していた。

その後に串本町の橋杭岩へ向かい夕方到着


日没前の橋杭岩


拝み岩の上の空には月も見えていた。




海岸には赤いハイビスカスが咲いてる



弘法大師と弟子が拝みあってるように見えるので
「おがみ岩」と呼ばれてる奇岩です。


西の空に日が沈む



愈々橋杭岩にライトアップの灯が照らされる!



橋杭岩は串本から対岸の紀伊大島へ向かい海中に850mに
直線に大小40余りの岩柱がそそり立っています。
大きな岩には其々名前が付けられています。






道の駅の駐車場の海岸沿いには多くの人が写真撮られていた。























7時まで撮影して帰路についた。
橋杭岩は私が移住してる県内ではあるが
淡路島の「あわじ花さじき」や京都の平安神宮より遠く
距離は150kmあり帰宅したのは9時を回って
往路で寄り道していたので本日の走行距離は362km
今日も一日撮影を楽しみ無事に帰宅することが出来た。

一日遅れの「フォト日記」最後までご覧戴き
ありがとうございました。
コメント (8)
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