Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

抽象度の低い宗教

2010-04-20 | 大本および深見
深見の教団の特色は、抽象度が極端に低い、という事だと思う。
非常に具象的で具体的なのである。

“神界はこんなだよ”と、深見がSFチックなピカピカした仮装をして、
大がかりな舞台を作り、神事を行う。

実は単なる深見の自己陶酔なんじゃないか、とも思われるけれど、
そんなこと考えてもいけないのである。

ともかく、彼の自己陶酔に神さまは降りる。

ディズニーランドのように作り上げて見せるのだから、
非常に分かりやすいのだろう。

神界は実際に、深見が演じるような
ピカピカした具象的な世界だ、というのが
彼の主張である。

ルーツは王仁三郎の仮装だと思うのだが、
王仁三郎には、深見に感じるようなナルシシズムの匂いはない。

***

深見の教えはノウハウで、こうすればうまくいく、という事が、
わりと具体的に語られる。

基本は“明るく、軽く、あたたかく”である。
神道は“明く、直く”だから、まあいいと思うのだが、

わたしにはその明るさが、地に足のついてない感じで
生理的にどうにもイヤだったのである。

…なんだろう。
本当は他人や周囲に興味はないんだけど、
自分が幸せになるために演じてる、という感じ。

わたしはイイコです、誉めてね☆
という感じがプンプン匂う。

…これって、悪口?

わたしは、あれは本当のものじゃないという、
理論的には説明のしようのない感じを受けるのだけど、

それはわたしの感じ方が異常なのかな? と
不思議なのだ。

教団の中にいてそんなことを言ったら、
“霊障”と決めつけられてしまう。
でも、一般にはどうなんだろう?
と。

深見の教団には、
違う価値観をヒステリックに“魔”呼ばわりする傾向がある。
でも、もっと本当らしい、公平な宗教や世界があるんじゃないか、と
思ってしまうのだ。

***

深見の教えは、うまくいくやり方を追及している。
それで本当にうまくいくのかは知らないけど。

…ってか、わたしはうまく行きたいわけではなく、
探求したいので。

わたしは抽象性の高い話が好きだ。
宗教とは、抽象性の高いものだと思っていた。

抽象性が高いほど、適用範囲は広くなる。
具体的だと、分かりやすくても他への応用が効かない。

“うまくいくやり方”を一つ一つ覚えていかなきゃならないけど、

“こうすればうまくいく”を、英単語みたいに
暗記しようとしている人間ほど腹の立つものはない。

それで、それを暗記しているのが
エラいと思っているのだ。

…悪口?

というかわたしは、“うまくいく”ために、
細かい行動をイチイチ規定されるのは苦手なのだ。

そんな事で脳ミソを一杯にしていると、
思索に使えないのじゃないかと不安にもなる。

抽象的な思想を“腑に落ちる”という形でに入れ、
それを根っ子にして、現実に適用しながら、
フリーハンドで動いた方がラクだ。

***

抽象を具体例に適用する能力、
具体的な事例から抽象を引き出す能力。
それが宗教的な素質のような気もするけど。

そうだとすれば、深見に甘んじている会員さんは、
宗教的な素質があまりない人ばかりという事になってしまう。

こういう考えの人間だから、深見のところとは
徹底的に肌があわないのだろう。

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