Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

侵略者の時代

2010-08-15 | 大川批判
『ブッダが生まれた時代、ほとんどの人が農民でした。
彼らは誰にも迷惑をかけることなく、
田んぼで米を作って平和に暮らしていたのです。

しかし、自分で田んぼを作って生活していても、
すべて上手くいくわけではありません。
あちこちから、力の強い人々がやって来て攻撃したり、ものを奪ったりする。
他国から侵略されたりする。
それらから自分たちを守るのは大変なことでした。

例えば、突然誰かが軍隊を率いてやって来て、罪のない人を殺して帰ってしまう。
ある朝目が覚めたら、自分の家や土地が別の国のものになっていた、
というようなことは頻繁にありました。』

『例えば、自分の村がどこかの暴力団みたいな乱暴な人々に侵略される。
今まで自分の土地だった田畑が、一日にして侵略者のものになり、
鞭を振るわれて「田畑を耕せ」と命令され、
自分たちはそこで奴隷みたいに仕事をしなければならない。

昨日までは、自分の田んぼだったのにです。
それでまた収穫した作物を、
侵略してきた人に差し出さなければいけなくなってしまう。
命令をきかなければ殺されてしまうから、侵略者の機嫌をとらなければいけない…』

例のごとく、スマナサーラさんの本(ブッダ~大人になる道)を読んでいたら、
こんな記述にぶつかりました。

お釈迦さまは、インドの北にあった小国の王子だったのですが、
周囲の期待にもかかわらず、
王位につかずに出家してしまったのです。

侵略者の跋扈する時代で、民は不安と危機意識の中にあり、
王が自分たちを守り、平和をもたらしてくれることを
必要としていたのに。

でもお釈迦さまは、多分
もっと違う事を考えてしまったのではないかと思います。

王として国のために一生を生きても、民と土地を守るぐらいの事しかできず、
次の世代もまた、同じことしかできないだろう。

なんとか自国を守ったとしても、侵略者たちはどこか他の国を侵略するだけでしょうし、
結局は勢力を拡大し、その力を増すばかり。
自分が王位を継ごうが継がまいが、何世代か後には
結局守りきれなくなるのではないか。

お釈迦さまは大変賢くて、物事を大局的に見る方だったそうですから、
その位のことは考えただろうと思います。

自分の能力を、ただ命があるあいだ、国を守ることに費やすのではなく、
人々がなぜこうで、このように苦しまなくてはならないのか、
その原因を究明し、根治することに使うべきではないかと。

ただ一国の中にとどまるのではなく、
人間というものすべてに共通する問題に一つの解決を提示し、
国を越えて人間に伝えていくことができたら、人生を賭けるに値すると。

***

お釈迦さまは問題の解決法を見い出しましたが、
それは難しすぎて、誰もが理解できるような事ではなさそうでした。

お釈迦さまの見い出した解決法は真実ではありましたが、
人々や侵略者たちの無明はあまりに深くて、
結局、すべての人々に理解されるには至りませんでした。

***

侵略者たちは、土地を耕している人たちを同じ人間とは見なさず、
彼らに同じ人間としての共感を抱かないがゆえに、
搾取で利益を得ることに良心の呵責など抱かない人たちだったのでは、と思います。

彼らにとって富とは、
蜜蜂が蓄えている蜂蜜のような物だったのではないか、と。

極端かもしれませんが、
農耕民を支配して彼らの作物を手に入れることは、
蜂蜜のために蜜蜂を飼うのと、いわば同種の
“仕事”だったのではないか、と。

“仲間”ではない存在(アウトサイダー)に対して人類という種族は、
本来共感など抱かないでもいられるものなのです。
生きるために消費する、獣や魚や昆虫、全ての他の種族と同じように。

ですからお釈迦さまは、
生きとし生けるものはすべて同じ一つの命だ、と
おっしゃったのだと思います。
比べて(慢)はいけません、
優越感も劣等感も苦しみの原因だと。

***

暴力団と同じように、侵略者も、
仲間うちでの共感や仲間意識や規律はあるのです。

どこかにあるまとまった豊かさを、
チームワークを上手く指揮していただいて、
仲間内で気前よく分かち合い、よくしてくれるのが、
侵略者のリーダーというものなのです。

侵略者の種族というものは、
そういうリーダーに忠誠を尽くし、
その支配の一端を担うことで、搾取の分け前に預かる人たちです。

侵略者の種族の女というものは、
その豊かさがどうやって、誰のどんな生活から造り上げられたのか、
ということなど気にせずに、
“有能”なリーダーに感謝して、くっついていられる人たちなのです。

彼らは、農耕民のようには働きません。
彼らが豊かでいられるのは、搾取の対象があることが前提ですし、
彼らのリーダーが気前よくいられるのも、搾取の対象あってこそです。

搾取ができなければ、そもそも成り立たない思考パターンなのですが、
それは自ら農耕民になるよりずっと楽で豊かなことですし、
自分たちは搾取の対象よりも“高貴”な種族だと信じてもいますから、
改めることは難しいのです。

***

お釈迦さまは、そのような世の中で、
そのような世の中の苦しみの根治を目指しました。
力及ばずとも。

決して、自分の教団を、
国の中の優越した階層にしようとした訳ではありません。
それはいわば、お釈迦さまが治そうとした人間性の病です。

お釈迦さまは、とても自信があったのか、
そんな階層とか国とかいうものは越えていて、
身一つで、教えだけを武器にしていました。

そうして、侵略者の時代を越えようとしたのであって、
決して、高貴な優越者のグループを
作ろうとした事はないのです。

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