Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

吉田兼倶=大川隆法

2010-06-06 | 大川批判
吉田神道は、室町時代に成立した神道の一派であり、
習合神道を否定して“純粋な神道”を目指した、
いわば廃仏毀釈の先駆けのような宗派である。

神道が、儒教や仏教と深く結び付いて、あまり区別のなかった時代に、
極めて斬新な考えだと思われるかもしれないが、

その中身は、旧来の神道とそう変わるものではなく、単に、
仏教や儒教からの影響を受けながら、
“受けてないぞ!”と言った、というだけのこと。

また、敢えて言えば、日本の神々はインドの仏が仮に現れた姿である、とした、
通常の習合神道とは逆に、
日本の神々こそ本地である、としたのが新しいと言えるが、

要するに“うちの神様の方がエラいぞ!”とやった、
というだけのことだとも言える。

***

この吉田神道を創始したのが吉田兼倶なのだが、
彼は、吉田神道の勢力拡大のためには手段を選ばなかった。

伊勢の神が、伊勢の地の戦乱を嫌って
自分のところ(京都の吉田神社)にやって来た、
と朝廷に報告し、

その為に、賀茂川の水に伊勢の海の潮が混じり、
塩気を帯びてきた、とした。

調べてみると、実際に川の水が塩辛くなっていたのだが、
実は、賀茂川の上流に塩俵を埋めさせていたのが、後に発覚した。

また、自らの教えを権威付ける古代文献を偽造したり、
家系図を作り替えて、中臣家の末裔を名乗った。

こんなインチキを堂々とする人間の何が良かったものか、
室町幕府は吉田神道を公認の神道家元と認め、
それは江戸幕府にも受け継がれた。

その為、各地の神社はこぞって
吉田家に認められようとしたのである。

***

吉田家は、古代、朝廷の占いを司った卜部家の系統であり、
『徒然草』の吉田兼好、『釈日本記』の卜部兼方、伊勢神道の慈遍など、
代々、優れた学者を輩出する家柄であった。

平安時代、藤原氏が春日大社から京都に氏神を分祀したのが、
この吉田家の本拠であった吉田神社で、

中臣氏の祖とされる天児屋根から伝わる、正統の教えこそ、
吉田神道である、としていたのである。

ちなみに天児屋根(あめのこやね)とは、
“こ”に屋根をかけて、その発現を抑える神である。

***

『幸福の科学』教祖の大川隆法は、
この吉田兼倶の生まれ変わりだと思う。

顔がそっくりだが、生まれ変わりはそういうものなのだ。
(全く似ていない人間を生まれ変わりとする前世鑑定には、
気を付けた方がいい)

ともかく、東大卒の大川隆法が好きな人というのは、本質的に、
吉田神道の家柄や幕府公認のステイタスが好きな人と同種の存在なのだ。

東大卒が好きなら茂木健一郎でもいいじゃないか、と思うが、
きっと茂木健一郎では、彼らには難しすぎるのだろう。

それに、自分の属する母集団こそ凄いと思わせてくれる、
優越感の共同体に属する快感は、
現実を突きつける茂木健一郎では得られないのだろう。

深見と大川の対立とは、
天武と中臣の対立にルーツを持つもので、
どちらも岩神系にはかわりない。

要するに、ゲブかセトか、というレベルの話なのである。
というか大川に憑いているのは、
自分をラーだと思い込んでいる子供のホルスだろうが。

大川が、今世は神道ではなく仏教に行ったのは、
単に深見が既に神道をやっていたので対抗したのと、

吉田の時も、別に神道にこだわっていた訳じゃなく、
自分の属する集団の優位性にこだわっていただけだから、だと思う。

世の中には、真実のためというより、むしろ、
共同幻想のために宗教を求める人たちがいて、
岩神系宗教は、そうしたニーズに応えてくれるのだ。

大川自身、別に真摯な求道者ではなく、
むしろ宗教を手段に使う人だろう。

彼は、坂本龍馬は自分のところを守っている、と主張しているが、
伊勢の神が自分のところに移って来た、と兼倶が主張したのと
同じことなのである。

別に好きじゃないだろう
…というか、むしろ迷惑だと思うが。

(ネイトがホルスを支持したとする神話のために、
彼は伊勢の神に助けてもらえると思い込んでいるが、あり得ない)

誰かが、吉田神道なんか禍神系だとハッキリ言ってやらないと、
大川隆法は、自分が宗教で大成できると信じ続けると思う。

***

大川隆法のインチキ仏教など、
チベット仏教を学べばすぐ論破できてしまうだろうと思うが、

それゆえにわたしは
チベット仏教との関わりを邪魔されているように思う。

いつまでも邪魔されていると困るので、
本気で大川の本を買って論考を始めなければ
どうにもならなくなるかもしれないが、

お金が勿体ないなぁ…

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