Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

心は隠れたがる

2010-08-19 | こころ
全くなにもブログに書くことが思い浮かばないのですが、
スマナサーラさんの“アビダンマ”から、面白い文章を。

***

ふしぎなことに、私たちはいつでも隠れたがります。
「人間が文化的な高等生命だ」とか
「偉大な文明を築いた」とか威張っていますけど、
そんなに威張っていられません。
我々の心を正直に見てみると、誰も彼もコソコソ隠れたがっているのです。

中略

動物はいつでも隠れます。堂々と出てくることはありません。
蚊は堂々と出てきますけど、あれも餌を取るためだけで、
血を吸って餌を取ったら、すぐに隠れます。

人間も同じです。
万物の霊長などと威張っていても、結局動物と似ていて、
隠れるために文明を築いたのです。

心はいつでも隠れたがるのです。だから人前に出ると不安。
よっぽど病的な、精神的に落ち着きのない性格でないと、
政治家なんかにはなりません。
(あくまでスマナサーラさんの意見です)

しかし政治家のようにリーダーシップを取る人でも、結局隠れています。
権力を取ったところで何をするかと言えば、
一般の人とは口を利かないとか、何とか自分の隠れ場を作るとかするのです。
偉い人の事務所など見ても、
誰も入れない、外の音も入らないようにしてあって、
そこから世界を支配するのです。

この隠れたがるエネルギーがある限りは、超越した智慧は生まれません。

***

瞑想を続けて高次の心に至ろうとしても、
人間の心には、それを邪魔する“五蓋”という障壁があって、
簡単には行けないようになっています。

これは、その“五蓋”の一つである“昏沈”の解説の中の一部です。
つまり“昏沈”というのは、隠れたがる心なのですが、
これを読んで、オウム真理教の麻原が捕まったときの事を思い出しました。

麻原は、確か、好物のバナナと共に、
ロッカーに隠れていたように思います。

もしも本当に麻原が解脱していたのなら、
五蓋などとうに越えていたはずで、コソコソ隠れたがったりはせず、
堂々とお縄を頂戴したはずじゃないかな、と。

***

五蓋は生命に普遍的な障害で、どんな生物にも、
生物でさえあれば伴うものだそうです。

ただ、この蓋がある限り、心は肉体からの情報と関係なく、
自由自在に働けるようになれないのだとか。

心は潜在的に巨大なエネルギーを持つのですが
そのエネルギーをありのままに生かせるようになれないのだそうです。

だからといって、五蓋を気にし過ぎると、
落ち込んだり、瞑想がいやになってきますから、
“あ、この障害が出ているな”とただ確認して、
そのまま続けてしまえばいいのだそうです。

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