いい舞台だった。
蜷川さん演出、村上春樹原作の『
海辺のカフカ』を観てきた。
残念ながら日本公演は今日で終わりだが、シンガポールと韓国でも公演予定だそうだ。
昨日、父が退院したばかりで、どうせならこの公演が済んでからの退院の方がありがたかったのだが、早く出ろと言われるし。
一人おいて出かけるわけにも行かず、かといってせっかく買ったチケットを無駄にしたくない。仕方がないので、別れた母に頼んで代わりに留守番をしてもらうことで、出かけることができた。申し訳ないけれどね。
早く帰宅せねばならないという気持ちが常に働くので、のんびりともできないけれども。
それでも観られただけ、嬉しい。最悪、諦めなきゃいけないかなと思っていたから。
そういう状況だから余計、セリフ一つひとつも胸に響いたのかもしれない。私にとってはとても「贅沢」な時間になった。
蜷川さんの舞台は好きで、時々観ている。
でも「海辺のカフカ」はあまり蜷川さんっぽくないというか、蜷川さんよりもやはり村上色が前面に出ている感じ。
そもそもセリフが、やはり村上春樹っぽいセリフ回しだからね。
実は原作を読んだことがないのですよ(笑)。それが却ってよかったのかもしれない。先入観なく観ることができた。
村上春樹の作品はいくつかは読んでいるのだが、網羅しているわけではない。友人のジロー君は村上春樹を結構好きで、何かの折に「ぽっちりさんはたぶん『海辺のカフカ』とか好きだと思いますよ」と薄く笑って言っていた。
それがどういう意味なのか、舞台を観おわった今でも分からないが(笑)。
とてもいい舞台だった。
滅多にスタンディングオベーションはしない私が、この舞台ではしたほどだから。
全てのセットがガラスケースに入っていて、そのガラスケースを巧みに組み替えることで場面転換。
この舞台、大道具さんが尋常でなく大変な舞台だと思う。すべて人力で動かしているのだし、頻繁に場面転換が起こるし、順序も複雑なので、とんでもない労働量だ。(最後に黒子姿の大道具さんたちにもアプローズが送られたのは良かった。)
おかげでとても幻想的で、美しい舞台に仕上がっていた。
主人公は田村カフカという15歳の少年。幼いころに母親に捨てられ、父親とは反りが合わず家出中。旅先の四国で、図書館に通ううちに、美しい佐伯という女性に恋をする。一方、知的障害のあるナカタさんは、知人の迷い猫を探して旅をする。これまた何かに導かれるようにナカタさんも四国へ向かう。カフカとナカタ、そして佐伯。関係のないそれぞれの物語が、同時並行して進んでいきながら、やがてそれらが一つに絡み合っていく…
これ、筋を書こうと思うと難しいね。筋、云々の話じゃないのだもの。春樹だし。
やはりね、言葉が美しいのですよ。流れるように紡がれる言葉の数々。分かるような分からないような、哲学的であるようで、なんてことないシンプルなことであるようでもあり。ただただ煙に巻かれるような言葉の羅列。
それでいて、その一つひとつを噛みしめていくと、どこかで自分の人生に必ず呼応しているような思いがふつふつと湧いてくる。
とても静かで、哀切で、幻想的な舞台。
俳優さんたちが皆良かったですね。
佐伯を演ずる宮沢りえさんは、初めて舞台を観たが、やはり美しい。細くてスタイルが良くて、声質はあまり舞台向きではないけれど、繊細な存在感がある。クラシカルなブラウスに膝下のスカートという保守的な服装をしていても、とてもエレガントでセクシー。佐伯の部下を演じる藤木直人さんも綺麗でしたねー。美しくて、声質も綺麗な人だなーと思ったら、藤木さんでした(笑)。ナカタさんを演じられた木場勝己さんは素晴らしかった。俳優さんとしてではなく、私はそこに「本物のナカタさん」を見ていたから。演技だということを忘れていた。少年カフカを演じていた子も良かったと思うし、カフカと旅する女性を演じる鈴木杏ちゃんがこれまたいい。杏さんは見る度どんどん舞台が上手くなるなぁ。声の通りもすごく良い。ちょっとセリフを早く言いすぎかなとも思うけれど。
そして、ナカタさんを四国まで乗せていってくれるトラック運転手を高橋努さんが演じてる。配役なんて全然知らないでチケット取ったものだから、舞台見始めて「あれ、高橋さんだよな?」と遠目に分かって、超嬉しかった♪しかも濡れ場。前張りセックスシーン(笑)。得したわ♪高橋さん、大好きな俳優さん。脇役が多いけれど好きだなぁ。武骨な感じの、味のあるイイ男。こういうタイプ、好きだなぁ。
時空や出来事が入り組んでいて、これと言った解があるわけでもないお話だから、分かるようで分からない。
分からないようで、分かっている。
心のどこかで「あ、これ知っている」と。
やや物語にイベント詰め込みすぎな感はありますけどね。盛りだくさん。
本当に原作でこれだけ描かれているのか分からないけど。
ただ、基本的に村上春樹って「死に魅かれていく」人が好きなんだろうね(笑)。
彼の描く女って大抵そういうパターンな気がする。
その中で少年カフカだけ、まるで砂嵐のような現実のなかで目をつむりながらも、嵐を乗り越えて一歩一歩自分の足で進んでいくしかない。
ただなぁ。
自力で頑張れと、ただ一人、カフカを現実世界に留めることは。少なくとも、佐伯がそれを無責任に願うことは、随分とズルいんじゃないのかねぇと思ってしまうんだが。自分は手助けできないけれど、君はそっちで一人頑張れってさ。なぜなら私が君にそうあってほしいと願うからってのはさ(笑)。どんだけ自己中よ(笑)。私だったら、なかなか言えないね。自分で最後まで責任持たないことに、口出しなんてできやしない。
まぁ、それでもそう願わずにはいられないのだろうけれどね。
その気持ちも分からぬではないのだが。
ただ、カフカの向き合う現実はあまりに厳しく、それを15歳の少年一人に背負わせるのは、あまりに忍びない気がした。
世界でいちばんタフな15歳。
無論、『生きる』ということは、そういうことなのだろうけれど。