暑い一日だったが、買い置きしてあったサバがあったので、鯖の味噌煮を作った。
テーブルに並べて、さぁ、食べよと。
TVを見ながら食べようと箸に手を伸ばしたところで、そのニュースを耳にした。
「演出家の蜷川幸雄さんが、今日、亡くなりました。」
嗚呼。
そうか。
そうか…。
逝ってしまわれたか。
アテクシはバレエは高校生くらいからよく観に行っていたが、演劇はそれほど詳しくない。
演劇を見始めるようになったのは、ここ10年くらいのことではなかったかと思う。
元々、割とシェークスピア劇が好きで、蜷川さんの作品を知ったのも確かシェークスピアがきっかけだったと思う。
さいたまにある芸術劇場が蜷川さんの本拠地で、なんもない田舎町に突然ぽんと劇場がある。
あの劇場はびっくりするくらいの深い奥行を持った稀有な劇場で、その暗い奥から、灯に促されて役者が歩いてくる様などは実に見応えがある。
蜷川さんのシェークスピアは衣装も絵画的で、色の使い方が特徴的であるし、すこし外国向けの配慮もなされていたりして、和風の味付けがしてあるところも「世界標準」と言えばそうかもな。
シェークスピアの戯曲は少しは読んでいるのだが、あれね、本で読んでも正直全然面白くないのだよ。
グダグダ長セリフをこねくり回しているので、七面倒くさいし。
しかし、よくできたシェークスピア劇は、「演じて初めて真価が分かる」類の演劇なのよね。
下手な役者や演出では話にならんが、いい役者やスタッフが揃って、シェークスピアの「セリフ」に振り回されるのではなく、セリフをきちんと自分のものに消化したうえで演じられると、よくできた話なんですよ、ほんとに。
人間を描く。
良くも悪くも。
悲喜こもごもをちゃんと描いているんだよね。
舞台化されて初めて、「あぁ、こういうことだったのか」と。
シェークスピアってのは、そういう部類の演劇ですわな。
できる限り、無論、財政的、時間的制限があるなかで、都合がつく限り観たいなと思うものは行くようにしていたのだが。
こうして訃報に触れると、「もっと見ておけばよかったな」と。
彼のギリシャ悲劇ものは、まったく見ていないのだ。残念。
ギリシャ演劇とかも結構好きなんですよ。(西洋)演劇の、いわば原点ですからね。
オイディプスとか、ドロドロだけど、いいんだよな。
アテクシ、ばばぁになったら蜷川さんのゴールドシアター(高齢者による劇団)に参加したかったのにな。
蜷川さんは若いころは役者に灰皿を投げつけたりして、怖さで有名になっていらっしゃるけれども。
灰皿ったって、アルミの灰皿ですからね。どうってことないっすよ。
アテクシ、石の奴かと思っていたもん(笑)。
ドキュメンタリーなどで蜷川さんが怒っていらっしゃる姿がよく映るけれど、アテクシ、あれを怖いと思ったこと一度もないんだよね。だって、言ってること、「正しい」んだもん(笑)。第3者が見ていても「あの演技、気になるな」ってところを、蜷川さんは歯に衣着せぬ言い方でズバッと刺すから。本当のことって、言われるとキツイじゃん?(笑)
でも愛がある人よね。
車椅子になって何度も大病して、80歳の老人が酸素ボンベで鼻にチューブつけながら、それでも怒鳴って稽古をつけていたんですよ。
こんな愛が、そうあるもんか。
教えてもらった役者さんたちは、本当に幸運でしたね。
大きな財産をもらったろうと思う。
藤原君も、伸びるとしたら「これから」だろうな。産みの親、師匠が亡くなって。
初めて、「自分で考える」わけだから。
きっと皆、迷ったら。
「蜷川さんだったら、今なんて言うだろう?」そう思って、自らの演技を問いかけるんじゃないだろうか。
最期まで、舞台にかけた人生。
お見事。
そして、その一部にでも。
生きているうちに生で触れ合えて、アテクシは幸せだったな。
蜷川さんのシェークスピアに出会わなければ、演劇を観に行くようにはきっとならなかっただろうから。
惜しむらくは「蜷川マクベス」を観ていないこと。「マクベス」好きな作品だけに口惜しいな。
DVDを見たらという意見もあるかもしれないけれど、そういうことじゃないんだよね。
「演劇」というものは、舞台で生で見ないと意味がない。「映画」とは違うのでね。
最後に見たのは凱旋公演の「海辺のカフカ」。
ちょうど介護で狂いそうだった頃、母に留守番してもらってどうにか見られた作品。
沁みましたね、あれは。「演劇を観る」というただそれだけのことが、本当に貴重でありがたかった瞬間だったから。
あれが、最後になってしまったな…。
蜷川さん、ありがとう。
大好きよ。
そして、ほんとにお疲れさま。
また、天国で灰皿飛ばして、怒ってくださいね。
「雌豚になれってんだよ!」(←大女優さんに向かって、ほんとに言った(笑))