みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

トランプ大統領(Ⅲ)

2017年01月23日 | 俳句日記

 目覚めると夜来の吹雪はやんで、雲の切れ間からおちる日差しが雪原を走るように東へ

流れていきます。雪は線条となって横ざまに東へ飛び去っていました。

 郡山は、西の猪苗代高原から吹き降ろす颪(おろし)が、安積盆地を吹き抜けるのが

風物で、言ってみれば冬場は風の街なのです。

 とゆうことで今日も、仮寝の宿に閉じ込められました。またトランプ三昧の一日でした。

 

 某評論家が、トランプはソーシャルネットワークの力で勝利した、と言っていましたが、

であれば、約40年前に世界に革命を起こすといってPCの開発に取り組んだスティーブ・

ジョブス達の夢が、世界で最も影響力を持つ米大統領選に於いて実現したということに

なりますか。

 

 はたして、彼が期待した通りのリーダーの誕生だったのかどうかは、トランプのこれから

による訳ですが、先行きについては、なにを視ても、何を読んでもなるほどと腑に落ちる話

には出くわしません。こと政治の世界ですから一寸先は闇なのでしょう。

 

 ただ、既存のマスメディアが虚飾の世界であったことを浮き彫りにしたことは、トランプの

まず初めの功績です。そして明らかにテレビよりもネットのほうが意見百出で面白いです。

 自分の頭で考えることの好きな人にとっては解放された空間ということが言えると思います。

実はこの自分の頭で考えるための情報空間の創造こそ、民主主義が衆愚政治に陥らない

ための最後の砦であるとジョッブスは考えていたのでしょう。

 

 そこでひとつ面白い話をしましょう。日本史の話題です。

 時は豊織時代。戦国の世を終わらせるために織田信長は「天下布武」を旗印に名だたる

武将を平らげて政権を切り取りました。武断政治ですね。そしてクーデターに会います。

 

 信長の死後、豊臣秀吉は信長の政権を「富と機略」で、それこそ金権手法で引き継いだ。

さらに、徳川家康はライバルの秀吉に恭順の意を示しながらもじっと辛抱して機会を待った。

その間、秀吉は三度も家康の首を狙います。一度目が本能寺の変の直後で天正10年

(1582年)のこと。そして天正13年(1585年)の長久手の戦いの直後と十一年後の慶長

元年(1596年)7月のことでした。

 

 本能寺の変の時は、徳川寄りの武将の通報で逃げおおせ、長久手の時は「天正の大地震」で

秀吉は徳川征伐をあきらめた。慶長元年の時には「伏見大地震」で秀吉政権が揺らぎ、人心は

生き延びた家康に移りました。それから二年後に秀吉は死にます。

*「天災から日本史を読み直す」磯田道史著

 

 秀吉の死後家康は「厭離穢土・欣求浄土」の旗印のもとに豊臣一族を滅ぼします。

たぶん家康は、大好きだった信長を殺したのは秀吉だったと思っていたのではないでしょうか。

それで、あれほど執拗に秀頼のみならず一族すべてを死に追い込んだと考えられます。

秀吉のやり方は「穢土のやり方」だと嫌っていたのかもしれません。

 

 ここで大事なことは三人の拠り所とするものです。

信長は「武」

秀吉は「豊」

家康は「厭離穢土・欣求浄土」

天は誰に味方するのでしょうかね。

 

ついでに、他の武将では、

武田は「風林火山」、孫子の兵法です。ようはノウハウ書ですよ。

上杉は「毘」、毘沙門天の毘です。仏弟子のおひとりです。精神の在り方ですね。

武田は滅び、上杉は明治まで続きました。ケネディが政治家として尊敬した「上杉鷹山公」

を残して。

 

 話を戻します。しかして、250年の徳川太平の世が訪れます。実はその徳川政権も

嘉永・安政時代の14年間に、近畿・東海・南海・江戸・八戸沖・越後と16回もたて続きに

起こった地震で政権基盤と財政能力を失い、あっさりと官軍に降るのです。

 

 天は、実に恐ろしい運命を為政者に与えます。まずは用意周到だったヒラリーに。

そして、はたして、これからのトランプ大統領には・・・?

 

      < 西風や 疾く代りませ 東風の梅 >  放浪子

 

一月二十三日(月) 横様の雪 積もることなし

          ホーム・アローン、トランプ三昧。

          吹雪の合間を縫ってタバコを買いに走る。

          手にした帰りには吹雪く、この間15分。

          

 

 


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