みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

糸瓜(へちま)忌

2017年09月18日 | 俳句日記

東京には、俳句詠みの二大聖地がある。
江東区深川の「芭蕉庵」と、
台東区根岸の「子規庵」である。
芭蕉庵はお参りしたが子規庵は未だだ。

今日は、俳哲「正岡子規」の命日。
「子規忌」とも「糸瓜忌」とも言う。
糸瓜忌の由来は、次の絶筆三句、或いは
辞世三句にある。

《糸瓜咲きて 痰のつまりし 仏かな》
《をととひの 糸瓜の水も 取らざりき》
《痰一斗 糸瓜の水も 間にあわず》

これを一枚の紙に一気に書きつけ、力
尽きて、翌未明に死去された。
なんとも壮絶な俳哲の最期である。
苦しみの極にある中での三句である。

秋の季語「糸瓜」を題材として、一句の
みで済まさず、三句残すところに哲人の
意地があるように思えてならない。
その意地が要となって、後進が育った。

古来、糸瓜の水は、咳止めや、痰切りに
珍重されてきた。
脊椎カリエスに苦しめられた先生の辞世
が糸瓜となったのも宜なる哉である。

私の俳句が、ちっとも上達しないのは、
子規庵にお参りをしていないからに相違
ないと思われて来た。
今度上京した折には、お参りしよう。

〈糸瓜忌や 時空の旅の 始め哉〉放浪子
季語・糸瓜忌(秋)

9月19日〔火〕曇り
朝の散歩は、お休みにしといた。
今日は通院日、色々と歩かされるから。
余計に俳哲の心境が窺われて痛ましい。
メモ帳を買った、手のひら程も無い。
文字と言うものは有難く、そして恐い。



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