みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

寒月

2017年01月06日 | 俳句日記

 朝から快晴の一日でした。昨日のように風もありません。

早速、アイ君に餌を与えに川へ向かいます。雑煮も食べ飽きたので今日は炊飯して、彼の分まで

弁当をこしらえて、川岸の定位置に腰を据えました。

 ところが、彼はいません。もしやと思い立ち上がると、150mほど下流にある橋の下に双眼鏡を

向けました。そこには飛来した冬鳥の小さなコロニーがあります。マガモやコガモ、オナガカモなどが

20羽ぐらい身を寄せて、仲よく暮らしています。橋のすぐ上流に川を横断する瀬がありますので、

彼らにとってはちょうど手頃な深さなのでしょう。時にはサギの仲間達が瀬岸に立って、遡上する

小魚を狙っていることもあります。きっと、彼はあそこにいるに違いません。

 居ました! 姿を捉えました。オバーアクションを交えながら「おーい!」と幾度か声を懸けます。

声が届いているのかどうか、犬や猫ならばその時の反応で分かるのですがカモはそういきません。

ところが、何時もそうなのですが私が弁当をひろげて食べ始めると、斜め後方から「グアッ、グアッ」

と声がして急いで寄ってくるのです。

 と、いうことで無事二人で朝食を摂りました。途中でセキレイも参加しました。

 午後は風呂に入り、湯冷めしないように完全防備でプリンターのインクを買いに駅前のヨドバシへ

出かけました。ここまでくると帰りには駅のドトールで一服します。私の書斎代わりの場所です。

ここでは色々な出会いがあります。今日は学生さんが二人並んだ隣の席に陣取りました。

 昨日の地震の話をしきりにしています。話に割り込みました。

「地元の学生さん?」「ハイ!?」「僕は九州から来ているのだけれど、昨日は君達でも驚いた?」

 ここから始まって震災のこと、原発のこと、復興の進捗についての感想など聞いてみました。

メモを取っていますので、いずれ何かの機会にご紹介したいと思います。今回お知らせしたい

のは、震災の後、彼がしばらくのあいだ家族と共に東京に自主避難をしていた時のことです。

 一年半ほど新宿区に身を寄せていたのだそうですが、彼はひどい差別とイジメを受けていたと

いうことです。福島から来ていると分かった時から帰れだの触るなだの、仲間にも入れて貰えない

状況に置かれたとのこと、彼は中学生でした。家族で普通の食堂に行った時も、店主に「うちには

入らないでくれ」と断られたそうです。

 似たようなことは、三年前に近くのコンビニでアルバイトをしている女子高生にも聞きました。

震災の翌年、関西に修学旅行に行った際、自由行動の時間に何人かでお好み屋に入ろうとしたら

どこから来たのかと聞かれたので「福島県から・・・」と答えると「じゃ、ダメだな」と断られた。

宿に帰ると、同じような話で盛り上がっている。男子生徒ばかりで行動をしていたグループは、同年

位の高校生と何処からの修学旅行かということで、福島からというだけで一触即発の状態になった。

通りかかった大人が仲裁に入り、難は逃れたとのことです。

 ドトールの彼の話に戻ります。父親の車は当然福島ナンバーです。駐車場に止めておいたら、

ボンネットにコーヒーをかけられたり、傷を付けられたりもしたのだそうです。耐えかねてその地の

ナンバーに取り替えた人もいたと彼は語ってくれました。

 昨年、読売新聞の三面記事に「都内に自主避難していた当時の中学生がその手記に『イジメを

受けて死にたい。だけど震災で大勢死んだから、僕は生きぬく。』と書いていたことが・・・、

(ここからです。いいですか、ここからなんです)・・・このたび判明した」と、ありました。

 何年前のことですか!!

学校現場はなにをしていたのでしょう。マスコミはどうしていたのでしょう。五年半も経ってようやく

三面記事ですか。不作為の作為を感ぜざるを得ません。

 いまでも、全国各地に避難者が13万人もいます。各県知事は国と連携してこれらの実態を調査

すべきではないでしょうか。カモでさえ身を寄せ合うのに、同じ人間なんですよ!

さらに私は彼に、上記の関西でのことを伝えた上で訊きました。

「どこでの話が多い?」「近隣の県では聞かないけれども、関東圏が多いです」と、彼は答えました。

やはり、大都市圏・・・。

 私は、「君たち東北人は立派だよ、そうやって平然として話してくれる。九州人だったらそうはいか

ないかもしれない。九州人が君たちのような目にあったら、事件が起こったかもしれないよ。

以前訊いた福島の人たちも冷静に話してくれた。歴史的な大災害、大事件に遭遇したのだから、

いいことも、悪いこともメモを残しておいたほうがいいよ。将来の君らの子供たちのためにも、

社会のためにも。これから廃炉も何年も続く、頑張って」と、二人にエールを送り店を出ました。

 駅の階段をおりるときに、たまらずマスクを着けて小鼻の上にまで吊上げました。

それから、なぜ日本人はこうなってしまったんだろう。誰がしてしまったのだろう。昔からか・・・?

こんなことで2020年の「オモテナシ」ができるのだろうか?と、やるせなく自問したことでした。

 こちらでは五時ともなると、猪苗代高原の稜線にうっすりと夕日の残光が残るだけです。

帰りの道すがら空を仰ぐと、中空に上弦の月が寒々と輝いていました。如寶寺の鐘が響きました。

 

一月六日 快晴

  6:00 起床

  7:00 阿武隈川 アイが来る。悴む手で餌を撒き、弁当を食す。

  8:30 帰宅、室内清掃。原稿を書く。

 13:30 風呂

 14:50 ヨドバシでジェットインクを買う、のちドトール。

       学生の話を聞いた。

 17:30 帰宅

 

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