みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

立夏

2019年05月06日 | 俳句日記

立夏の日の新しい家族?

5月6日〔月〕晴れ 時どき 薄曇り

行事続きの超大型連休が終わりました。
早朝の往来は、高齢者の散歩仲間か愛犬家の姿が疎らに見られるばかり。
車はエンジンをふかすでも無く整然と走ります。

初夏の日差しは、舗道に照り返る事も無く、新緑の木立と穏やかな朝の挨拶を交わしていました。
今日は立夏、活気に満ちる季節の始まりは“令和”
に先取りされてしまったのか和らいでいます。

昼過ぎに母のところへカーテンを取り替えに行きました、室内の衣替えなんです。
カーテンはなんて事もありませんが、付随する作業がなんとも小うるさい。

約束違反も甚だしいのです。
ま、「母の日」の前払い位に思った耐えました。
なにせ大正、昭和、平成、そして令和と生き抜いて来たお人ですから頭は上がりません。

何をやったかって?
それは企業秘密ですから訊かないで下さい。
程なく終えての帰りしな「明日もきんしゃい!」
「とほっ!」“たらちねさま”には逆らえません。

棲家に戻ると、昨日の疲れもあって万年ベットに大の字になりました。
すると、開け放ったベランダから心地良い風が涼と私の体を撫でて行き過ぎました。

まどろみかけていたはなの風でしたので、まだ夢ではありません。
確かに記憶の中に残る風なのです。
メモリーを叩くと小学5年生の私が現れました。

百道にあった父の会社の社宅で、座敷に一人で午睡をしている小学生の私の身体を、優しく撫で過ぎたあの初夏の風が帰って来てくれたのです。
読者の方にも一度や二度の経験はあるでしょう?

その時私が横になっていたのは、父親が日曜大工で作ってくれた簡易ベッドの上でした。
こんな時、記憶とはまさに幸せを思い出させる装置なのだと気付かされますよね。

とても豊かな気持ちになってしまいました。
大正12年の父が逝って、もう31年になります。
普段は思い出しもしないのに何故かこんな時に。
3人の子供たちに何を残せたかを思うと‥😅

令和最初のゴールデンウィークの最終日。
昼間は疎らだった人影が夕刻のイオンの食品売り場に戻っていました。
家族連れの多いのに驚きます。

尚且つ、ご家族のお一人おひとりの距離が近い、特に父親と娘さんの和気藹々が救いです。
皆さんワゴンに一杯の食材を買い込んで、連休最終日の楽しい晩餐の準備でしょう。

〈幸多き 御代や令和の 夏立ちぬ〉放浪子
季語・夏立つ(夏)





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