鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

伏見城の戦い

2023年11月04日 | 雑談

 

明日の「どうする家康」で、伏見城の戦いを放映するそうで、先日から伏見を書いている私としては黙ってはおられません。

 

やはりNHKの歴史探偵で、どうする家康の伏見城の戦いの予告?をやっていました。

 

まずテレビに映ったのがこの映像。 御香宮ではないか、我が家の氏神さんだ。

 

夏越の払には、長い行列が。

 

ここでお参りしているのが、

 

井伊直政役をしている板垣李光人さん。 まさか、この人が御香宮に来ていたとは、散歩の時に会わなかったし、

 

この神社の門は伏見城の大手門を使っています。 伏見城を壊した後で移設したらしい。 そして、家康の孫娘、秀頼の正室の千姫が寄贈した神輿があります。  幕末には薩摩藩が入ってここから奉行所に大砲を打ち込んでいた。

 

石田三成が伏見城を攻めることになるのですが、板垣さんたちは伏見城に向かいます。

 

伏見城は豊臣秀吉が建てています。 秀吉がここで政治をしていたのですが、亡き後五大老のトップの徳川家康が入って、やはりここで政治をしていました。

 

政治も軍事もやっていたのが伏見城。  うんうん、そうなんだ。 日本の首都だったんだ。 だから、安土桃山時代といって、信長が安土で政治をして秀吉が桃山で政治をして、その後を継いで家康が実質上の政治をしていた。 だから、伏見城は重要拠点で、ここを攻めるのは国への叛逆を見なされるほどだった。

 

今ある城は、私が学生の頃に建てられた遊園地の中の城で、伏見城と名付けるには申し訳ないかして、桃山城と名付けられています。

敷地は伏見城の中に当たる部分なので、伏見城と名付けても良かったかもしれません。

でも、伏見の人間は、桃山城が当たり前の名で伏見城という名前には親しみがないという状況です。

 

テレビでも桃山城を伏見城として写しています。

この城に石田三成の西軍が4万人で攻めて、守る徳川軍、鳥居元忠はたった2300の軍、はるかに少ない兵で守ることになった。

 

この桃山城に千田喜博先生登場。 この方城郭の専門家で城が出る番組にはいつも出ているのだけれど、今日のヨーロッパの城の番組ではドイツの古城に行っていた。 日本だけじゃないんだ。

 

 

伏見城の天守閣があった辺りは今は明治天皇の御陵になっています。

そこで、皆さん桃山御陵に向かいます。

御陵の入り口で、私の散歩コースです。

ここは伏見城の大手筋に当たるので、この道を秀吉や家康も通ったのだ。

 

御陵の手前のS字カーブ。 私がここを歩く時には、アロンソならこんなラインを通るかな?などF1のことを考えたりしているんだけれど。

こうやってみても、ドラマの中でも板垣さんはずいぶん小さく見えるんだけれど、私よりはずっと背が高い。 左のアナウンサーや他の役者さん達が大きいのだ。

 

上の写真とほぼ同じ場所ですが、歩いていると気がつかないけれど、道の横を見るとかなり深い谷になっている。 伏見城防御のために崖になっているのです。 千田さんの右横付近です。

 

御陵到着。 私の散歩もここがゴールというかここから折り返しです。

 

ここでレーザーで測量した地形図が出ました。まるい明治天皇の御陵の後ろに広い台地が見えます。 ここが天守後です。

その後ろ、テレビでは上の端あたりが、今の桃山城が建っている付近です。

 

伏見城の絵が出ました。初めて見ました。  本丸と書かれているところが天守があった場所。 後ろの赤い部分が桃山城がある付近。

その後ろに空色の堀が見えます。 

 

このテニスコートは堀の部分にできた公園で、北堀公園といって長い堀の底が公園になっています。 桃山城の裏になります。

 

こちらは明治天皇陵の正面。 200段を超える階段があります。 この手前も坂がありますが、伏見城を攻めるには階段はなかったはずですが、この傾斜を登る必要がある。

 

こういう地形もあって、僅かな兵で伏見城を守って戦死した鳥居元忠。 明日の放送でどういうふうに描かれるか。

あー桃山城が燃えている。CGでしょうが、燃やさないで!!

 

ということで、板垣さんも感激していました。 ちょっと家に寄ってくれたら良かったのに。

 

さて、少し飛ばした部分を

この方達が桃山城にゆく途中です。 この映像を見てすぐにわかったのは、

 

この付近で向こうに池が見えます。 これは治部池といって、石田治部三成の屋敷が横にあったところです。 今は柵がありますが、昔はなかった。 高校の頃に何人かここに行って、氷が張っていた頃ですがその上の誰かが乗って割れて池に落ちた記憶がある場所です。

 

この辺りの航空写真です。 こういう映像も初めてで運動公園のところに桃山城があって、明治天皇陵があるので森が守られて緑がいっぱいです。

 

そして、この付近には大名の名がついた町名が多いということ。 赤丸が治部池付近を歩いていると示しています。

 

同じくこの辺りの地図で色がついているところが伏見城の領域だったそうです。

お〜 、我が家もこの色の範囲に入っている。!

 

さて、私の桃山城。 桜が綺麗な頃です。

 

皆さん、明日の「どうする家康」見てくださいね。

昼間はHN運転会を千里でしますので、見に来てくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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