鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

1984年アメリカシカゴ その9 ワシントンDC 2  コロニアル・ウイリアムズバーグ」

2022年12月29日 | 海外旅行

ワシントンDCに泊まって今日はコロニアル・ウイリアムズバーグに行く予定。 昨日、街中でバス会社を見つけて観光バスツアーを予約してある。 

朝、バス会社に行こうとタクシーを拾った。 バス会社の名前を言って走り出したが、どうも心もとない。 すると運転士がワシントンDCは初めてだと言うではないか。 どこから来たが知らないが、街を知らずに営業するなと言いたいのだが、走っているうちに高速道路のランプに入ってしまった。 高速ならとんでもなく遠くに行きそうなので、慌てて次の出口で出て、私が右左とか指示をする。 カーナビなどない時代に、初めてのワシントンDCでタクシーに道を指示するなんて信じられない。 バスの時間があるので気が焦る。 朝からこんなハプニングがあってなんとかバス会社に到着。 ツアーのバスに間に合った。

ここからコロニアル・ウイリアムズバーグに行くのであるが、そこは植民地時代の街が再現してある明治村みたいな所だ。 日本の旅行本に一行ぐらい書いてあっただけで、行く気になったんだけれど、どんな所かは行っての楽しみ。

 

バスはほぼ満員。 私は発車間際だったので、窓際には座れず、高齢の男性、おじいさんの横になった。

これで2時間ぐらい乗っただろうか

 

途中で休憩があった、このバス、ゴールドラインと言う。 横のトラックなどが大きい。 コンボイと言うのだろう。

初めてのアメリカ、何もかも珍しい。

休憩後バスに乗り込んだ時に、白人の母子が座っていた席に黒人の母娘が座っていた。 普通は休憩どきに席を変わるなどないはずだし、その黒人の母娘は発車間際に乗り込んできてあまり良い席ではなかったので、休憩の隙に座席を変わったのだ。

白人の母子は、席を取られてかなり腹を立てていた。 私の近くに座ったのだけれど、「Black! 」日本語で書いた方が実感的なので書くと「 ブリャーッック!!」と吐き捨てるように言った。 もちろん他には聞こえない程度の声ではあったが。 やはり白人と黒人の間の壁は大きいと此処でも思ったのでした。

 

バスは高速道路ではないがこんなところを通って、やがてバージニア州に入った。

すると私の頭の中に「なつかしのバージニア」とか言うような歌詞が浮かんできた。 そして、おーおーバージニアふるさとよ、とかの歌詞も。

バージニアは初めてなのに、なにかしら懐かしい感じになったのは、歌のせいだ。 歌とは恐ろしいものだ。

ウイリアムズバーグ到着。 出発までは自由時間で、添乗員から出発の時間と集合場所の説明がある。 それを聞いても私は動かない。 集合場所を個人的に聞いておかないと、英語がよくわからなかったので、置いてきぼりをくらったら2度と帰れない。 添乗員に改めて集合場所を聞いて一安心。 よその国で一人で旅すると、慎重にしなければならない。

 

園内は昔の植民地時代の街が再現され、住民たち(多分本当に住んでいるようだ)も昔ながらの服装で、昔ながらの仕事をしている。  鼓笛隊のパレードもイギリスから渡ってきた当時の格好だろう。

 

本当に昔の街のようで、アミューズメントパークとは違う感じ。

 

この人は本当にギターを作っていたし、鍛冶屋とか家具屋も居る。

 

裁縫をしている。 

 

もちろん、店の外は観光客がいっぱい。

こんな店で

 

訳のわからない昼食を食べたりして。 だって、日本と違って食品サンプルがないので、此処に限らず外国で食事を注文するのは至難の業だ。

 

古き良きアメリカを堪能して、無事集合場所に辿り着いてバスに乗ろうとしたら、若者が来て「来る時に私の親父があなたの横に座っていたが、帰りも同じように横に座らせて下さい」と言ってきた。 もちろん何の問題もないと返事したのだけれど、丁寧と言うか、礼儀正しいと言うのか感じが良い家族だった。

そして、ワシントンDCに向かうバスから、夕日がとても綺麗だった。 ほとんど見たことがないほど綺麗な夕日だった。

思わず、隣に座っている親父さん(おじいさん)の肩を叩いて、「(英語で)見て見て! 夕日が綺麗だ、」と言ってしまった。

あまりにも綺麗なバージニアのサンセットに感激したのでした。

 

そして、この日はまだ続きがあります。

バスツアーの後一人で繁華街で夕食後、バーらしき店に入りました。

入り口がカウンターで何人かが座って飲んでいました。

奥の席に行くと丸いテーブルの前に椅子がある、テーブル席でした。 そこで、ビールか何か飲んだのですが、驚いたことに、前の大きなテーブルの上に踊り子が上がって踊るのです。 いや〜、 素っ裸です。

こう言う店かと思って周りを見ても、皆当たり前のように普通に酒を飲んでいます。

そのシーンがこんな感じ

ウイーンチロル鉄道で再現しました。 まあ、こんな感じだったのです。 手前のおっさんが私だったかも。

しばらくして、店を出たけれど、本当はチップを渡すべきだったんだろうなと、そうそう、言っておきますけれど、その店はいかがわしい感じの店ではなくて、間口も広くて外からは普通の飲み屋にしか見えない所でした。 後で知人に話すと、それはワシントンDCだから許されることで、大統領のいるところだから規制が甘いということだそうです。

 

そして、ホテルに戻るために、歩道を歩いていると、カーネルサンダースのような風貌の初老の紳士がそばに寄って来る。 私のすぐそばに寄って歩いている。 危険そうな人ではないし、変な人だなと思いつつしばらく並走。

やがて、その人が「サンキュー」と礼を言ってきた。 実は変な奴らに狙われて後を付かれていたので、あなたのそばに寄っていた、そいつらは諦めて居なくなったので助かった。あなたのおかげだと、本当に嬉しそうな声で後ろを振り返りながら話しかけてきた。 嘘ではなさそうで、金持ちそうなこの人なら狙われてもおかしくないなと思ったのでした。 その人が私のホテルはすぐそこなので、そこで一杯奢るよと言われたが、丁寧にお断りして、ホテルに帰ったのでした。

また、ホテルで隣の部屋の人が、、、、とまあ、色々あったけれど、ワシントンDCの旅が終わりました。

この旅行記は思い出だけで書いています。 当時の記録文章をパソコンに入れておいたのですが、その文章は今は開けられません。 時代が変わると使えなくなってしまうのがディジタルの欠点で、写真だけはそれより後にスキャンしたのでJPGが使えて残っているのでした。 紙で記録しておけば明治どころか奈良時代の文章でも読めるのに、ディジタルは寿命が短い。

次は、またシカゴに戻ります

つづく

 

 

 

 

 

 

コメント
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