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鉄道模型のある生活ブログ(旧)

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

海外旅行  2006年 ミャンマー 7   ヤンゴン 2日目  駅と

2025年04月30日 | 海外旅行

東ヤンゴン総合病院の後、ヤンゴン伝統医療病院に向かう途中

 

陸橋を越えたところで、鉄道の線路を見つけました。

ヤンゴン駅です。

列車の写真を撮りたいと通訳に頼んで駅に連れて行ってもらいました。

ヤンゴンの玄関ですから立派な駅です。

 

でも自由に写真を撮る訳にはゆきません。 駅は軍事施設とみなされているので、軍の許可が必要です。

通訳が、交渉に行ってくれました。 ちょっと駅の中と止まっている列車を撮影したいと、 でも、ダメでした。

撮影不可、ということで、この写真が限度でした。

後からパンフレットで列車の写真を見ました。

こんな感じの列車です。

ちなみにイタリアでも鉄道は軍事施設で、ミラノ駅で写すときには多少気を使いながら写しましたが、観光地以外のところで鉄道を写す時には警察に連行されるかもしれないので注意と旅行書で見たことがあります。

 

さて、

ヤンゴン伝統医療病院です。ここは昔から伝わっている薬草や針などを使っている病院です。 

 

左に見える袋の中に薬草を詰めて、蒸して温めて使います。

カセットコンロのYTMH、なるほどです。

 

施術しているところです。 

町では西洋医学と伝統医学が半々ぐらいで、患者が自分でどちらかを選択してやってくるそうです。 田舎は70%ぐらいが伝統医学。

 

ここでもおやつを出してくれましたが、ティシュの箱が、梅の花でしょうか? これもなんとなく日本風です。

 

実習生かどうか、若い女の人がたくさんいたので、中に割って入って写真を撮ってもらいました。

 

この病院の近所です。 店だか民家だかがたくさんありますが、屋根の上の大きなアンテナが気になりました。 衛星放送?

 

天秤棒を担いて、私の子供の頃は日本でもまだまだたくさんありました。 懐かしいです。

 

ヤンゴンに来てホテルかどこかの施設にしか足を下ろしていない。 一度普通の地面を歩かせてと、少し町を歩いたと言うか立っただけです。 街中にいくつもパゴダがあります。 これも有名なパゴダです。

 

おぼうさんが歩いていました。 この旅行記の初めに上島上等兵がこんな姿で送りに来たと言う小説の話をしました。

 

この建物が、かって日本軍の司令本部が置かれていた所です。

ミャンマーは当時、ラングーンと呼ばれていました。 ビルマのラングーンです。

ラングーンの司令本部、これを聞いて懐かしいと思う人はかなりのお歳です、私にとっては昔聞き慣れた地名です。

 

またまた、陸橋を越えました。 今度は列車がチラッと見えました。

 

これから、飛行機でマンダレーに向かいます。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 


海外旅行  2006年 ミャンマー 6   ヤンゴン 2日目  東ヤンゴン総合病院

2025年04月27日 | 海外旅行

ミャンマー、1日目にいろいろ訪問して、今日は2日目です。

日航ホテルでの朝食です。 特にミャンマーという食べ物ではありません。

今日は東ヤンゴン総合病院に向かいます。 お仕事です。

 

当時、軍が政治をしていたので、アウンサン・スーチーさんは幽閉されていました。 こういう池の横の家です。 教えてもらいましたが、その方向を見るだけで軍に見られるとややこしいことになるので、それとなく眺めた程度です。

その後、民主化でスーチーさんが事実上の最高責任者になったのですが、2021年には軍のクーデーターで刑務所に収監されているとのことです。

この写真は船のレストランです。 帰国前の夜に行きました。

 

東ヤンゴン総合病院到着

ここには私の病院で研修を受けたウインさんがいます。 そのためにこの病院を訪問したのです。

たくさんの人が出迎えてくれましたが、新聞社カメラマンの要請で、ウインさんと記念写真です。

 

島津製のX線装置です。 多分日本から寄付したものでしょう。

私も使ったことがあって懐かしい。

 

もっと懐かしいのが、壁にある茶色い扉。 パスボックスです。 フィルム時代、暗室とのカセッテのやりとりにこの扉を使って受け渡ししていました。 扉の奥の部屋は暗室です。

 

フィルムが入ったカセッテです。 サイズが大角なので、胸部を撮影したのでしょう。 メモは患者の氏名か?

カセッテは日本の岡本製です。一目でわかります。

 

暗室の中。 現像タンクです。 汚く見えますが、現像液が酸化してすぐにこんな色になってしまいます。

壁にかかっている暗室ランプも懐かしい。

 

AGFAのレントゲンフィルムの箱。 テストで使ったことがありますが、アグファはドイツの会社で、当時コダックについで世界2番目に大きなフィルム会社でした。 

 

フィルムハンガーです。 真っ暗な部屋の中で、レントゲンフィルムを一枚ずつこのハンガーに取り付けて、現像タンクに入れて現像、定着、水洗と処理をしたものです。 その後、自動現像機ができてハンガーは使わなくなって、その後はデーラートシステムになって暗室がなくても現像できるようになり、そして、ディジタルに変わってまったく銀塩フィルムは使わなくなりました。

 

左端が放射線科の先生、総看護師長さんたちと記念写真。

 

若い人たちがたくさんいたので聞くと、放射線技師の学生で、実習に来ているとのこと。 がんばれよと言って記念写真。

当時、私も日本の放射線技師の学校で教えていたので、とても身近に感じたのでした。

 

リハビリの部屋で、頚椎の牽引機があったので、牽引してもらっています。 みんな大はしゃぎ。

 

院長さんは女性です。 おやつが出されました。 ミャンマーらしい食べ物はこれが初めてです。 病院あげての大歓迎でした。

 

院長さんはじめ、みなさん送りに来てくれて、ウインさんが手を振っています。 わざわざ日本から会いに来てくれて嬉しかったようです。

この写真で病院の建物が分かりますが、ヤンゴンは中堅クラスの病院です。

 

ミャンマー つづく

 

 

 

 

 


海外旅行  2006年 ミャンマー 5   ヤンゴンにて1日目  パゴダ

2025年04月24日 | 海外旅行

1日目 AMDAからホテルに向かう前に。パゴダに行きました・

途中の道で

道端で鶏を絞めて料理しています。

 

焼き鳥屋さんでした。一羽吊るして焼いて売っています。 

私が子供の頃には、家庭でも客が来ると飼っている鶏を絞めたりしていましたので、昔の日本と同じです。

 

シュエダゴンパゴダです。 トップクラスの大きなパゴダです。

ここを見学することになりました。 入場料は多分ミャンマーの人は無料で、外国人は高額でした。

ここに入る時には靴を脱ぎます。

この話の初めに書いたウインさんが日本に来ている時に、京都の清水寺に行きました。 その時、清水の舞台の傍でウインさんが靴を脱ぎ始めたので、日本の寺では靴を脱がなくてもいいんだよと言った覚えがあります。 ミャンマーの寺では靴を脱がなければなりません。

 

大きな木のそばにお釈迦様?がおられました。 金ピカです。 驚いたのは後ろの光背に当たる部分が発光LEDでピカピカ輝いています。 日本の仏像は、古くて真っ黒になっているのですが、こちらはピカピカです。 一見おもちゃっぽく見えるのですが私は思ったのですが、ここの人たちは本当に仏様を信仰している。 昔の骨董品を眺めるのではなくて、今なお生きている仏陀を拝んでいるんだ。 だから光背も本当に光っているのだ、と。

 

たくさんの建物があります。

 

そこで、私たちもお参りしますが、足は裸足です。

ここの仏像も綺麗に塗られていて、骨董品ではありません。 これこそ今現在信仰しているという証です。

ちなみに、法隆寺の仏像は金箔が剥がれているのかほとんど真っ黒に近いのに、それを収めている建物の照明を暗くしているので、ほとんどお姿が見えない。 骨董品を保存しているという感じで信仰の対象とは思えない。

 

大理石の上で裸足です。 日向は大理石が焼けて熱くて、とても裸足で歩ける状態ではないので、日陰に向かって走って移動です。

 

夕方になってやっと座れる状態まで温度が下がりました。

 

建物はとても凝った作りになっています。 

 

こういうお堂がたくさんあって、家族でお祈りをしているのでしょうか?

 

お釈迦さまの涅槃像ではないですね、昼寝でしょう。

 

陽が落ちると、ライトアップされたパゴダが美しい。 皆さんこうやってお祈りというか、こういう時間を楽しんでいる様です。

 

ここで何故か若い女の人たちと記念写真、 まったく関係のない人たちなのですが、何でだったんだろう?

 

ということで、シュエダゴンパゴダを後にして日航ホテルに向かいました。まだ1日目です。

 

つづく


海外旅行  2006年 ミャンマー 4   ヤンゴンにて1日目

2025年04月21日 | 海外旅行

2006年ミャンマーに医療事情の調査に行きました。

ヤンゴン到着の翌日

まずは、JICA訪問

 

ミャンマーの医療事情などを聞きます。 マラリアが多い、などなど。

 

マイクロバスで移動して

 

日本大使館です。

 

大使館の人に挨拶  日本はミャンマーに**億円ほど援助している、中国も発電所を作ったり援助しているなどの情勢を聞いて

 

立派なレストランに移動して

 

在ミャンマー日本国大使と昼食です。

 

マイクロバスで移動。 日本のバスがたくさん走っています。右側通行用にドアを付け足した様です。 もちろん乗用車やトラックも日本のものがほとんど。 

 

今度はメインの訪問先。 ミャンマーの保健省です。 左端の体格が良い人が今回の調査団の団長さんです。 

首都は軍の都合で移転しているのですが、保健省は移転せずにヤンゴンにあります。

 

座っている方が、ミャンマーの保健省の人で、立っている人が通訳です。 団長が色々質問したら通訳がミャンマー語にして話をしてくれるのですが、この通訳さん、ミャンマーも日本のことも色々詳しくて、難しい質問でもちゃんと通訳してくれます。

でも、通訳を挟んではまどろっくしくなってきて、お互いに英語での話になりました。 私はミャンマーでの放射線技師の教育についての質問。 だって、帰った後に報告書を書かなければならないので、幾らかの情報がいるからです。

 

各人の前に水のペットボトルとティッシュが置かれていました。 ティッシュの箱の絵柄が富士山です。 ちょっとびっくりです。

水も日本で売っている水の様な気がしました。 保健省の人が用意してくれていたものです。

 

また移動して今度は国立保健検査所です。 これは訪問メンバーに血液検査関係の人がいたからです。

メンバーの関係するところに各一箇所は行く義務があります。

 

マイクロバスで検査所へ。 男もスカートの様なものを着ていますが、これはロンジーと言います。 ミャンマーでは正装なので、保健省の人やここの職員、もちろん通訳もこのスタイルです。

 

検査所なので、検査する人たちはほとんど女性でした。 ここでも終いには英語で、この女性たちも英語を話せます。

検査に使う測定機器なども見て

 

最後にはマイクロバスまで送ってくれて、ミャンマーの人たちは日本人にとても良いのです。 第二次世界大戦で、日本軍がそれまで植民地にしていたイギリス軍を追い払ったので、長年の植民地から解放されて喜んでいる様です。

 

マイクロバスで移動。 街の風景を見られるのは移動の時だけです。 

 

今度はAMDA (特定非営利活動法人)という施設。 この方は日本人で、ここで母子保健について現地のスタッフを育成しています。 日本から薬を送るだけではダメで、現地での指導が大事とのこと。 偉い人がいるものです。

 

こういう穴があって、街灯もなく真っ暗なので、夜は外に出ない様にとのこと。 納得です。

やっとホテルに戻りました。

 

夕食は日航ホテルのレストラン、弁慶です。 MJCというミャンマーを支援している団体のようで、この方達と会食です。

ちなみに、ミャンマーのビールは世界のビールコンクールで賞を取ったそうです。 美味しかったと思ったけれど忘れました。

 

いやはや、朝から何件、施設を回ったか、そして夜までお仕事。

旅費を出してくれている旅は、キツイです。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 


海外旅行  2006年 ミャンマー 3 ヤンゴン到着

2025年04月16日 | 海外旅行

goo blog が、11月ごろに閉鎖されることになり、このブログも止めなければなりません。 いつ止めるかは考え中ですが、それまでにこの旅行記は終了しなければ、と言うことで頑張ります。

 

ミャンマー 2006年の旅。

バンコクで乗り換えて、ミャンマーのヤンゴンに到着。

地面は土です。

 

ミャンマーらしい建物です。

 

荷物受取でしょうか、混んでいます。

 

入国審査 並んで審査を受けますが、簡単に通過できました。

 

土産物屋です。 出発便がない時間なのか空いていましたが、この他にもたくさん店が並んでいました。 軍事政権で他の国とは少し様子が違いますが、観光客は受け入れています。 外貨を稼がなければ。

 

我々はこのマイクロバスで移動です。 この後毎日これで移動することになりますが、日本車です。 右ハンドルで左側通行用にできていますが、ミャンマーは右側通行です。 ですから、道路の中央寄りから出入りするので、他の車に注意が必要です。 みんな運転は荒いですから。

右端の人が通訳です。 日本に住んでいたこともあって日本語が上手なだけではなくて日本のいろいろな事情も知っています。 通訳はそれが大事で、言葉だけ話せても役に立ちません。

これでホテルに向かいます。

 

マイクロバスの車窓から、 これはバスですね。 すごいね、とは言っても向こうでは当たり前の風景

 

乗合タクシーの様な気もします。

 

ホテル到着です。

ホテル名は? 「日航ホテル ヤンゴン」です。

 

部屋です。 日本でもこんなに立派なホテルには泊まったことがありません。

 

バスも立派、 さすが日航

 

翌朝、朝食会場です。

 

ミャンマーらしい屋根がついています。

 

朝食ですが、写真を頼んだらこんなにアップで撮られて意味がない。

 

建物の外で食事している雰囲気を撮って欲しかったのです。

 

庭を歩くと、南国に来た感じで嬉しくなります。

 

日航ホテルの庭ですよ。

 

良い庭でしょう。

 

こんなものや

 

こんなものがあったりもしますが、異国情緒たっぷりです。

 

 

この後、一緒に行った人がホテルの外で写してきました。

まずはホテルの窓からです。 外に大きな池があります。

 

池のそばを散歩してきた様です。

 

南国の花はとても綺麗

 

この方は花が好きな様でたくさん撮っておられました。

 

こんな橋もあったりして、散歩している人がいます。

 

ホテルの全景です。

 

つづく