ミャンマーで大地震があり、行ったこともある国なので気になっていましたが、旅行記を書きます。
私はあちこち海外旅行をしましたが、観光はもちろん学会で行った時にも私費での旅行です。 唯一、公からの旅費で行ったのがミャンマーです。
2006年のある日の昼頃、「ミャンマーに行かないか」と電話がありました。 その場では鉄道に乗れるわけでもないし、行きたいと思っていた国でもないので、即、断りました。 でも、よく考えたら、滅多にゆけない国だし良いチャンスだと思い直し、夕方には「行きます」と返事をしたのでした。
ここで、日本の開発途上国に対する医療の援助について説明します。
JICAという組織がありますが、医療技術者に関してはJICAも行いますが、その系列のJIMTEFという組織がありました。そこでは医師や看護師以外の、医療技術者部門、すなわち放射線技師、臨床検査技師、理学療養士、歯科技工士ほか色々な職種の人の技術指導を引き受けていました。
JICAの研修は期間が1週間ほどです、大人数で色々な病院を回るので、ほとんど見学に近いものでした。

私は放射線技師をしていたので、JICAが来た時の病院での記念写真です。 この方達、通訳を除き皆放射線技師です。2日間だけこの病院での研修で、このあと一般撮影室、血管造影室、CT,MRI、など色々な部門に分散してゆきますが、教えると言うほどの時間もなく、ほぼ日本の医療現場の見学程度でした。 この後、次のグループが来たりで年2回ぐらいJAICAの研修を受けていました。
なお、当時この病院には、血管造影室3室、CT5台、MRI4台、一般撮影他撮影室多数、放射線治療室3室、核医学検査室多数、サイクロトロンもあり、世界でもMRI 4台は最高規模でした。 なお、CTは血管造影、治療室にもありそれを含めると8台はありました。 ですから、多数のJICAの研修生もあちこちに分散して見学させることができました。
一方JIMTEFでは、3か月の研修でこちらは本格的に技術指導をします。従って、多人数ではなく前述の様な各職種それぞれ1〜2名を、全国の病院で引き受けます。 こちらは年に1回です。
その割り振りに関して私は放射線部門を担当する一員だったので、私の病院で引き受けていたのですが、といっても、放射線部長の許可、病院長の許可を得てという事なので、上から押しつけられてではなく我々から希望して引き受けていたのです。
何故、海外の技師を引き受けたかと言うと、若い技師が海外の人に慣れて英語での説明もできる様にという理由でした。
大きな病院でも研修生は邪魔になると断る施設が多く、個人病院で院長がOKなら簡単と言うことで、医院程度の病院での研修もありました。
海外研修生の費用は、ホテル・食事代などすべてJIMTEFすなわち国が出しますが、我々への報酬はない。 多分いくらか施設使用料として病院には入っていたかもしれません。
3か月研修は、実質上生活の面倒も見なければならないので大変です。 安く食事できる場所を教えたり、たまには夕食をご馳走したり、休みの日には京都や奈良の見物に連れて行ったり、私費を使っての案内になります。
さて、ミャンマーですが、それまでにモンゴル、マレーシア、バングラディッシュなどの3か月研修を受けていたので、こちらも少し慣れていた頃、ミャンマーのウィンさんと言う、女性の放射線技師を引き受けることになりました。
東京の某ホテルで。色々な国から来た研修生(大体15名程度)が、日本での研修のレクチャー、食事の仕方や日本の風習などの説明を数日間受けます。 もちろん、色々な国から来るので言語は英語です。 英語が話せることが条件です。
そして、引き受ける施設の人が来て、そこで受け継ぎが行われますが、色々な国から来て皆さん不安そうです。 どんな人が自分を引き受けてくれるのだろうかと、自己紹介をした時に分かるので、式の間こちらをチラチラ見ています。 式が終わると、池袋から山手線で東京駅、新幹線で新大阪、環状線で我が病院へと私が案内します。 新幹線までは関西の人と一緒の時もありますが、ほとんどは2人きりです。 電車の乗り方、切符の見せ方なども説明や、新幹線では富士山の説明など。 モンゴルの時には車内での検察の後で切符を無くして、新大阪で駅員と一悶着あって、ちょっと苦労したり、大変でした。
ということで、ミャンマーのウィンさんを病院まで連れてきて部長や皆に紹介して、ホテルにも案内して、やっと私も解放されました。
翌日からはウィンさんは希望の撮影室での研修です。 国によって自分の施設にある機械が違うので、MRIなどない施設ではそう言う部門は見学程度で、研修までしません。

血管造影室での一コマ。 メガネがウィンさん。 皆さん放射線技師ですが看護師さんもいます。 みんな仲良く仕事をしています。

CT室です。 もう雰囲気になれた頃かな? 3か月も一緒にいますから。

梅田のミャンマー料理屋に行った時です。 ここのミャンマー料理はどうだ? と聞いたら、色良い返事はなかったので、やはり日本風にアレンジしたミャンマー料理だったのでしょう。
そして、ウィンさんが帰国した後、日本国としては、研修にきた人が自国でちゃんと他の人にも研修結果を教えているか? ちゃんと仕事をしているか? ということを、チェックします。 必ずではないですが、毎年どこかの国に、研修結果をチェックにゆきます。
そして、ミャンマーに視察の順番が来たので私に声がかかったのでした。
今日はここまでですが、海外の研修生と話をする時の注意として、宗教の話はしないことです。 国によっては日本の宗教を聞きにきたりしますが宗教をしゃべると本気での喧嘩になるかもしれないので、JICAからも言われています。
そして、面白かったのが、パキスタンの人です。 その人の親父さんは4人奥さんがいるとのこと。 一夫多妻制です。 男どもはみんな羨ましいと言ったのですが、そのパキスタンの人は私は絶対に奥さんは1人にする、親父を見ていたら大変だ、嫁さんみんなに気を遣わなければならないので、あんなのを見たら絶対に嫁さんは1人で良いと言い切っていました。
そのパキスタン人ですが、一緒に来たインド人とはいつも喧嘩ばかり。 国同士が喧嘩しているのですが、個人がこんなところに来てまで国同士の争いの代表みたいに、顔を合わすと喧嘩していました。 大体、世界中どこでも隣同士の国とは昔から争いがあり仲が良くない国であることは多いです。
つづく
次からは正味旅行の話です。