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鉄道模型のある生活ブログ(旧)

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

海外旅行  2006年 ミャンマー 2 出発

2025年04月10日 | 海外旅行

ミャンマーですが、目的は医療調査団です。

医療調査ですから、向こうの厚生省あたりとも話をしなければなりません。 当時ミャンマーは軍事政権下で、観光ビザならすぐに出るのですが、調査を警戒してかビザがなかなか出ない。 前年にも企画したそうですが、ビザが出ずに中止になったとのこと。 今年も、軍事政権が首都ヤンゴンを他に移転していて、複雑な国内事情の様で、日本国から頼んでいるのに、やはりビザが出ない。 1週間前になってやっとビザがおりて、出発することに決まりました。

 

出発は大阪から2名と、東京から3名の5名がタイのバンコクの空港で落ち合い、そこからミャンマーのヤンゴン空港に向かいました。

顔ぶれは、団長、旅行の世話をするM事務員と、臨床検査のM先生、リハビリ関係のS先生、そして放射線技師の私です。初対面の人もいたのですが、いよいよミャンマーに出発です。

 

ミャンマーです。 首都がヤンゴンですが、前述の様に軍が首都を移転してどこかよくわからないのですが、どこの国の大使館も移転先の首都には行かずにヤンゴンに残っています。 実にややこしい話ですが、軍事政権が独自に行うことはよくわかりません。

私たちはヤンゴンに行った後に、マンダレー(ミャンマー第2の都市)にも行きますので、カタカナで書き加えました。

先日の地震で大被害を受けたマンダレーです。

 

ミャンマーは昔はビルマという名前でした。 私が行った時にもアメリカはミャンマーを承認していないので、ビルマと呼んでいました。 日本でも年寄りはビルマといった方がわかりやすいと思います。

「ビルマの竪琴」という小説がありました。 とても有名な小説です。

太平洋戦争の後、ビルマで捕虜になった日本兵たちが、日本に帰れることになった。 皆大喜びなのですが、その日本兵を送りに来たビルマの僧の顔が水島上等兵に似ている。

土産に買ったビルマの僧ですが、こんなイデタチをして、手には竪琴(船の形をしたハープの様なもの)を持っているのは水島上等兵に違いない。

そこで、みんなで、水島いっしょに日本に帰ろう!! と呼ぶのですが、その僧は皆を見送るだけで、なにもしゃべらずに過ぎ去ったという涙ながらの話である。 多分、水島上等兵はビルマでの戦いで戦死したたくさんの日本兵の菩提を弔いたかったのかもしれません。

 

ということで、日本からタイのバンコク、そしてヤンゴンへと飛行機を乗り継いで行きました。

バンコクからヤンゴンは近いです。 ヤンゴンからマンダレーの線も描いています。

 

多分、関空です。タイ航空の飛行機でバンコクに行きました。

 

うなぎが付いてました。 なかなか良い食事です。

 

バンコク空港で乗り換えの掲示板です。 上の文字が異国に来たという感じ。

 

バンコクからミャンマーもタイ航空です。

 

こちらの食事、 時間が短いので軽食ではありますが、うーん、やはり日本食とはかなり違う。 

 

タイ航空のアテンダント、やっぱり私はスチュアデスと呼びたいんだけれど。 客室乗務員なんてなんと味気のない呼び方だろうか。

? この頃はまだスチュアデスと呼んでいたかもしれません。

 

ほぼヤンゴンに到着しています。

 

つづく

 

 

 


海外旅行  2006年 ミャンマー 1 経過

2025年04月09日 | 海外旅行

ミャンマーで大地震があり、行ったこともある国なので気になっていましたが、旅行記を書きます。

私はあちこち海外旅行をしましたが、観光はもちろん学会で行った時にも私費での旅行です。 唯一、公からの旅費で行ったのがミャンマーです。

2006年のある日の昼頃、「ミャンマーに行かないか」と電話がありました。 その場では鉄道に乗れるわけでもないし、行きたいと思っていた国でもないので、即、断りました。 でも、よく考えたら、滅多にゆけない国だし良いチャンスだと思い直し、夕方には「行きます」と返事をしたのでした。

ここで、日本の開発途上国に対する医療の援助について説明します。

JICAという組織がありますが、医療技術者に関してはJICAも行いますが、その系列のJIMTEFという組織がありました。そこでは医師や看護師以外の、医療技術者部門、すなわち放射線技師、臨床検査技師、理学療養士、歯科技工士ほか色々な職種の人の技術指導を引き受けていました。 

JICAの研修は期間が1週間ほどです、大人数で色々な病院を回るので、ほとんど見学に近いものでした。

私は放射線技師をしていたので、JICAが来た時の病院での記念写真です。 この方達、通訳を除き皆放射線技師です。2日間だけこの病院での研修で、このあと一般撮影室、血管造影室、CT,MRI、など色々な部門に分散してゆきますが、教えると言うほどの時間もなく、ほぼ日本の医療現場の見学程度でした。 この後、次のグループが来たりで年2回ぐらいJAICAの研修を受けていました。

なお、当時この病院には、血管造影室3室、CT5台、MRI4台、一般撮影他撮影室多数、放射線治療室3室、核医学検査室多数、サイクロトロンもあり、世界でもMRI 4台は最高規模でした。 なお、CTは血管造影、治療室にもありそれを含めると8台はありました。 ですから、多数のJICAの研修生もあちこちに分散して見学させることができました。

 

一方JIMTEFでは、3か月の研修でこちらは本格的に技術指導をします。従って、多人数ではなく前述の様な各職種それぞれ1〜2名を、全国の病院で引き受けます。 こちらは年に1回です。

 その割り振りに関して私は放射線部門を担当する一員だったので、私の病院で引き受けていたのですが、といっても、放射線部長の許可、病院長の許可を得てという事なので、上から押しつけられてではなく我々から希望して引き受けていたのです。

何故、海外の技師を引き受けたかと言うと、若い技師が海外の人に慣れて英語での説明もできる様にという理由でした。 

大きな病院でも研修生は邪魔になると断る施設が多く、個人病院で院長がOKなら簡単と言うことで、医院程度の病院での研修もありました。

海外研修生の費用は、ホテル・食事代などすべてJIMTEFすなわち国が出しますが、我々への報酬はない。 多分いくらか施設使用料として病院には入っていたかもしれません。

 3か月研修は、実質上生活の面倒も見なければならないので大変です。 安く食事できる場所を教えたり、たまには夕食をご馳走したり、休みの日には京都や奈良の見物に連れて行ったり、私費を使っての案内になります。

 

さて、ミャンマーですが、それまでにモンゴル、マレーシア、バングラディッシュなどの3か月研修を受けていたので、こちらも少し慣れていた頃、ミャンマーのウィンさんと言う、女性の放射線技師を引き受けることになりました。

東京の某ホテルで。色々な国から来た研修生(大体15名程度)が、日本での研修のレクチャー、食事の仕方や日本の風習などの説明を数日間受けます。 もちろん、色々な国から来るので言語は英語です。 英語が話せることが条件です。

そして、引き受ける施設の人が来て、そこで受け継ぎが行われますが、色々な国から来て皆さん不安そうです。 どんな人が自分を引き受けてくれるのだろうかと、自己紹介をした時に分かるので、式の間こちらをチラチラ見ています。 式が終わると、池袋から山手線で東京駅、新幹線で新大阪、環状線で我が病院へと私が案内します。 新幹線までは関西の人と一緒の時もありますが、ほとんどは2人きりです。 電車の乗り方、切符の見せ方なども説明や、新幹線では富士山の説明など。 モンゴルの時には車内での検察の後で切符を無くして、新大阪で駅員と一悶着あって、ちょっと苦労したり、大変でした。

 

ということで、ミャンマーのウィンさんを病院まで連れてきて部長や皆に紹介して、ホテルにも案内して、やっと私も解放されました。

翌日からはウィンさんは希望の撮影室での研修です。 国によって自分の施設にある機械が違うので、MRIなどない施設ではそう言う部門は見学程度で、研修までしません。

血管造影室での一コマ。 メガネがウィンさん。 皆さん放射線技師ですが看護師さんもいます。 みんな仲良く仕事をしています。

 

CT室です。 もう雰囲気になれた頃かな? 3か月も一緒にいますから。

 

梅田のミャンマー料理屋に行った時です。 ここのミャンマー料理はどうだ? と聞いたら、色良い返事はなかったので、やはり日本風にアレンジしたミャンマー料理だったのでしょう。

 

そして、ウィンさんが帰国した後、日本国としては、研修にきた人が自国でちゃんと他の人にも研修結果を教えているか? ちゃんと仕事をしているか? ということを、チェックします。 必ずではないですが、毎年どこかの国に、研修結果をチェックにゆきます。

 

そして、ミャンマーに視察の順番が来たので私に声がかかったのでした。

 

今日はここまでですが、海外の研修生と話をする時の注意として、宗教の話はしないことです。 国によっては日本の宗教を聞きにきたりしますが宗教をしゃべると本気での喧嘩になるかもしれないので、JICAからも言われています。

そして、面白かったのが、パキスタンの人です。 その人の親父さんは4人奥さんがいるとのこと。 一夫多妻制です。 男どもはみんな羨ましいと言ったのですが、そのパキスタンの人は私は絶対に奥さんは1人にする、親父を見ていたら大変だ、嫁さんみんなに気を遣わなければならないので、あんなのを見たら絶対に嫁さんは1人で良いと言い切っていました。

そのパキスタン人ですが、一緒に来たインド人とはいつも喧嘩ばかり。 国同士が喧嘩しているのですが、個人がこんなところに来てまで国同士の争いの代表みたいに、顔を合わすと喧嘩していました。 大体、世界中どこでも隣同士の国とは昔から争いがあり仲が良くない国であることは多いです。

 

 

つづく

次からは正味旅行の話です。

 

 


2004年 イギリス旅行 その23   ロンドン 最終回

2025年03月28日 | 海外旅行

ロンドンです。

テームズ川。 ビッグベンが見えています。

この左側には

 

大きな観覧車 ロンドンアイがあります。

 

乗りにゆきましたが、大人気で待ち時間が長いので止めて、

 

近くの店でお茶です。

警官が来ました。 手には大きな機関銃を持っています。 ピストルではない。いつでも発砲できる体勢です。 防弾チョッキも着ています。

日本と違うのです、アメリカでもスイスでもどこでも、治安には気を遣っている。

 

タクシーの色が黒だとばかり思っていたら、違うんですね、これは青

 

これはシルバー

 

こんなものもありました。

 

イギリス最後の夕食は、日本料理店と言っても高級料理ではなくて、昼飯屋という感じの店で「よしの」という店で、刺身定食です。

以前にも来たことがあるので、安心して入れます。

これから、ミュージカルを見にゆきます。 前日にチケット買ってあるので、劇場に向かう。

でも、何を間違ったのか、日が違ったのか時間が違ったのか、入り口で少しトラブって、でもちゃんと劇場に入れて観劇です。

 

ミュージカル・シカゴです。 たしか、米倉涼子さんもアメリカで「シカゴ」を演じていたと思いますが、ここはロンドンです。

英語です。 下着姿で踊る場面が多いミュージカルです。 せっかくロンドンに来たのでミュージカルぐらい見ようと入ったのですが、もちろん楽しんだのではありますが、途中から寝てしまったかな?

 

翌朝

帰国です。

荷物があるので、オリンピアのホテルからタクシーでイールスコートへ、そこから地下鉄でヒースロー空港までゆきましたが、地下鉄は各停なのでかなり時間がかかった気がしました。(画面の青矢印は来た時のルート)

 

無事、出国手続きも終わり、来た時と同じKLMで、オランダのスキポール空港で関空行きに乗り換えです。

スキポール空港には寿司屋があります。

SUSHI BARと書いてあります。

 

寿司であります。 結構高いので関空についてから食べたら良さそうなのですが、この後もスキポールで乗り換えた時には寿司を食べるのがクセになりました。

 

ほんの数日ですが色々なところに行き、色々な経験をしました。

2004年 イギリスの旅を終わります。

 次は2005年の旅を書きます。 さて、何処でしょう?

 


2004年 イギリス旅行 その22   ロンドン観光 その2. 大英博物館

2025年03月23日 | 海外旅行

大英博物館、ここに行くのが今回の旅行の目的の一つでした。

その訳は

 大阪で劇団四季のアイーダを見ました。舞台は古代エジプトです。 敵対する国同士の王子と王女が恋仲になり、結婚することができずに、「今度生まれ変わったら結婚しよう」と約束して心中しました。 ふたりの亡骸は石棺に収められました。

舞台は変わって、現在の博物館、そこに石棺が飾られています。 入ってきたのは若い女性、そして若い男性も入ってきて、ふたりは知らず知らずうちに石棺に近づいて行きます。 そしてお互いに見つめ合う。

 

こういうミュージカルでしたが、このふたりが生まれ代わりなのですね。 皆さんも奥さんと前世で約束をした仲かも知れません。

と言うことで石棺を見たいので大英博物館に行きたい、まあ、単純な理由ですが旅行の理由などそんなものです。

 

大英博物館です。

 

入るとこう言う像がある。 水浴のシーンです。

 

ビーナスも居ます。

 

そして、ミイラのお棺です。

 

ミイラです。

 

こちらは有名なロゼッタストーン。 これはかなり必死になって見てきました。

でもって、石棺の写真がない! 見た覚えはあるんだけれど、写真がない。 まあ仕方がない。 ただの石の箱ですから。

 

大英博物館を出て街を歩く

 

赤いシトロエン2CVを見たり トラファルガー?

 

こんなに長ーいリムジンを見たり。 写真を引き延ばしたのではありません、 長いんです。

 

フォートラムメイソン、紅茶で有名な店です。 ここで休憩

 

おやつです。 ここで紅茶を頼まずに、コーヒーを注文。 臍曲がりの人間ですから。

 

 

ロンドンらしい写真を一枚。

あちこち回って夕方まで時間を潰します。

 

つづく

 

 

 


2004年 イギリス旅行 その21   ロンドン観光 その1

2025年03月14日 | 海外旅行

ロンドンに戻ってきました。 今日はロンドン観光です。ちなみに発音はランダンに近い。

ロンドンは多分これで4回目です。 

今回の旅行でイギリスに来た理由の一つにロンドンの大英博物館で、エジプトの石棺を見たい事があります。 理由は後述しますが、大英博物館が大きな目的地です。

でも、その前に模型店に行きます。

地下鉄ボンドストリートのすぐ近くのWheels of steelという模型店です。 

 

この建物の地下にあります。 まあ、地図でこの辺と思って周りをぐるぐるしても見つからない。 まさか地下とは。

少し薄暗い地下で模型店を見つけたのですが、網の様なシャッターが閉まっていて、模型が見えるのですが店が開いていない。 薄暗いのはまだどの店も開いていないからです。

そこで、時間潰しに近くのスターバックスに行きました。

スタバの2階でゆったりとした部屋です。 スタバに行った証拠写真を撮っておくことも大事です。 カメラをセットしてセルフタイマーにして、シャッターを押して急いで椅子に座って、のんびりしている振りをして、この一枚撮るだけで大変なんですから。

こうして、時間を潰してから再度模型店に行ったのですが、やっぱり開いていませんでした。 定休日か午後からの営業か知りませんが、これ以上時間を潰せない。 他に移動。

どこをどう行ったのか忘れましたが、有名な百貨店リバティーに向かっています。

すると、その近くにビルに玩具や模型を売っている階があるのを見つけました。

 

その店でHOゲージのライブを売っているのを見つけました。

ホーンビイ製です。 本当に蒸気の力で走るライブスティームです。 それもHOなので人が乗れる様なライブの機関車と違って小さい。 家の中で走らせられる。

機関車はマラードです。 そしてコントローラーを始めライブに必要な道具と線路までついたセットです。

これを買えば、家でライブができる。

コントローラーの形は古臭い様に見えるけれど、スロットルレバーとクルクル回すのは逆転機だろうか? 本物を模しているようだ。

HOのライブなんて信じられますか? 天賞堂が出しているか? イモンが出しているか? カツミは? などなど、信じられない製品です。

買いたいけれど高価だ。 でもかなり悩みましたが、購入しませんでした。 やはり高価な事がいちばんの原因でしたけれど、もし買っていたら、後から聞いた話ですが、線路に100Vほどの電圧がかかっていると聞いたのです。事実かどうか知りませんが、線路からの電流で機関車の中の釜で湯を沸かしてその蒸気で走らせるのですから、手がかかることも多いでしょうし、危険もあるでしょう。 まあ、手がかかる事が面白いのでしょうけれど。

でもって、買ったのはホーンビイの機関車と客車。

この機関車です。 一昨日に乗ったケントサセックス鉄道のサンデーランチの時の機関車にそっくりです。 ウエザリング仕様です。

 

この後、リバティー百貨店に行きました。

 

さすが老舗の百貨店だけあって、重厚な美しさがある。

 

リフト(エレベーター)です。 多分日本なら、木造のエレベーターは許されないでしょうが、この時点でイギリスではこんな趣のあるエレベーターが使われていました。

 

廊下も木です。 

 

からくり時計です。 ここは石作りですが、こんな立派なものもある。 

 

こんな物も売っていました。  ロータスセブンですね。 色はブリティッシュグリーン、ナショナルカラーです。

まるで、グラハムヒルでも乗っていそうなこの車、買えばよかったかな?

ちなみにF1レースのナショナルカラーは、イタリアンレッド、フレンチブルー、ブリティシュグリーンとか国別で色が決まっていました。 そして、日本は白です。 ホンダが初めて優勝した時に白いボディーに日の丸の赤で、日本の技術が世界最高になったと歓喜したものです。 いまのF1は基本的にはチームカラーになっている様です。

 

リバティーを後にして、大英博物館に向かいます。

 

つづく