八幡鉄町教会

聖書のお話(説教)

「聖霊の降臨」 2022年6月5日の礼拝

2022年06月20日 | 2022年度
ヨシュア記1章1~9節(日本聖書協会「新共同訳」)

  主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた。「わたしの僕モーセは死んだ。今、あなたはこの民すべてと共に立ってヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている土地に行きなさい。モーセに告げたとおり、わたしはあなたたちの足の裏が踏む所をすべてあなたたちに与える。荒れ野からレバノン山を越え、あの大河ユーフラテスまで、ヘト人の全地を含み、太陽の沈む大海に至るまでが、あなたたちの領土となる。
  一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」


使徒言行録2章1~11節(日本聖書協会「新共同訳」)

  五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
  さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」



  使徒言行録は、ペンテコステに聖霊が降り、使徒たちがいろいろの他国の言葉で語り出し、周りにいた外国育ちの人たちは、自分の生まれ故郷の言葉でそれを聞いたと記しています。
  これと反対の事が、旧約聖書の創世記に出てきます。バベルの塔の物語です。人間は高い塔を造ろうとしましたが、神が彼らの言葉を乱したため、塔は完成せず、人々は地の果てへと散って行ったという話です。この高い塔というのはその頂上部分に神殿を造り、神が地上の神殿に下って来るのを待つのではなく、自分から自由に神に近づくためのものでした。こうすることによって、自由に自分の願いを要求できると考えたのです。すなわち、神に対して我が儘になり、神との関係は破れたのです。そこで神は人間の言葉を乱し、人間関係も破れ、人間は地の果てに散りました。
  しかし、神の独り子であるキリストが私たちのところにお出でになり、状況は大きく変わりました。神はすべての人々を救おうと、キリストを遣わしてくださったのです。キリストは罪の贖いとなるため十字架にかかられました。神の救いの業です。復活の後、キリストは天に昇られ、代わりに遣わされたのが聖霊でした。
  さて、聖霊が降り、使徒たちがいろいろ他国の言葉で話をし、外国からやって来ていた人々はそれぞれ自分の国の言葉で話されているかのように、その内容を理解することができました。バベルの塔の物語と正反対のことが起きたのです。しかし、重要なことはそのような不思議なことが起きたこと以上に、使徒たちが神の偉大な御業を語っていたことです。すなわち、キリストによる神の救いです。使徒たちが神の御業を語ることは、キリストが天に昇られる前に言っておられた「聖霊が降る時、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」ということが成就したことを意味しています。ここにキリスト教会の使命と存在意味があります。
  さて、今日の礼拝では旧約聖書のヨシュア記1章1~9節も読んでいただきました。エジプトを脱出し、40年の荒れ野での生活を経、いよいよ神が約束されていた土地に入ろうとする場面です。それまで、人々を指導してきたモーセが死に、ヨシュアが後継者として出発する場面でもあります。その冒頭に「主の僕モーセの死後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた」と記されています。
  ヨシュアはエジプト脱出以来何度も登場し、その働き、功績が大きかったことが記されています。しかし、モーセが「神の僕」と呼ばれるのに対し、ヨシュアは「モーセの従者」と呼ばれ、二人の決定的な違いが示されています。モーセの後継者となったヨシュアはもちろん、イスラエルの人々も不安だったに違いありません。神はそのヨシュアに対して「私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」と宣言されました。この時、ヨシュアは「モーセの従者」から「神の僕」に変えられたのです。この時のヨシュアと同じように、ペンテコステの出来事によって、主イエスの弟子たちは、「イエスの弟子」から「神の使徒」へと変えられました。「キリストの証人」としての新たな出発です。この時、教会が誕生したのです。