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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

魔王

2011年10月26日 | 本の記録
「回転」

魔王
伊坂幸太郎 講談社文庫
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/topics/maou/

すばらしい小説でした。
2005年の時点で、小泉内閣の登場を予言しているような内容だということが一番目をひきますが、それ以上に物語の作り方、カードの切り方のうまさ、バランスのよさに唸らされます。

景気が停滞しきった絶望的な状況でアメリカとの関係にうんざりしている日本に、カリスマ性のある急進的な政治家が登場してくる。
主人公はそんな世の中に生きるサラリーマン。
何かあったら、じっくりと考え、すべてを疑ってみるという慎重な性格。
ごく普通の青年だが、ある日、自分が念じた通り、人に言わせる能力があることに気付く。
こんな設定の話だと、主人公が大活躍してしまうのが普通。
そうなると「二十世紀少年」みたいな悲惨な物語になってしまうと思うんですが、この話では主人公が世の中を変えるなんてことはまったくない。
政治家の発言に胡散臭さを感じつつもどこか惹かれていく自分に危機感を憶えつつ生活していく。
自分の周りでおかしな変化があるのに気付きつつも、無力感に苛まれながら何もできずにいる。
すると、そろそろ、そこで同じ能力をもった仲間がでてくる、なんていう急展開がありそうなのに、対立する相手かも、と思わせる人物が登場するのみ。
不安や変化を予感させる出来事ばかりが次々と起こり、大きな出来事が起こらないストーリーは相当退屈になりそうなのに、宮沢賢治の詩や魔王のエピソードの使い方がうまいから、まったく緊張感が途切れない。

主人公の弟の妻が主人公の、後半の物語はより間接的に物語が描かれている。
夫婦はことんどニュースを見ないし政治にも関心がない。
東京から地方に引っ越し、どうやら劇的な変化を見せているらしい世の中の状況にも疎い。
でも、自分の夫に不思議な能力があり、異変が起ころうとしていることに気付く。
これも、気付くところで話は終わり、これ以上展開していない。
兄弟はそれぞれ不思議な能力をもっているんですが、それがどちらも地味。
弟の方はすごくツキがあるというもの。
二人とも傍目には特別な能力があるとは分からない。
シューベルトの「魔王」のように、ほとんどの者はなにも気付かないままだ。
この辺はヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」を連想させます。
自分の感覚が果たしてどこまで正しいのか分からない状況というのは、人間に常につきまとい続ける不可避な不安なのでしょう。
マクガイバーのように考えても分からないし、余計なことを考えないようにしても分からない。

もうひとつ、この物語がすごいと思ったのは、真実や正解なんてものは多分、世の中にないんじゃないか、という現実をしっかり描いていること。
政治家の犬飼を普通なら悪役にしそうなものなのに、決してそうは描いていない。
みんなが指示するのも分かるというだけの魅力がありそうな主人公になっている。
私たちにできるのは、それが過去の出来事になってからふり返るのみなのだ。

「モダンタイムス」という最近、文庫化された小説が、この作品の続編ということなので思わず買ってしまいました。
続編といっても、いい意味で裏切ってくれるんだろうなあ。(ひ)


腰痛探検家

2011年10月14日 | 本の記録
幻獣ムベンベを追え!

腰痛探検家
高野秀行
集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746635-5

探検家として有名な高野秀行の本を初めて読むのが、なぜかこれになりました。
ひどい腰痛に悩まされ、探検はおろか日常生活にまで大いに支障をきたすようになった作者の体験記。
腰痛治療の秘境にどんどん入り込んでいくディープさと馬鹿馬鹿しさを笑って読むべき本なのかもしれませんが、全然笑えませんでした。
内容を否定している訳ではなく、あまりに共感を覚える内容とするどい作者の考察に関心こそすれ、とても上から目線で笑ったりできなかったのです。
私は全然腰痛には悩まされていないんですけどね。

じゃあ、どんなところに共感を覚えたというと、まずは腰痛が周りの人間に病気として認知されにくいというところ。
骨折とか、出血といった分かりやすい病気は人から認知されやすい。
でも、病気の中には他人からすごく分かりにくいものがたくさんあるんです。
私はずっと地味な病気で小、中、高校と結構、体育を休むことがありました。
特に小学生の頃はずる休みしているだけじゃないかと結構疑われました。
数値の変化を見るために運動をしていいときと、その結果禁止されるときがあったりしたので、適当に気分で授業を休んでいるいいじゃないかとますます疑われました。
人間、周りから疑われると、自分が本当に病気なのか、どこからどこまでが病気なのかと疑心暗鬼になってくるものです。

その後、作者は数々の治療法、中には結構怪しいものまで試しますが、まあそういうものですよ、実際、病気の治療って。
最初に行った病院の治療に効果があって、信用できる医者がいればいいけど、お金と時間がだけが無駄にかかれば別の手を考えざるをえない。
どちらも全然効果がなければ、また別の手を考えざるをえない。
私も子供の頃の病気の治療のため、結構怪しげなところにまで行きました。
両親も相当せっぱ詰まっていたんでしょう。
申しわけ無いことをしました。

ひどい腰痛の中には、精神性のもの、つまり自分は痛いという思いこみからひどくなっているものがある、というのはゾッとする話でした。
病気って、医者とどうコミュニケーションをはかって自分の状態を伝えるか、ということだけでも相当ストレス。
それなのに、あんたのやっていたことは全部間違っている、とか、病気というのは思いこみだと告げられたらショックで立ち直れないだろうなあ。

という、作者に同情こそすれ笑ったりできない私は、脳天気な解説の文章にかなり腹が立ちました。

それにしても、病気と恋愛をうまくリンクさせて話を展開する作者の話の進め方は本当にうまい。
常に病気にのめりこむ自分と、それを一歩ひいてクサしている自分がいるのは、作家の性なんだろうなあ。(ひ)


奇跡

2011年10月12日 | 本の記録
タモリ対談_2

奇跡
岡本敏子
集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746663-8&mode=1

濃い本でした。
これが小説であることも知らず、太郎との生活のノンフィクションなのかなあ、などと思いつつ読んだのでビックリ。
小説、しかも自分と太郎がモデルになっているのは確か。
最初のうちは建築家の謙介と主人公の笙子にどのくらい実際のふたりが反映されているか気にしつつ読んでいたんですが、先に行くにつれて、そうか、事実をそのまま描くなんてつもりは全然なく、この本を書いている時点で岡本敏子が太郎をどう思っているかが書かれている本なのだと分かりました。

岡本敏子の中には太郎が生き続けている。
それは単に心の奥に生きている、なんてものじゃなく、厳然たる事実として生きている。
それがいいとか悪いとかいう選択の余地はなく、実際そうなんだから仕方がないということなのです。
物語の前半で太郎を思わせる謙介はあっけなく死んでしまいます。
そこからがようやく岡本敏子にとって、物語のスタートになります。

話の筋や登場人物の設定に無理があるし、都合がよすぎるのが最初のうちは気になるんですが、読むうちにどうでもよくなってきました。
小説を読んでいる、というより、どういう気持で敏子が書いているか、ということだけが気になるようになっていったからです。
小説の出来はよくなくても、この形式をとったのは間違っていないのかもしれません。
岡本太郎へのこれだけの熱い思いをストレートに長々と話しても誰もついていけませんから。
だからこそ、小説というオブラートにくるむ必要はあったんでしょう。

それにしても、岡本敏子という人は恐ろしくまっすぐな人だったんでしょうねえ。
好印象を持つ登場人物に対する描写が非常に優しいのに対し、そうでない人の描写は悪意に満ち、切り捨てるよう。
序盤に登場する笙子の同僚の女性は主人公に挨拶しただけで「金属的なのに、語尾がちょっと重く、ねばる」声で話し「妙なおしつけがましさ」を感じさせる人だったりするのだ。

それにしても岡本太郎と岡本敏子については、いろいろとマスコミの作ったイメージが編につきすぎている気がします。
このふたりまで、安っぽい愛情物語に引き込まないで欲しい。
少し太郎や敏子本人が残したものだけを見たり、読んだりすることにしよう。(ひ)



世界一あたたかい人生相談

2011年10月07日 | 本の記録
「人生」という言葉でこれを思い出す人は

世界一あたたかい人生相談
著者: ビッグイシュー販売者
著者: 枝元なほみ
講談社文庫
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2769956

ビッグイシューのおなじみ人生相談コーナーを集めた本です。
毎回、ホームレスの男性が(女性が回答していることは一度もないなあ、販売員に女性はいないのかな)読者の相談に答え、枝元なほみの料理を介した回答も同時についているという企画。
毎号、ひとつの相談だけ読んでいると、うまく答えるもんだなあ、と思っていたのですが、こうやって一冊まとめて読んでみると、相当強引な答えや、趣旨が全然違ってない?と思うような自分の思い出を語っただけの回答もあって笑ってしまった。
きっとじっさいに顔を合わせたら、不幸自慢になるに違いない。
年配の人たちが会うと病気自慢になるように。

大体、人は人生相談に何を求めているのでしょう?
新聞に載っている人生相談は、誰にも何の回答もだせないような悲惨なものから、どこが悩みなんだ、と思うようなどうでもいいものまで幅広く載っていて、当たり障りのない答えから、めちゃくちゃな答えまで、これまた幅広く書いてある。
何回かやりとりの応酬をすることなんてなく、一度の質問に一度答えるのみ、しかも個人情報保護や文字数の都合もあって、相談の原文はズタズタにされている。
これで何か生産的なやりとりをやろうとするのが間違いだ、と前々から思っていました。
この質問と回答のズレ具合を楽しんでこそ、正しい「人生相談ファン」になれるんでしょうね。

そう考えると、この人生相談本は実に正しい。
だって、話を自分の経験談に持っていきたがるオジサンと、相談を料理で答えようなどという無茶苦茶をする料理研究家の答えが載っているんですから。

料理とはとてもいえない料理まで登場するのに笑ってしまいましたが、そんな読者を舐めた本が、「世界一あたたかい」というタイトルのなのはちょっと恥ずかしい。
最近の無理矢理感動系の本みたいですごく手に取りにくい。
そう勘違いさせた方が売れると思ったのかもしれませんが、ビッグイシューを買う人にそんな素直な人いるかな? (ひ)



わたしのマトカ

2011年09月28日 | 本の記録
おむすび山 片桐はいり
わたしのマトカ
片桐はいり
幻冬舎文庫
http://www.gentosha.co.jp/search/book.php?ID=201909

活字が大きかったこともあり、あっと言う間に読み終わってしまいました。
もちろん内容も面白かったからなんですが。
映画「かもめ食堂」のロケでフィンランドに行った際の滞在記。
とはいえ、「かもめ食堂」の話や日本人俳優や映画スタッフとの話はほとんど出てこない。
フィンランドでどんな生活をしていたのかを書いたもの。
元アイドルやモデル崩れのタレントがそんな本を出したら、ちょっとオシャレなレストランで食事したり、優雅なホテル生活を送ったり、なんていうことを自慢する、死ぬほど退屈なものになりそうですが、さすが片桐はいり、ただ者ではない。
(日本人からすると)相当妖しげな地元料理を躊躇なく食べまくり、怪しげな店や町にもどんどん入っていく。
最初、「電池の材料を使って、タイヤのゴムみたいな味のお菓子」と思ったフィンランドの代表的な食品、サルミアッキをなんとか克服すべく努力していく。
ロケが終わってからも、もっとフィンランド生活を満喫したい、と紹介をされただけの見ず知らずのフィンランド人家庭に一人で泊まり込む、なんていうのもなかなかできることじゃありません。
読んでいる方は半歩ひいてしまいながらも、いったいどうなるのか気になって仕方なくなってきます。

もともとフィンランド滞在記を出そうなんていう気持ちはまったくなく、日本に戻ってきてから文章にしたそうで、印象に残ったところだけしか詳しく書かれていないのが残念といえば残念。
日記やメモも特に書いていなかったそうです。
そのせいか、終盤の旅の終わりから、日本に戻ってきた後の話がちょっと薄味なんですよね。
それにしても、巻末の、フィンランドのコーディネーター、森下圭子・ヒルトネンさんの解説がなんだかすごい。
同じことを何度も繰り返して書いているような、それでいて、アグレッシブな性格が十二分に伝わってくる文章です。
すごく丁寧な文ですが、こんな人に何か言われたら否定できない感じがあります。
これがサルミアッキ・パワーでしょうか。(ひ)

鴨川ホルモー

2011年09月18日 | 本の記録
鴨川の桜

鴨川ホルモー
万城目 学
角川文庫

久々に最近のベストセラーを読みました。
感想というよりただの愚痴になるのでお気をつけください。


やっぱり向いていないですねえ、売れる本は。
なかなか読み進まなくて、大変でした、特に前半が。
多くの人にとっては、個性的な登場人物たち、京都を舞台にした不思議な物語、一風変わった、でもすごく単純な青春小説的展開がよかったんでしょうが、その全部がつらかった、つらかった。
素直に楽しむつもりで買った本なのになあ、ストレスをためるだけになってしまった・・・・・。
序盤に「鴨川ホルモー」とは何ぞや、という話を偉くひっぱるのに、まずカチンときたのがいけなかった。
その程度の底の浅い話を長々と引っ張るんじゃねぞ、ボケ、とか思ってしまったんですね。
そうすると、自分が京大に行った賢い兄ちゃんだからって、大学名をやたらに実名に出すな、とか、登場人物に全然深みがねえじゃねえか、とか、××まさしが大好きな賢い大学生なんて気持ち悪いよ、とか、オニのような悪意が吹き出してきました。

少しでも客観的に見ると、この小説はとてもビジュアルなところがすぐれているんでしょうね。
架空の生き物や架空の協議が登場するのに、絵が見えるよう。
だから、むちゃくちゃな話もなんだか分かったような気になる。
でも、悪役の兄ちゃんや、主人公が好きになる女の子にあんまり魅力がないんだよなあ。
終盤の展開も最近の日本映画にありそうな気持ち悪い展開。
こういうのがさわやかなの?
主人公の鼻フェチ具合もすごく中途半端だったしなあ。
大学生の男の子なんて、もっと格好悪くて、エロくて、馬鹿で真面目なんじゃないかな。
この本を読んでも、自分の学生時代をまったく思い出さないのは、自分が三流大学を出たせい?(ひ)

そうだ、村上さんに聞いてみよう

2011年09月06日 | 本の記録
ONE LESS BELL TO ANSWER / THE FIFTH DIMENSION

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?
村上 春樹著  朝日新聞社
http://www.bk1.jp/product/01915407

2000年に出ている本です。
今も売っているのかなあ、と思ったら、アマゾンでもBK1でも扱っていないようです。
村上春樹という名前があれば何でも売れそうな感じですが、さすがにこれは再版しないか。
かつて存在したホームページ「村上朝日堂」に寄せられた質問と村上春樹の回答を本にしたというもの。
そういえば「村上朝日堂」ってありましたねえ。
疲れたときに、時々、見ては和んでいた記憶があります。
どうして、これを今頃、読んだのか、というと、パソコンをやっている手を休めて読むのにちょうどいいんですね。
うちのパソコンは古いんで、PDFの重いやつを表示するのに時間がかかったりする。
そのまま待っているとイライラするので、ちょっと一息いれて、この本を読むという訳です。
短い質問に対して、村上春樹も短い回答を書いているから、すぐに区切りがつくのがいい。
なので、半年以上かかってようやく読み終わりました。
時間がかかったこともあって、今、最初の方の質問を読み返しても、さっぱり回答の内容が思い出せない。
質問は多岐にわたっています。
村上春樹の私生活について、作品について、新聞にでも載っていそうないかにも人生相談という質問など。

村上春樹は時々、こうして一般読者からの質問に答えることがあります。
マラソンに関する質問に答えていた記事をネットで読んだ記憶も。
活字という、ある意味間接的な手段を使って、読者と直接やりとりするという距離感が村上春樹だなあ、と感じさせます。
それは村上春樹が、いわゆる「村」に属していないことにも関係するんじゃないんでしょうか。

それにしても「村上春樹」が登場する川島雄三の「風船」は気になる。
いつか見たいなあ、ぜひ。(ひ)


はい、泳げません

2011年08月30日 | 本の記録
EARLY Led Zeppelin Communication Breakdown

はい、泳げません
高橋秀実/著 新潮文庫
http://www.shinchosha.co.jp/book/133551/

このところ読む頻度の高い高橋秀実の本。
つい最近、小林秀雄賞受賞のニュースが出ていましたが、どのくらいすごい賞なんでしょう。
こちらの本は新潮社のホームページで在庫なしとなっています。
内容はシンプルといえばシンプル。
泳げない著者がスイミングスクールに通って泳げるようになるまでの話です。
というと、テレビのヴァラエティ番組でやるタレントのエセドキュメンタリーやナイトスクープの依頼を連想しますが、さすが高橋秀実はただでは泳げるようにならない。
一癖も二癖もある講師に(多分)わざと習って困っている様を一冊の本に仕上げている。
講師のいうことを真面目に聞こうとすればするほど、前日までの話との矛盾に悩み、まったく泳げない自分と、泳げない状態をほぼ経験していない講師との間に存在する決して埋められない溝を見つけて、足を止めてしまう。
実は私も英語でいうところの「レンガのように泳ぐ」人間なので、講師の話はさっぱり理解できませんでした。
こんなものでよく泳げるようになるなあ、いらん工夫はしないほうが、などと身も蓋もないことを考えてしまったのでした。
まあ、泳げるかどうかは、限られた非常時をのぞき、趣味の話だから、どうでもいいといえばいいんですが、このディスコミュニケーションを読んでいて、連想したのは医者と患者の関係。
どんないい医者でも当然のことながら、患者の気持ちをくみ取れないところがある。
なかなか説明されない些細なことが患者にとっては大問題になっていたり、医者としては余計な前知識を与えて不安を煽らないようにと思ってあえて伝えなかった情報のためにパニックになったり、という他人から見れば、なんということはない、でも本人や家族から見ると大変なことが存在している。
大体、今の時代、不必要に大きな病院にはいかず様子をみるべき、という、過剰な節電対策を思わせる、妙なプレッシャーがあったりするから、ことは相当複雑だ。
と話は本のことから離れましたが、章の終わりの度に出てくる、講師の短いコメントを読む度に、医者と患者の間にある距離を思い知らされ絶望し続けたのでした。(ひ)



旅のラゴス

2011年08月18日 | 本の記録
YMO - Riot in Lagos (Budokan 1980)

旅のラゴス
筒井 康隆
新潮文庫

小松左京の訃報を知らせるニュースを見ていたら、なぜか松本零士がコメントしていた。
中村とうようの訃報の際にも感じた違和感が蘇りました。
NHKは昔、テレビでもラジオでもSFドラマを山ほどやっていたくせに、そんなときになぜSF作家のコメントをすぐに貰わないんだろう。

そんな話はともかく、久しぶりに筒井康隆を読みました。
86年に出版された作品ということで虚航船団より後で夢の木坂分岐点より早いことになります。
文学的な要素が強い作品をどんどん書きだした頃ですね。
この作品は、かつて存在していた人類の英知を追い求めて旅をする男が主人公。
と書くと、すごく文学的な感じがしますが、超能力をもつ人びとが数多く登場するエンターテイメント小説でもあります。
ひとつひとつの作品に透き間があるのが特徴的。
普通なら一番盛り上がりそうな場面はあえて書かずに素通り。
科学技術の発達が崩壊をもたらした後と考えられる世界で、人間がかつて保有してきた英知を追い求めずにはいられない男の知的好奇心、そしてそれがやがて世の中に再びもたらすであろう、第2の繁栄と崩壊を連想させたまま物語は終了していきます。
どこに行っても、ひとつの場所に落ち着くことのできないラゴスは、欲を捨てきれない人間の性を体現している、というと単純すぎるでしょうか。

印象に残ったのは「小説」についての記述。
人類がかつて残してきた書物を読む主人公は、科学、哲学、医学などの本を読み解く傍ら息抜きとして、小説を読み出す。
古典的な物語の面白さに魅了され、読み過ぎに注意するほどになるが、やがて難解な小説が登場すると、内容もよく分からなくなり、その後、人に面白さを伝えることもできない。
これって、彼が当時、受けていた批判を反映しているのかな。

この本も、筒井康隆らしく、やたら女にもてる、クールな男が主人公。
そのことで周りの男にかならず妬まれてしまうというのも、いつものパターン。
そういう苦労を本人がしてきたからなのかなあ、と、この人の本を読む度、余計なことを考えてしまう。(ひ)






夜想曲集

2011年07月21日 | 本の記録
Georgie Fame - Moodys Mood For Love 1964

夜想曲集
音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
カズオ・イシグロ(著)
土屋 政雄(訳)
早川epi文庫
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/310063.html

カズオ・イシグロが若い頃、ミュージシャンを目指していたことを先日のNHKのドキュメントで初めて知りました。
しかもアメリカで活動していた都は相当意外。
カズオ・イシグロというと、いかにも私、読書の趣味がいいんです、という感じの読書セレブ(と勝手に密かに呼んでいる)御用達の作家でどうも触手が伸びませんでした。
書評やテレビ・ラジオでの紹介でも、決してけなしてはいけない作家の一人という感じだし。
カズオ・イシグロ自身には何の問題もないけど、カズオ・イシグロのファンがウザい。
ああ、そうやって、私はビートルズもマイケル・ジョーダンも好きにはなれないのだ。
歪んだ性格は悲劇を招く。

そんなことはさておき、カズオ・イシグロがアメリカのベタなフォークやロックが好きだったという事実は、私にとって非常に大きいことでした。
なあんだ、あんたも江戸っ子じゃないの、寿司くいねえという感じで。
いや、別に江戸っこでもなんでもないんだけど。

ようやく本の話ですが、ミュージシャンをめぐる5つの短編。
どの話も駄目な人間ばかり登場する。
これはミュージシャンの話として、非常に正しいと思う。
だいたい、ミュージシャンやスポーツマンが小説に登場すると、とんでもない才能をさずかったり、すごく人間的にピュアだったりすることが多いけど、そんなのは奇跡に近い確率でしかいないわけで。
この本の場合は完膚無きまでに才能がなく、社会不適合者という人たちがそろっている。
そんな人たちがそれでも生きていけるのは空気が読めず、人の気持ちが分からないから。
そして、自分の周りに存在する差別的な状況にも気付いていないから。

人種の壁にもミュージシャンとしての才能の壁にも阻まれ、人の気持ちも読めてしまったカズオ・イシグロは、そんな愛すべきアホな人びとについて、憧れを持って描きたかったんじゃないかなあ、と思わせる話ばかり。
解説の中島京子さんはこの本を上質のコメディ小説として紹介していますが、私にとっては読んでいて胸が痛くなる小説でした。
自分の才能のなさにうちひしがれていきている人間だからかなあ。
本当は救いのない話だからこそ、全体はコミカルに書いている小説のように思えました。

小説としてすごいのは、どの作品も、どこかの瞬間で、登場人物の間に、絶望的なまでの深い溝があることを一瞬で伝える迫力。
さりげない表現の中でそれを伝えてくるんだからすごい。
ああ、恐ろしい本を読んだ。(ひ)