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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

火のようにさみしい姉がいて

2014年09月24日 | 劇場へ
火のようにさみしい姉がいて
作 清水邦夫
演出 蜷川幸雄
出演 大竹しのぶ 宮沢りえ 段田安則 山崎 一 平 岳大 満島真之介 西尾まり 中山祐一朗 市川夏江 立石涼子 新橋耐子 ほか
Bunkamura シアターコクーン
9/6[土]~30[火]
http://l-tike.com/play/ane/

9月20日に見てきました。
大竹しのぶと宮沢りえの共演ということで注目された舞台ですが、ふたりがやりあう見せ場的なものはなく、本の面白さや演出の方が印象に残りました。
考えてみれば、清水邦夫の舞台を見るのは初めてかもしれません。

話はシェイクスピアのオセロを演じるベテラン俳優とその妻を中心とする物語。
お互いに相手が精神的におかしくなっていることを気づかい話を合わせる生活に嫌気がさし、気分転換を図ろうと夫の田舎に出かけることになる。
ところが、田舎に行っても気分が解放されることはなく、閉鎖的で謎に満ちた村の人々に出会い、夫婦はさらに混沌とした状態に巻き込まれていく、というもの。

特に話の前半、夫婦がお互いを非難しあう会話の中で、何度も完全な不条理劇になりそうなセリフがあったのに、それをニュートラルな状態に戻してしまう冷めたセリフがあるのが印象的でした。
思わず笑ってしまいながら、あれ、この芝居どんな方向に進むんだろうと、想像がつかないスリリングな展開。

楽屋の鏡の向こうに存在する田舎の床屋が、話の後半では舞台になり、楽屋の方が鏡の向こうにあるという設定でした。
鏡の前後に展開するそれぞれの世界は現在と過去、虚と実、記憶と現実といったものを象徴しているんでしょうか。
鏡が舞台に向けられていて、観客の姿をあえて映し続ける場面があったのも目立っていました。

それにしても、タイトルの「火のようにさみしい」という比喩は一度聴いたら忘れられないフレーズです。
「火」を「さみしい」とするのは矛盾しているようでありながら、言われてみると意外にしっくりくる。
子供のころ、マッチで火をつけるのが結構怖かったりしたんですが、それは燃える火の静けさやさみしさだったのかもしれません。(ひ)



 

こまつ座『きらめく星座』

2014年09月18日 | 劇場へ
こまつ座『きらめく星座』
日程】9月8日(月)~10月5日(日)@紀伊國屋サザンシアター
【作】井上ひさし
【演出】栗山民也
【出演】秋山菜津子/山西惇/久保酎吉/田代万里生/木村靖司
    後藤浩明/深谷美歩/峰崎亮介/長谷川直紀/木場勝己
http://www.komatsuza.co.jp/program/index.html

13日の夜に見てきました。
数日前まで行く予定はなかったんですが、某サイトでチケット78%引きになっていたので、急きょ、それに惹かれていくことにしました。
井上ひさしが亡くなった後、ハイペースで上演が続いています。
当初は亡くなった偉大な劇作家を惜しむ気持ちや、今まであまり上演されなかった戯曲の上演もあったりして、盛り上がっていたように思いますが、あまりにも公演数が多すぎて、ファンも追いつけないような状態になっています。
同時期に井上戯曲が2本上演されているなんてことも珍しくないし、その多くの公演のチケットがかなり高額なのも気になります。
井上ひさしがまだ存命中であれば、こんな上演方法は許さなかったんじゃないかなあ。
この舞台もまだ始まって間もないとはいえ、ずいぶんとやりとりにぎこちないところがって、休憩中に「役者の演技がひどすぎる」と激怒していた年配のお客さんの声がありました。
こういう状況って、ファンとしては複雑ですよねえ。

話の舞台は、太平洋戦争が本格的に始まる直前までの、ある一家。
長男が軍隊から逃亡したことで非国民の家族扱いを受けたレコード屋の一家が娘を傷病兵と結婚させることで、その窮地から脱出しようとするというすごい話。
娘にとって、とんでもない悲劇に思えますが、そういう様子はまったく見せず、一家全員が日本全体を包む暗い状態をものともしないような明るさをもっています。
途中で一家に何度も逃げ帰ってくる長男や、それを追う、一家とどんどん仲良くなってしまう憲兵伍長など、時代を考えると信じられないくらい明るいコメディになっているのが、その後の時代を考えると、せつない気分にさせられます。
最後に、満州や長崎に行くという人々がいると、この人たちはいったいどうなってしまうのかと考えざるをえません。

それにしても、世の中がだんだん一方に偏りだしている感のある今の時代だと、お国のいうことを愚直なまでに真に受けている傷病兵だった夫のいうことが、なんだかまともに見えるような瞬間もあって怖くなりました。(ひ)





関数ドミノ

2014年06月11日 | 劇場へ
関数ドミノ
イキウメ
シアタートラム
5月25日~6月15日

久しぶりに芝居の感想です。
書く方が追いついていないのと、大抵はがっかりして帰ることが多いので、あんまり否定的なことばかり書いても、と思って書かずにいたのですが、2か月に一本くらいは見ているはずです。

イキウメという劇団の芝居は初めて見たんですが、驚きました。
足るを知る、という感じの本に対して。
「ドミノ」という架空の理論(というほどのものじゃないけど)で世の中は回っているんじゃないか、という話を軸に、とにかく余計な要素を完全に省いてシンプルすぎるくらいシンプルな話、そして、恐ろしく単純な人物造形。
そのおかげで話が恐ろしくわかりやすい。
ラストの落ちらしきものも、すぐにうすうす分かるように演出されているし。
ああ、こうやっておわっちゃうのね、とがっかりしながらも納得。
どの辺りがこの芝居の見せ場なのかがわからなかったけど。
本で読んだら、五分で飽きちゃうような話だけど、最後までそれなりに見られるのはやはり芝居として、それなりによくできているからなんでしょう。
テレビドラマや、映画の本を書くのに、向いているんじゃないでしょうか、この本を書いている人は。

それにしても、劇団の公演を見るというのはやはりいいですね。
有名な役者や、TVタレントが適当に集まった芝居と違って、その劇団独特の雰囲気が感じられます。(ひ)


クリプトグラム

2013年11月12日 | 劇場へ
2013年11月06日(水)~2013年11月24日(日)
シアタートラム
谷原章介、安田成美、坂口湧久/山田瑛瑠
作 デイヴィッド・マメット
訳・演出 小川絵梨子

パブリックシアターに行ったのは久しぶりな気がします。
本を書いたのがマメットだし、チケットが安くなっていたので、それなら、と言ってみたんですが、かなり消化不良な舞台でした。
「クリプトグラム」というのは「暗号」という意味だそうで、舞台でははっきりと口にされないことが暗号のように口にされていく言葉から明らかにされていく、という話なんですが、こんな難しい芝居をこの3人で、というのがまず厳しい。
そして、翻訳された台詞がかなり原文そのままの硬いものだったので、序盤から全然台詞が頭に入らなくて困りました。
おまけにすぐ後ろの席のおじさんが始まって5分もしないうちに大いびきをかき出して煩くて仕方がない。
そんなとき、「眠れない」という子供の台詞が登場したもんだから、そのシュールな状況がおかしくなり噴出しそうになってしまいました。
3人の台詞は非常に多くて、しかも内容はかみ合わず、誰かが質問しても、関係のない人物が関係のない答えを返していく、という展開で進んでいく物語なので、役者3人がとにかく必死に台詞を吐いている感じ。
3人が繰り広げているかみ合わない会話から、そこには語られていない、それぞれの感情や過去といったものを類推しないといけない芝居だろうに、頭の悪い私には全然イメージが浮かんでこない。

一家で森にキャンプへ出かける準備をしている少年が話の主人公的存在。
少年が眠れないといって母親を困らせたり、かつて使っていた古い毛布を持ち出したりするうちに、夫婦に存在する溝や、そこにいる友人との微妙な関係が明らかになっていく。
少年でなく、谷原章介を主人公とする物語にしていたら、昔のニコラス・レイの映画を思わせるようなストーリーになっていたかもしれません。
少年がナイフを持ち、ひとりで部屋に上がっていくラストは大人への成長の物語でもありながら、ナイフが象徴する「戦争」を若い世代が受け入れる様を象徴してもいるのかな、とか勝手にいろいろ後から考えられたので、まあよしとしよう(偉そうですみません)。

ところで、この舞台はどういう観客がくると考えて作られた舞台なんでしょう。
谷原章介と安田成美が出演する舞台なら、もう少し分かりやすい舞台にして当然だと思うんですが、そこになぜマメットで、しかもこんな難しい翻訳と演出で?
元々の本が決して分かりやすいものではなく、それをきちんと再現した舞台なんでしょうけどね。
これを見た人が果たして次の舞台も見にこようと思うんでしょうか。(ひ)


SEX,LOVE&DEATH

2013年10月28日 | 劇場へ
Fall Out Boy - Love, Sex, Death

SEX,LOVE&DEATH
~ケラリーノ・サンドロヴィッチ短編三作によるオムニバス~
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ+ナイロン100℃
下北沢 ザ・スズナリ
2013/10/18(金) ~ 2013/10/22(火)
http://cubeinc.co.jp/stage/info/keranylonshinshinengeki.html

ジャニーズのアイドルが出た「かもめ」はチケット予約の電話を掛けるのが面倒すぎるので(そして、当選の確率も低すぎるので)断念して、こちらを見に行きました。
演劇って、観客の人数が非常に限られているので、爆発的に人気が出ると、それまで見に行っていたお客が全然チケットが取れなくなって、めちゃくちゃ熱心にチケットを取ろうとする人と、コネを駆使する人と、お金を掛ける人しか見にいけなるというのもどういうものなんでしょう。
まあ仕方のない話ですが、何とかならないもんですかね、チケットの売り方って。

久しぶりにスズナリに行くと、隣にあった古本屋が少し離れたところに移動した模様。
帰りは大雨だったので寄れませんでしたが、そういえば、下北沢駅が地下化されてから降りるのも初めてでした。
芝居を見に行かなくなってるから、下北沢も降りなくなっているんだなあ。
本多でみんないい芝居をやらなくなっているというのも理由のひとつですけど。
みんな渋谷や新宿や銀河の果てで10000円前後も取る芝居ばっかりだもんなあ、嫌だ嫌だ。

と月曜から早速愚痴ばかり書いてますが、芝居の方は3本のオムニバス。
若手公演で場所もスズナリとあって、ケラとしては恐ろしく短い2時間数十分の芝居でした。
かなり古い時期に書いた2本に、新作一本を加えていますが、時代の差、ケラ自身の変化を強く感じる舞台でした。
以前書いた二本はいくつかの過去の芝居の一部を引っ張ってきたような設定と展開。
ああ、こんなに分かりやすく笑わせてくれる感じだったんだよなあ、と過去を懐かしむように見てしまいました。
新作の「死んでみた」は今の時代の空気感を反映している、他の二本からすっかり浮いたものになっていました。
周りに疎まれながらも無神経さだけで生きている男が主人公。
自分が死んでいることに気づかないことだけで「生きている」という設定が落語の「粗忽長屋」を連想させます。
無言のうちに、周りの空気を感じてビクビクしながら生きざるをえない今の時代に、生き抜いていくのはある意味、「気づかずにいきる」しかないという悲劇を思い知らされ、笑いながらも哀しい気持ちになってくるすごい芝居でした。
ここまで新作のクオリティが高いと、他の二本はおまけみたいなものにしか感じませんでしたが。(ひ)


兄帰る

2013年09月03日 | 劇場へ
二兎社公演38 「兄帰る」
■作・演出 永井 愛
■出演者
 鶴見辰吾  草刈民代
 堀部圭亮  伊東由美子  小豆畑雅一  枝元萌
 藤夏子    二瓶鮫一
■会場
 東京芸術劇場 シアターウエスト
■東京公演
2013年8月3日(土)~9月1日(日)
http://nitosha.net/n38/

公演終盤の8月31日に見てきました。
休憩を挟んで2時間40分の芝居ということもあって、役者はお疲れ気味のように見えました。
それにしても、最近、長い芝居が多いですよねえ。
これは昔の作品ですが、上演時間が長いと、チケット代が高くても許される感じがするからでしょうか。

永井愛が岸田を取ったのはこの本だそうです。
バブルは既に崩壊して、その後始末が厳しい、でも、バブルの余韻はどこかに残っているという時代。
そんな中、完全なお荷物で身内からも縁を切られた兄が弟夫婦の家に浮浪者になってやってくる。
兄の存在を疎みながらも、世間体を気にして就職口を見つけてやろうとするうちに、困った状況にどんどん追い込まれ、状況に翻弄される回りの面々。
そんな中、落ち着き払ってマイペースを保つ兄と、そうした人びとに違和感を持つ弟の嫁だけが浮いた存在になる。
まともであるはずの人びとが、嘘に嘘を重ねてまともでない行動をとり、一番いい加減な人間であるはずの兄がまともに振舞うというのはコメディの定番という感じです。
その設定はすごくいいんですが、草刈民代演じる弟の嫁があまりにも強すぎるのが気になって仕方ありませんでした。
「正義の人」ではあるものの、一方で魅力的で強さと弱さの両方をもった人物でないと、見ていてちっとも感情移入できない。
ある程度、感情移入できていないと、ラストの部分にもちっとも驚けない。
コメディって、演出が大事なんだなあ、と思う舞台でした。

それにしても、バブルの捕らえ方はそれを経験した年齢や状況によってずいぶんと変わってきそうだ、という書いてしまえば当たり前のことを実感できました。(ひ)



清瀬つながり亭 その3

2013年08月19日 | 劇場へ
清瀬つながり亭 その3
日時:8 月 18 日 ( 日 )
14:00 開演 (13:30 開場 )
場所:清瀬けやきホール 
出演:永六輔、松元ヒロ、山田雅人、林家彦いち
http://kiyosekeyakihall.jp/event/

ブログの更新ペースは相変わらず遅いままですが、今回は昨日見たものを新鮮なうちに書きます。
その1を以前見に行った「清瀬つながり亭」の3回目のステージを見てきました。
今回は観客席で舞台を見ていた高田文夫が最後にステージに上がるというハプニングつき。
TBSと日本放送というライバル局のパーソナリティということもあってか、舞台でこうして横に並び、一緒に話すのは初めてだそうです。
入院中に永六輔からもらったハガキに元気付けられたという高田文夫が直接お礼をいいにきたということなのかな?
高田文夫の元気な様子を見て、もっとリハビリに専念して、しっかり治そうと考えたという永六輔の話が印象に残りました。

舞台の方は四人がそれぞれ、ひとりずつ舞台に立ち、トークでつなぐという形で林家彦いち、松元ヒロ、山田雅人、永六輔という順番。
一人語りがどんなものなのかずっと気になっていた山田雅人の話を初めて聞けたし、いろいろとお得な一日でした。
その4はどんなメンバーになるんでしょうか。(ひ)


マシーン日記

2013年03月22日 | 劇場へ
東京芸術劇場リニューアル記念
マシーン日記
2013年3月14日(木)~2013年3月31日(日)
会場
東京芸術劇場 シアターイースト
作・演出 松尾スズキ
鈴木杏 少路勇介 オクイシュージ 峯村リエ
http://www.geigeki.jp/performance/theater017/

久しぶりに松尾スズキの舞台を見てきました。
見ようとしなかったわけではなく、チケットが取れないのですっかり大人計画の舞台は諦めていたというだけの話ですが。
クドカンの人気があんなに爆発する前は公演直前でも取れたのになあ。
今も大人計画のチケットは取りにくいんだろうな、きっと。

「マシーン日記」は12年ぶりの再演だそうですが、以前の舞台も映像も見ていません。
片桐はいりのために書き下ろした舞台と聞いて納得。
人間離れした元体育教師という役も違和感がないだろうと思う。
今回その役を演じているのは峯村リエ。
ナイロンではすっかりおばさん役が増えているだけにギャップが激しいですが、それだけにやってみたかったんだろうなあ。

四人がお互いを憎悪しながらも依存しあって生活するというのは、まさに松尾スズキの舞台という感じでしたが、久しぶりに見ると、過剰になるすぎないよう、かなり抑えたきちんとした芝居という印象でした。

個人的には工場のベルトコンベアが動いている場面をもっとうまく使えたんじゃないか、という気がしました。
とても意味のあるものを作っているようには見えないいい加減な工場と、アナログな機械の音と映像はかなり気持ちがいい。
ベルトコンベアと携帯の着信音や終盤の3号が出動する場面とリンクさせてくれるとよかったのに。

舞台終盤の、弟がなぜ兄から逃げようとしないのか語るシーンを見ながら、こういうモノローグの場面の妙な説得力が松尾スズキの舞台の魅力だったんだよなあ、と思い出しました。(ひ)




片づけたい女たち

2013年01月21日 | 劇場へ
第20回公演
片づけたい女たち
作・演出:永井 愛
出演:松金 よね子
岡本 麗
田岡 美也子
日時:2013年1月12日(土)~20日(日)
会場:東京芸術劇場 シアターイースト
http://www.lebal.jp/stage/new/

このところ芸術劇場に何度か行っていますが、今日は小さめの会場、シアターイースト。
料金もリーズナブルで納得。
もう高い芝居を見に行くのは控えたい気分です。
ここの座席は全部移動できるようになっているんでしょうか。
肘掛にもたれると体が少し浮いて、椅子が大きな音を立てそうになりビックリしました。
ちゃんとした椅子ではあるんだけど、座っていて疲れます。
今回は1時間45分と短いから良かったけど、長い芝居には向かなそうですね。

永井愛の芝居は世田谷で見た「こんばんは、父さん」以来。
こちらは再演ですが、見るのは初めてでした。
ほぼ満席でこちらの方が更に観客の年齢層が高い。
3人のファンと思しき、男性客も多かったです。
やはり、永井愛はこうして女性を描く芝居のほうが向いているんだなあ、というのが当たり前ながら素直な感想です。
男性ふたりの芝居は心の機微の描き方にずいぶん疑問があったのに、この芝居は男から見ても、見事に女性を描いている。
若い女性劇作家が「女」を描こうとして失敗するのとはまったく違う。
話はとてもシンプルだし、多くのシーンを散らかった部屋の片付けが占めているにもかかわらず、いちいち笑いながら納得してみてしまう。
欲を言えば、学生時代に「運動」をしていた若者の格好よさがもう少し際立って描けていれば、その若者の青臭さに対する一種の郷愁と、自分が「青臭さ」を捨ててしまったことへの失望を、凡庸な男の観客も素直に受け入れられた気がします。

それにしても、毎回、部屋を散らかしては片付けるという作業を繰り返すと思うとおかしいような気の毒なような気分になります。
前の方の席の人は相当ほこりっぽかっただろうなあ。
この芝居ばかりは後ろで見られてよかった。(ひ)


祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~

2013年01月08日 | 劇場へ
シアターコクーン・オンレパートリー+キューブ 2012
祈りと怪物 ~ウィルヴィルの三姉妹~
KERAバージョン
2012/12/9(日)~30(日)
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ
音楽:パスカルズ
美術:小松信雄/照明:関口裕二/音響:水越佳一/衣裳:黒須はな子/ヘアメイク:大和田一美
映像:上田大樹/擬闘:栗原直樹/演出助手:山田美紀/舞台監督:福澤諭志
宣伝美術:雨堤千砂子/宣伝写真:江隈麗志/宣伝イラスト:河野愛/宣伝衣裳:宮本宣子/宣伝ヘアメイク:山本絵里子・浅沼靖/撮影小道具:佐藤久美子
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_inorikera.html

今回も昨年の積み残しです。
クリスマスの頃に見てきました。それにしても昼公演を見ることにしてよかった。
休憩を含めて4時間20分ほどの芝居だから夜だと帰りの時間がどうしても気になります。
高校生の頃は田舎から東京のコンサートに行くと、終盤は最終電車に間に合うかどうか気になって目の前の演奏に集中し切れなかったことをふと思い出しました。

途中休憩が2回入ることもあってか、芝居のほうは全然長く感じませんでした。
というか、無理やり短くしたんじゃないかなあ、という未消化感の方が強く残ります。
これだけ大きな世界を作り上げて一家の壮大な物語を展開するなら、連続物とまではいかなくても、上下編くらいに分けても良かったんじゃないかという気がします。
話の中心はドン・ガラスという町を牛耳る男とその娘たちにあるものの、そのほかの登場人物の物語りもそれぞれがひとつの物語になりそうなくらい。
ひとつの話としてあえてまとめずにバラバラの物語を微妙な配置で並べていったんでしょうが、蜷川幸雄だとちがうまとめ方をするんだろうか、と気になりました。

最近は物語としての完成度を非常に上げているケラが、あえて昔の作品が持つ破壊的な衝動を取り込んで描いた作品という感じです。
少し不満はありましたが、こんな壮大な芝居をきちんと描ける人が他にいないのは確かでしょう。
会場で販売されていた戯曲を買ってきたので、どんなところがカットされたのか確認しつつ読ませていただくことにします。(ひ)