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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

セメント樽の中の手紙

2012年07月18日 | 本の記録
こういう小説にはセイント・ジュリアンが似合う

セメント樽の中の手紙
葉山嘉樹
角川文庫
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200806000314

普段読む本とは毛色の違う本ですが、プロレタリア文学という括りではなく、奇妙な味の短編小説として興味を持って読んでみました。
プロレタリア文学といわれるものを呼んだ記憶がないのですが、こんな説経臭くない、というか、貧しい人間の苦しみを描いていながら、そんな状況が恐らくはどうにもならないことを悟った上での小説なのが、長い時を経ても作品が風化しない理由なんでしょう。
みんな力をひとつにしてがんばれば現状を打破できる、なんて葉山嘉樹はまったく思っていなかったはず。
大体、この人のプロフィールからしてふざけている。
早稲田の高等予科に入り、親の財産をすべてもらいながら、それを遊びに使い、無くなったところで学校を辞めて、職を転々とする。
しかたなく肉体労働もしつつ(その経験が小説に生かされている)、新聞記者になったりもするが、労働運動を指導していたため、逮捕されてしまう。
自作の「年譜」に書かれていた経歴なので、どこまでが本当なのか分からないところも興味深い。
自分をあえて卑下するような偽悪的なところが、いかにも昔の「作家」という感じですが、表題作、「セメント樽の中の手紙」は教科書に載るくらい有名な作品だそうです。
この作品もテイストは「年譜」に近いかもしれません。
セメントあけの作業を一日中行っている労働者が、作業中に偶然手紙を見つける。
女性が書いた手紙によると、自分の夫が作業中にセメントの中に入って死んでしまったというのだ。
自分の夫が入っているセメントがどうなっているか知るために、セメント樽の中に、ビン入りの手紙を忍ばせたという文面に男は驚くが何の行動もしない。
果たしてそんな話が本当か嘘か、真実を求めることもせず、いつ自分がセメントに巻き込まれてもおかしくない自分の生活にただ気づかされる。
ここから何らかの教訓を読み取ったとしても、それは読者の勝手というものですが、私の印象に残ったのはやたらに不条理な設定と、何の進展もないまま終わる後味の悪い余韻。
この短編集に入っている、他の作品もその点は変わらず、読んでいて連想したのは野坂昭如の作品でした。
どちらも怖い小説だったなあ。

ところで、まったく話は変わりますが、直木賞は辻村深月ですか。
少し前に読んだ別の作品が、今まで読んだ中でもっともひどい作品のひとつだっただけに選考委員ってアホばっかりじゃないの、と思ってしまいました。
まあ本を売るための宣伝賞で、本屋大賞と変わりはないんでしょうけど。
それにしても、舞城王太郎にはなかなか賞をあげないもんですね。(ひ)

パラレル

2012年07月02日 | 本の記録
Todd Rundgren - Parallel Lines

パラレル
長嶋有 著 文春文庫
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167693039

「長嶋有初の長篇」という言葉が文庫の後ろの紹介文に書かれているのを見て、そうか短編が多いなあ、そういえば、と気づいたのですが、これも文庫で200ページくらいと、それほど長くありません。
この作品を読んで改めて感じたのは、この作家が長い小説になる要素を極力排しているんじゃないかということ。
「パラレル」は、ゲーム会社をやめて妻と離婚した男の日常と、彼の過去をリンクさせながら話を進める、といういかにも長い私小説になりそうな作品なのに、章の冒頭に、時間が明記されてから始まることで、時間の変化を読者に違和感なく伝えたり、前の章と次の章をつなげる接着剤的な役割を果たしたりする文が存在しない。
どの章も唐突に、前までの話と関係ないように始まっているけど、主人公の心の動きにあわせて過去や現在の時間を移動していく。

「パラレル」というタイトルは「パラでつきあう」の「パラ」でもあるんだろうけど(多分、数人の女性と平行してつきあうの意)、ある時点で振り返った時の人生の、過去と現在の不安定なつながりや、80年代という時代の、今とつながらない不思議な空気感も象徴している気がします。
私はバブル時代のうまみを体験しそこなった人間のひとり。
とはいえ、あのときが今とは全然違う時代だったことも、バブルがはじけた後の。世の中がズルズルと落ちていく不思議な感じははっきり記憶しています。
どちらも、カヤの外にいながら、いつの間にか巻き込まれている感じだったんですが。

長嶋有の小説を読んで、登場人物に共感したことはない気がします。
でも、自分がどこかにおいてきてしまった(ような気がする)感覚を呼び起こされます。
この作品も間違いなくそうでした。(ひ)

モダンタイムス

2012年06月18日 | 本の記録
「モダン・タイムス」というと思い出すのは、こっちだな。

モダンタイムス
伊坂 幸太郎
講談社文庫
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2770784

やっぱり伊坂幸太郎は長編に限ると言うことでしょうか。
面白かったなあ。
上・下に分かれているなかなかの分厚さで、それが「モーニング」に連載されていたというのは意外ですが、キャラクターの設定や後半の少し過剰なエンターテイメントは読者サービスということなんですね。きっと。
その辺は「魔王」の続編でありながら、テイストが違う作品になっている理由だと思いますが、それぞれの作品が面白く、両作品を読むことで生まれる感慨がありました。

話は前作「魔王の数十年後の近未来。
「魔王」の終盤の世界がそのまま進み、少しだけ今とは違う日本が舞台で、主人公はシステムエンジニアのサラリーマン。
自分が担当したプロジェクトの仕事に、大きな秘密が隠されていることが徐々に分かってくる。
という感じの展開をみせる物語。
「魔王」とは違って、ちゃんとクライマックスに向かって盛り上がっていき、一応の解決を迎えるのですが、個人的にそれはどうでもよく、作中人物の作家、井坂好太郎を中心とする、なぜ作家は小説を書くのか、という自分の決意表明のような話が非常に感動的でした。
政治家や作家も結局は、何かを人に伝えて世の中を変えるなんてことはできない。
作家ができるのは、こういう間接的な物語という普遍的な形の中で表現していくしかない、というメッセージは、ある意味すごく気恥ずかしいんですが、「魔王」からの長い物語を読んでいると、それが心に沁みるんですよねえ。

個人的には終盤にアクションと謎解きを詰め込みすぎている気がしたんですが、ほとんどの人はそこを楽しんでいるのかな?
面白い物語をちゃんと終わらせようとするとしんどいですね。(ひ)

感想三冊

2012年05月25日 | 本の記録
まとめて本の感想を書きます。
すべて講談社文庫なのは偶然ではなく、必然。
ムーミンブックカバーが欲しいという家人に頼まれ、対象になっている100冊から買おうとしたものの、ブックカバー応募のための帯がついた本はなかなか見つからない。
小さな本屋は一冊もないことが多いし、大きな書店でも100冊のうちの何分の一か置いてあるだけ。
ほとんどが既刊ばかりのブックフェアなのに、この時期に新しく対象の本を仕入れない限り、帯が手に入らないらしい。
講談社も阿漕な商売しますねえ。
という訳で、たいして見つからない本の中から苦労して買った本をまとめて読んでみたんですが。

○日曜日たち
著者: 吉田修一

初めて吉田修一の本を読みました。
ふーん、こんな感じか。
悪い意味で文学臭い。
ひとつひとつの話があまり面白くないし、子供の話を変にリンクさせるのがつまらない話を正当化するいい訳のように感じられていやでしたが、読み進めるにつれて、結局その子供の話が救いになっていました。
それにしても、奇をてらったような設定の割りに、それを生かしきれていない気がするし、各作品の、いかにも、という結末のつけ方はどうしたものだろう。

凍りのくじら
著者: 辻村深月
これはまったく趣味の合わない本でした。
ドラえもんの道具が各章のタイトルに使われ、話の中にもドラえもんのことが登場してくるらしいとわかって喜んで買ったんですが。
著作が多いようだし、人気のある作家らしいので、面白さを理解できない私が少数派かもしれませんが、読んでいて気持ち悪くて仕方なかった。
話の設定や登場人物がどうこうというより、作者の書き方のセンスや、安直にいろんな要素を使い放題に使い、登場人物を無碍に扱っていないように思えるところが全然駄目みたいです。
藤子不二雄ファンとしては正直、読み進めるうちにどんどんムカついてきたんですが、記憶から抹消するようにします。
そして、この作家の本は二度と読まないことを誓います。

しずかな日々
著者: 椰月美智子
3冊のうちで面白いのはこれだけでした。
上記2冊とは違い、地に足のついた話だったのも嬉しかった。
小学生の男の子の物語という、普段なかなか読まないタイプの本ですが、いかにも小説的な物語の展開に頼らず、丁寧に主人公の気持ちを描いているのがすばらしい。
オッサンが読んでいると、少年たちがさわやか過ぎて、こんな男の子たちって、女性から見た理想なんじゃない? と気持ち悪くなる部分もありますが。

最近、ストレスフルな日常を送っているので、本の感想も厳しくなっているかもしれません。
でも、本に八つ当たりするくらいが平和でいいですね。(ひ)


フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像

2012年04月26日 | 本の記録
The real Frida Kahlo Video

フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像
堀尾真紀子 著
中公文庫
http://www.chuko.co.jp/bunko/1999/02/203353.html

フリーダ・カーロについて以前から気になっていたので読んでみたのですが、微妙な本でした。
著者はかつて日曜美術館に出演されていた美術館の仕事をいろいろとされている方のようです。
文章がとても読みやすく、壮絶な人生を送ったフリーダ・カーロに関する本を読んでいるとは思えないくらい、すらすら読めてしまう。
メキシコとシュールレアリスムの関係もちゃんと認識していなかったので勉強になりました。
でも、なんだか芯のない本だなあ、というのが正直な感想。
話の端々に、自分がなぜフリーダ・カーロに惹かれたのかという話をふっておきながら、そのことはまったく説明されていない。
自分についてはまったく話さず、完全にガードした状態で都合よく、自分がいかにフリーダ・カーロを理解できる人間か、心をオープンな状態にしているか書いている感じ。
多分、著者が一番書きたかったのはこんなことじゃないんじゃないか、という気がします。
そこを遠慮なく、どんどん書いて欲しかった。

それにしても、フリーダ・カーロと、夫のディエゴの関係は非常に印象的。
世間の常識的な意味での夫婦なんてものは飛び越えてしまっているふたりなので、浮気がどうのこうのという、話はもう少しカットして、何がこのふたりの関係をつなぎ続けたのかを知りたかった。
まあ、そんなこと分かるはずないか。

世田谷美術館で「メキシコ20世紀絵画展」を見たのは2009年。
そのときはフリーダ・カーロの作品もディエゴの作品もごくわずかしかなかったのに非常に印象的でした。
なかなかメキシコ関係の美術展ってやらないからなあ。
フリーダ・カーロの作品をまとめて見ることのできるチャンスはあるんだろうか。(ひ)



終末のフール  

2012年04月10日 | 本の記録
R.E.M. - Bad Day (Video)

終末のフール
伊坂幸太郎 著 集英社文庫
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-746443-6

「魔王」がすばらしくよかったので、読む前からかなり期待値が高かったんですが、肩透かしをくらいました。
あと数年で地球に小惑星がぶつかって世界が滅びるという設定の短編集。
その危機をどう回避するか! と盛り上がる話ではなく、不可避の危機が遠くない未来に起こるとわかったとき、人はどうそれを受け止めて生きていくのか、あるいは死んでいくのか、という物語。
シュールすぎるくらい厳しい現実を迎えた人間にとって、現実が嘘のように感じられるというのは確か。
でも、その厳しさが一番際立つのは、世間の人々は普通に日常を送っているのに、そうでない自分がいるというつらさなんだよなあ。
絶対的な孤独感とでもいったものが。
世界中の人々が同じ時期に世の中からいなくなるならまあいいじゃん、と思わなくもありません。
もちろん、そんなことがあったら困るんですけどね。
設定がいまひとつゆるいためなのか、この短編集、話が進むうちに、どんどん、緊張感がなくて、緩い感じになっていきます。
ひとつのテーマで登場人物や話を少しだけリンクさせながら、全体でひとつの物語にしようという壮大な計画にもかなり無理がある。
かなり期待している作家だけに相当がっくりだなあ。
そして何より終わり方がずるいよね、これじゃ。(ひ)


真贋

2012年03月23日 | 本の記録
吉本隆明+坂本龍一 - ひとさし指のエチュード [Disco Mix-1]

真贋
吉本隆明 著 
講談社文庫
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2770059

昨年買っていた本ですが、訃報を耳にして思わず手に取りました。
吉本隆明という人のイメージは世代によって、ずいぶん違うものだろうと思います。
団塊の世代なら学生運動と切っても切れない存在でしょうが、それよりも下の世代にとってはRCやスターリンを積極的に評価した、サブカルチャーまで批評の対象にした評論家ということになります。
私は後者の世代に入りますが、もっと若い人にとっては、ばななの父ということになるんですね。
ニュース番組でそんな取り上げ方をしていたのには嫌な気分になりましたけど。
○○の××という紹介の仕方って、相当失礼なことだっていう自覚はないんだろうなあ、TBS。

昔は自分の著書を文庫化したがらなかったという吉本隆明ですが、今は文庫だけでも結構な数の本が出ていそうです。
この本はその中でもかなり読みやすい一冊。
本人が直接書いたのではなく、話をまとめたものだというのが大きいんですが、全体の文章量もかなり少なそう。
どういう形式の話をまとめたのか分かりませんが、結構、同じ話が何度も出てくるのが気になるといえば気になる。
あまりにも分量が少なかったのであえてカットしなかったんでしょうか。

この本だけ読むと吉本隆明の思想が一見、とてもシンプルに思える。
自分が知っている情報と経験のみを材料にものごとを考える。
できるだけシンプルに、その起源とは何なのかを考えていく。
読んでいるうちはなるほど、と思えるところがあるんですが、いつの間にか思想の飛躍についていけなくなっている。
吉本隆明の書くことを簡単に理解しようというのもムシのいい話ですが。

一番印象に残ったのは、職業のもつ毒の話。
いかにも、その職業の人間らしくなるというのは、スムーズに仕事を行えるという面もあるが、必ず、その裏で自分に毒が回っていることを自覚した方がいいという話。
毒という言い方はすごいですが、確かに、仕事のときは特に、自分なんてものはできるだけ消して、立場で行動したり発言したりする方が楽ですからね。
でも、その楽な状態をつづけすぎると、こんなことをしている自分っていったい何なんだという疑問も出てくる。

「思想界の巨人」と呼ばれた人でもこれだけ迷いながら生きるしかないんだなあ、ということでも感慨深い本でした。(ひ)





意味がなければスイングはない

2012年03月15日 | 本の記録
Woody Guthrie clip on Nightmusic

意味がなければスイングはない
村上春樹 著
文春文庫
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167502096

興味深い本でした。
音楽についての評論というのはやっぱり難しいなあ、ということを改めて感じました。
村上春樹といえども、できの良し悪しにずいぶんデコボコがあり、面白かった、と思えるのはいくつかだけでした。
村上春樹でもこんなことがあるんだなあ。
渋谷陽一の「海に出たけど、泳げない」という言葉を思い出してしまいます。
彼が若い頃、書いた文章の中で音楽を評論することの難しさを表現した言葉ですが、そのフレーズを聞くとなぜかつげ義春の「ねじ式」の最後のコマが思い浮かぶ。

この本では村上春樹がまったく脈略なく自分の好きな音楽を取り上げており、クラシック、ジャズ、カントリー、ロック、Jポップと相当に幅広いジャンルのものが出てきます。
こういう音楽に関する評論を作家が書くということは一昔まえなら結構あった気がしますが、今はずいぶん減っているんじゃないでしょうか。
こういうビッグネームの作家じゃなきゃ本が売れないものなあ、きっと。
新聞や雑誌にやたらとコラムやエッセーを書く作家が音楽の話題を取り上げると恥ずかしいものが多いです、正直な話。
先日、美術雑誌を本屋で立ち読みしていたら、ある作家がポロックについて書いた文にストーン・ローゼズが登場していたけど、相当ひどい内容だったなあ。
幅広いジャンルの音楽を聴く作家は減っているんでしょうね、確実に。

話をこの本に戻します。
私は村上春樹のように幅広いジャンルの音楽は聴かないので、クラシック関係の人はほとんど知らないし、スガスカオもCSの変な番組の司会をやっている姿を見たくらいで、10篇の作品のうち、音楽もちゃんと聞いているといえるのは半分くらい。
面白かったのはスプリングスティーン、ゼルキンとルビンシュタイン、ウディー・ガスリーの話。
楽曲にフォーカスをあわせすぎず、そのミュージシャンの人となりや、その時代や国の中でどう享受されていったか、といったところを書いていくと、さすが村上春樹はうまいし、読ませます。
オーソドックスな見方をしているようでありながら、彼独特のミュージシャンに対する肯定の仕方があったりするところも面白い。
ミュージシャンやその時代の空気感が伝わってきます。
自分自身の生活と自分の作る音楽との矛盾をどう受容するか、なんていう話は彼自身が自分の作品をどう考えているか、という批評にもなっていて二重に楽しめたりもします。

ところがスガシカオやマルサリスなんかについて書いた文なんかは、ひたすら自分の主張を展開させている文という感じで、飲み屋で音楽好きのオジサンにからまれてしまったような気がしないでもない。
早く終わってくれないかなあ、という感じでした、はっきりいって。

でも、こういう文を読んだり書いたりするというのも音楽の楽しさではありますね。
当然、音楽を聴いて好きになる、というのが最初に会って、次にその楽曲やミュージシャンについて考えるわけですが。
私もあれほど聞きまくっていたロックを聞かなくなってしまったのかもいろいろ考えてみたい気がします。(ひ)






原発労働記

2011年12月30日 | 本の記録
原発労働記
著者: 堀江邦夫
講談社文庫
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2770008

年末の仕事に終われて、少し間が開きました。
開幕したNBAの試合もまだ開幕ゲームを途中まで見たところです。
wowowは中原さんを解説に持ってきましたね。
そちらの方の感想はまた後日。

こちらは大変な仕事を経験した方の日記です。
もともと原発で働いていた人が退職後に告発本を出したのかと勝手に考えていたんですが、違ってました。
原発の安全性、不透明さに疑問を持った人物が、それならば、と自らを犠牲にして、複数の原発で働いた記録なのです。
原発に疑問を持っている人だから、最初から否定的な色眼鏡をかけてものを見ているといえなくもないんですが、日記を読んでみると、この人物、なるべく公平に、中立な立場で書こうとしていることがわかります。
というか、原発は悪といって、終わらせることができるほど、事態は単純でないのがよくわかる本なのです。
地元に原発ができて得をするのは一部の人間だけ。
お金も手に入らず、東電や関電の正規社員にもなれない人には、原発の労働者になるかどうか決断を迫られる人が少なくない。
仕事のない場所で、とりあえず日銭を稼げる場所なわけで。
とはいえ、契約はずさんだし、労働は過酷。
電力会社と直接、契約を結ぶわけでなく、下請けの会社が入って思い切り搾取してます。
今や、日本中、こんな感じなんでしょうけどね。
正規雇用や終身雇用を減らして、株主や一部の社員だけがもうかるシステムがすごくいいことのように言われてる世の中。

話を原発の労働に戻すと、何の保障もない最悪の状況であることに驚きます。
放射能を浴びる可能性意外にも恐ろしいことが山積みなのです。
恐ろしく埃まみれの狭い場所の掃除や工事は読んでいるだけでぞっとすます。

すごい話ばかりがひたすら続く本ですが、特に印象に残ったのは、労働者が怪我をすると電力会社のイメージが悪くなるから、謝りにいかなければならない、という事実。
ひどい状況で無茶な仕事をさせてるくせに、怪我するな、とは。
しかも、怪我をした場所を施設外にさせたりするような改ざん技は日常茶飯事。
まあ、日本の会社って、多かれ少なかれ、そういうことをやってますからねえ。
やっぱり、日本できちんとした管理の下、原発を動かすなんて無理なんじゃないの、という気がしてきます。
もうちょっと、あいまいなグレーゾーンを許してくれるエネルギーじゃないとね。

もうひとつ印象的だったのは、ひそかにブラジル人が恐ろしく放射線量の高い場所で働いているという話。
命がけで短い時間働き、稼いでいくというんですね。
今回の作業でも、そういう人たちがかなりいたんじゃないでしょうか。
すごい話だなあ。(ひ)





あちゃらかぱいッ

2011年11月30日 | 本の記録
極北

あちゃらかぱいッ
色川武大
河出文庫
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309407845

時折、思い出したように、昭和の喜劇人に関する本を読んでいます。
読むものはなぜか戦前から戦後すぐまでのものが多いようですが、その頃が一番、浅草の演芸が魅力的だったからなのかな。
これも、そんな時代、小学校にもろくに行かず、浅草に通いつづけたという色川武大ならではの一冊。

井上ひさしの解説が短いけれども、とても印象的でした。
芸人の側に立つ仲間の目線ではなく、あくまで観客の目線で、しかもかなり特殊な芸人について、特殊な見方をしている色川武大にはどうしてもずっと違和感がありつづけた、というもの。
土屋伍一とシミキンこと清水金一を中心に、当時の浅草の芸人達を描いた作品は確かに、色川武大の目線で描かれたかなり歪んだものになっているのでしょう。
エノケンやロッパといった大成功をおさめた芸人たちよりも、今では忘れられている、でも自分にとって印象深かった芸人に興味を惹かれるという気持ちはよく分かります。
NBA選手なら、妙に神格化されているジョーダンやマジックなんかじゃなく、性格の破綻してそうなコービーやレブロンの方が面白いと感じる私は。
今は特に、スポーツ選手やタレントにまで、清廉潔白であることを求める気持ちの悪い時代なので、それに反抗したくなるんでしょうか。
枠からはみ出ている人間を見たくて仕方ありません。

そういう訳で、ここに登場する芸人達は、上昇志向や貞操観念、といった常識が著しく欠けた人たちばかりで、とてもグロテスクな一冊といえそうです。
ほとんどが芸人として、名をあげることなく消えていった者たちの話ですが、清水金一は例外。
傲慢で枠にはまらない自由な性格が、戦争中の抑圧された空気のオアシスのような存在になり、大人気を博す。
芸人も多くが出兵した時代だったから、ライバルも少なかったんでしょうが。
ところが、その彼も戦後の時代の変化にまったく対応できずにフェイドアウトしていってしまう。

どの登場人物もめちゃくちゃな人たちばかりですが、みんなどこか哀しい。
そして、そんな人たちに惹かれる自分も哀しい。(ひ)