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てっしーずのおでかけ日記

観たこと、聞いたこと、気づいたことを書くよ!

ハーブ&ドロシー

2012年08月31日 | 茶の間で鑑賞
remembering Herbert Vogel 1922-2012 CBS Sunday Morning 7-29-12

ハーブ&ドロシー 2008年
監督 佐々木芽生
http://www.herbanddorothy.com/jp/

楽しい映画でした。
郵便局員と図書館司書の夫婦が現代美術のすごいコレクションを作り上げるという実話。
別にコレクションを作ろうとか、買った作品でもうけようなんて気持ちはまったく持たずに足繁く、ギャラリーやアーティストのところへ通い、作品を買い続けた結果だというのが嬉しい。
何でこんな意味不明なものが、こんな高値で? という部分ばかりが取り上げられてきた現代アートですが、そんなことばかり気にするのは美術品で商売するごく一部の人たちと、まったく美術に興味のない人たちだけ。
美術を見る人間にとっては、その作品が自分にとって面白いかどうか、しか気にならない。
ハーブ&ドロシーの夫妻も基本的にはそういう人たちなんですが、いいものは所有したい、自宅でも見たい、という欲が強いのは確か。
そして、アーティストとの交流が楽しいんでしょうね、一番は。
作品を購入する際はできるだけすべての作品を見せてもらい、なぜ、そのすばらしい作品が生まれてきたのか流れを探っていく、というのは相当に贅沢。
その作品はナショナルギャラリーをはじめとする全米各地の美術館に寄贈された訳ですが、作品だけでなく、彼らの美術やアーティストに関する文章をぜひ読んでみたくなりました。
というのも、美術館やギャラリーの人たちの目線がやや彼らを見下したところが感じられるのに対し、アーティストたちのコメントが実に愛情に満ちていたからです。
ドロシーは退職後、作品目録を自分で作るのなんてまっぴら、自分はギャラリーにも劇場にもたくさん行きたいんだ、と語っていたから、本を書くなんてことはなさそうですけど。
「芸術」というものはどうしても、アカデミックな嫌な臭いにまみれているところがあって、自分が学生だった頃、そんな臭いをプンプンさせている大学院生が気持ち悪くて仕方なかったんですが、現代アートって、そんなものと無縁な人間でも対等に楽しめる素晴らしさがあります。

一番おかしかったのは、あるアーティストがふたりを描いた作品。
作品を前のめりで見るハーブと、一歩退いたところから冷静に見つめるドロシー。
ふたりの関係を一瞬で捉えているみごとなものでした。
これから発表されるであろう続編の方も楽しみです。(ひ)


落語物語

2012年08月10日 | 茶の間で鑑賞
落語物語 2011
監督・脚本・原作:林家しん平
製作:大月俊倫

今戸家小六:ピエール瀧
山岸葵:田畑智子
今戸家小春(春木真人):柳家わさび
本藤昌和:柳家権太楼
スマイル:春風亭小朝
本藤一子:石橋杏奈
山海亭文酒:嶋田久作
遊々亭吉八:三遊亭時松
遊々亭ごろ八:柳家小権太
山海亭心酒:隅田川馬石
赤飯亭ごま塩:古今亭志ん橋
鶴家朝丸:三遊亭小円歌
バーのマスター:柳家喬太郎
落語噺家協会会長・鞍馬家天狗:桂文楽
http://rakugomonogatari.jp/

これは駄目な映画でした。
というか、映画になっていないことが問題ですね。
複数のエピソードの入った、本物の落語家が知っている、作り物でない映画にしたかったんでしょうが、ひとつのストーリーになっていないし、中途半端なリアルさがとても退屈。
本当に「落語」を感じさせるリアルな映画を作りたいなら、こんなものを作ったら落語の世界に身を置き難くなるというくらいの実際のエピソードを盛り込むべきだし、映画として成立させたいなら、ピエール瀧夫婦と弟子の話に焦点を絞るべき。
自分の描きたいエピソードを入れるために、ストーリーを無理やり動かすのはやめて欲しい。

まあ、落語を題材にした映画を見る、というつもりでなく、落語家が出ている映画を見る、というつもりなら許せるのか。
配役も意味不明なところが多かったけど。

こんな映画にみんなどんな感想を持っているんだろう、と思ってネットを適当に調べてみると、意外に褒めている人が多い。
と思ってよくみると業界関係者っぽい人か、落語好きの人なんですね。
落語好きな人は優しいんだなあ、と思いつつも、業界関係者の褒め言葉ってまったくあてにならないんだなあ、と再確認。
褒めることのリスクということも考えて欲しい。(ひ)

ディア・ドクター

2012年05月30日 | 茶の間で鑑賞
『ディア・ドクター』予告編

ディア・ドクター
監督 西川美和
脚本 西川美和
出演者 笑福亭鶴瓶
瑛太
余貴美子
井川遥
香川照之
八千草薫

久しぶりに家で映画を見ました。
評価の高い西川美和監督の映画をはじめて見たんですが、手堅い映画ですね。
最近の日本映画はテレビドラマと変わらないようなどうにもならないものが多い印象なんですが、こういう作品を作ってくれる人がいるのは嬉しい。
役者の使い方がこれだけ贅沢にできれば、いい映画になるか、とも思いますが、豪華キャストなのに目も当てられない映画も少なくありませんから。
三丁目のなんとか、というのをテレビで少し見たら、すごい役者たちが学芸会レベルの演技をしていることに愕然としましたし。

この映画、何がよかったといっても、一番はきっちりコメディ映画と撮られていること。
日本の医療問題とか、過疎化の問題とか、いくらでも重苦しいもったいぶった社会派の映画にできるテーマなのに、そんな要素は微塵もなく、医者になりすまして村に住み続けた不思議な男の物語を描き続けている。
医者に成りすました男に医者の資格がないことは恐らく村全員の人々が薄々分かっている。
でも、そんな人間だって、いないよりはマシだという設定はいくらなんでも無理があるのに、何だか納得させられてしまう。
村の人たちは喜んで騙されて高い給料を払い、それをせしめている男の方が苦しそうにしているという構図が面白い。
詐欺師を追っている警官たちも、その事実が分かって、自分たちの仕事に馬鹿馬鹿しさを感じている。

脇役にすごい役者をずらっと並べながら、主役にあえて鶴瓶を使うというバランスの悪さもうまいですね。
ベテランの俳優を使ったら、これでもかという演技をして、嘘をついている男の居心地の悪さが伝わらなくなってしまうでしょうから。(ひ)



南極料理人

2011年12月20日 | 茶の間で鑑賞
南極料理人 予告編

南極料理人
監督
沖田修一
原作
西村淳
出演
堺雅人、生瀬勝久、きたろう、高良健吾、西田尚美、古舘寛治、黒田大輔、小浜正寛、小野花梨、早織、宇梶剛士、嶋田久作、豊原功補

休みの日にボーッとしながら見ました。
そんな状態で見るのがピッタリという、割ととよくあるユルい感じの映画です。
でも、このユルい映画で面白いものを作るのは結構難しいんですね、実は。
とにかく感動の結末さえあればユルされるという単細胞映画には絶対しないぞ、という覚悟をしっかりもって、強い意志と共にユルい映画を作らなければならない。
この映画は原作が面白そうだし、役者の人選もいい、小さな物語の作り方もうまいんだけど、その覚悟がないせいで、なんだかよく分からない映画になってしまっています。

南極観測隊という過酷だけど、それが伝わりにくいし、なぜ必要なのか、今いち分からない人たちの、特異な日常をどう見せるのか、というのが、この映画のミソだと思うんですが、恋愛や家族への思いという、分かりやすい「日常」にすっかり逃げてしまっている。
大体、こういうユルい系の映画を求める人は映画くらい垢にまみれた「日常」から離れたいと思っている人が多いはず。
恋愛映画や家族の絆をテーマにした映画なんてゴロゴロ転がっているんだから。
大体、南極観測隊の人も、私たちと同じなんだね、と確認するような映画って、どうなんだろう。
嫌な確認作業だなあ。

という訳で不満の多い作品でしたが、作品中には数多く面白い場面が出てきます。
ラーメンが異常に好きな隊員を演じたきたろうがすごくいいです。
やっぱり、こういう浮世離れした人が一番面白い。(ひ)


しんぼる

2011年12月15日 | 茶の間で鑑賞
映画 「しんぼる」 松本人志 監督作品

しんぼる
監督 松本人志
脚本 松本人志 高須光聖
出演者 松本人志 ほか
http://symbol-movie.jp/

「大日本人」を観たので、これも。
少し前にCSで放送していたのを録画したまま見ていなかったのですが。
「大日本人」以上にわかりやすい作品でした。
脱出不可能な部屋に閉じ込められた部屋が悪戦苦闘して出て行こうとする話と、メキシコのレスラーの話が平行して進められていく。
部屋から出られない話というのは、夢の中の話のようでもあるし、ゲームをやっているようでもある。
出られそうで出られず、もう一歩のところでいろいろ工夫する様はまさにゲーム感覚。
自分のすることがまったく関係のない他者に影響を及ぼすんじゃないか、というのは多分誰でもする想像だし、小説や映画の題材としても珍しくないと思う。
話としては、とても1時間30分ももたないようなものですが、映像の作り方の面白さで飽きることなく最後まで楽しめました。
多分、松本人志という人は物語として面白い映画を撮る気がまったくないんでしょう。
ヒーローになってしまう男の話とか、閉じ込められた男の話とか、ひとつの設定でいかに遊べるか、妄想を広げられるかにチャレンジしているように思えます。

個人的には楽しめましたが、こういう小さい作品は、少なくとも日本だと「映画」というイメージにあわないんじゃないかなあ。
結局、こうこうこういう話で、ここが面白かった、とか、泣けるんだよ、と話せるようじゃないと。
この映画って、メキシコのレスラーの話をもう少し膨らませて、愛想のいい映画にすれば評価は全然違ったはず。
結局、しんぼるはイメージに勝てないということでしょうか。(ひ)

大日本人

2011年12月02日 | 茶の間で鑑賞
松本人志 監督作品 「大日本人」 TV CM

大日本人
監督 松本人志
脚本 松本人志 高須光聖
出演者 松本人志 竹内力 UA 神木隆之介 板尾創路
http://www.dainipponjin.com/

NHKの松本人志特集番組で今頃ですが、見てみました。
公開当時ずいぶん酷評されていた記憶があるんですが、意外なくらい面白く分かりやすい映画でした。
確か公開前に情報をシャットアウトしていた記憶があるんですが、そのことや松本人志を過大評価しすぎる人たちが一部にいることや、ヨシモトがいろんなことに、手を広げることが気に入らないなんていう空気感などなどが、ひとつになって、ずいぶん作品の出来に対するハードルが上がってしまったんじゃないでしょうか。
ヒーロー(?)「大日本人」のうらぶれた生活をTVのエセドキュメンタリー風に撮るという手法自体は新しくありませんが、まるで日本のプロレスの歴史を通して、今の日本の空気感をうまく表現していたと思います。

つい先日、浅草の舞台に立っていた芸人達を描いた本を読んだ訳ですが、テレビの時代と舞台の時代では芸人やタレントの悲喜劇はまったく違うものになってくるはず。
プロレスというのは、まさに、テレビ黄金期に脚光を浴び、エネルギーをすっかり吸い取られ、今や片隅に追いやられている存在の代表だという気がします。
プロレスと野球って、聞くだけで哀しい気持ちになってくる。
テレビ自体がパワーをなくしている時代とはいえ、なんだか分からないうちに脚光を浴びせたり、奈落の底に突き落としたりする、その理不尽なまでの力は、きっと体験した人間じゃないと分からないだろうし、松本人志もその恐ろしさを感じずにはいられないはず。
そういう意味で、この映画はテレビ時代が一区切りつこうとしているときに、ある芸人が作るのにふさわしい、実にまっとうな映画だったと思います。(ひ)





原子力戦争 Lost Love

2011年10月24日 | 茶の間で鑑賞
'Lost Lover Blues' BLIND BOY FULLER, Blues Guitar Legend

原子力戦争 Lost Love
監督 黒木和雄
キャスト 原田芳雄 山口小夜子 風吹ジュン 佐藤慶  岡田英次

日本映画専門チャンネルでタイトルを見たら気になって録画しました。
監督が黒木和雄で佐藤慶が出ているというのは、少し前に見た「日本の悪霊」と同じ。
今回の佐藤慶は地方に飛ばされた新聞社の記者。
特ダネをつかんで東京に戻ろうという野心に燃える記者のはずなのに、どこか冷めて煮え切らない感じは「日本の悪霊」と共通しています。
原発の事故というタブー視されるネタを追ってもいつか潰されるだろう、と分かっていながらも、事故の真相を探ろうとするベテラン記者の悲哀が出ています。
佐藤慶が俳優座養成所の第4期で、主演の原田芳雄は第15期。
フィクションとノンフィクションが入り交じり、意図的に物語のリズムを崩している映画ですが、役者の巧さで緊張感を壊すことなく最後まで見させてしまうのはさすがです。
福島の東電施設に無許可で入ろうとして止められるシーンが入るのは、寺山なんかにも通じる手法なんでしょうか。
原発のできた村の現状や原発に関わる学者たちの意見がナレーションのように長い台詞
で語られるのですが、それが今放送されるドキュメンタリー番組の内容とまったく変わりないことに驚かされます。

原子力発電所という異様な存在感とパワーをもった施設が圧倒的存在感を見せているのに、関係者、地元住民、マスコミのすべてが現状を守ることにすべての情熱を燃やしている。
そして、その行為がいかにむなしいことかはすべての人が分かっているのがひどくシュール。

遺体が登場する3つのシーンのシュールさになぜかブラッドベリの「ロング・アフター・ミッドナイト」を思い出したのですが、この映画の中の死は、身も蓋もない現実さえ見せてくれないのでした。(ひ)



転々

2011年10月05日 | 茶の間で鑑賞
映画『転々』ギターマン ブラボー小松

転々
監督・脚本 三木聡
原作 藤田宜永
出演 オダギリジョー(竹村文哉)小泉今日子(麻紀子)吉高由里子(ふふみ)岩松了(国松)ふせえり(仙台)松重豊(友部) 三浦友和(福原愛一郎)
http://tokyosanpo.jp/indexp.html

ある世代以上の人間なら誰でも一度は考えたことがあるはずですが、三浦友和は不思議だ。
山口百恵の夫とか、キヨシローの同級生とか、あんまりありがたいとも思えない理由で忘れられることのない人だが、役者としてはどうも地味。
この人の出た映画は内容的にいいものであっても、何故か地味でヒット映画になっても、
三浦友和自身の存在が今いち希薄な気がする。
そんな三浦友和がほぼ主役級で三木聡の作品に出ている。
これがやっぱりどこかもの悲しいんだなあ。
この作品の後に撮られた「インスタント沼」も終盤、どんどんもの悲しい雰囲気になった記憶があるけど、この作品はもの悲しい上に相当好き勝手にやっている。
原作は読んだことないけど、きっとかなり違うんだろうなあ。
あらすじをいってしまえば、借金で困った若者が、借金取りだった男から散歩に付きあえば100万円やると言われるという話。
三浦友和演じる男のすべてがうさんくさい話、そして、それを取り巻く世界そのものの存在の危うさ、そして、それに追い打ちをかけるようにまったく存在意義がないまま何度も登場する岩松了、ふせえり、松重豊のトリオ。
親子の愛情的なものを何となく感じさせるシーンもあったりするのですが、その疑似親子の存在も含め、嘘を重ねて転がしていくストーリー。
何も説明しないままサラッと終わってしまうラストが何とも心地よかった。
何というか、物語に負けてない終わりかたという気がします。(ひ)

日本の悪霊

2011年09月02日 | 茶の間で鑑賞
「絞死刑」op 小松方正,佐藤慶

日本の悪霊 1970年
製作:中島正幸、福地泡介
監督:黒木和雄
脚本:福田善之
原作:高橋和巳
撮影:堀田泰寛
音楽:岡林信康、早川義夫
http://movie.goo.ne.jp/movies/p19405/

以前録画しておいたのを見ました。
早川義夫の曲が使われているというところに惹かれてみたんですが、脚本が福田善之で原作は高橋和巳、岡林信康や土方巽が出演しているというすごい映画です。
土方巽が出ているシーンは短いんですが、すごく印象的だし、作品的にも非常に重要なシーン。
土方巽の舞踏を見たなんて当然無いわけですが、異様な存在感があると私にさえ分かります。
一方、岡林信康は気楽な狂言回し的役。
この時代にはカリスマ性があったんだろうなあ。
どうも岡林というと、ジャックスやはっぴいえんどの歴史を見ていくとき出てくる人という感じです、私にとっては。
相当、いい加減なことをしゃべってますが、この当時見た人には説得力があったんでしょう。

高橋和巳原作というと相当難しそうですが、映画版の方はとても分かりやすい話になっています。
主演の佐藤慶はひとり二役。
そのふたりが鉢合わせしてストーリーが始まるという、役者にとってすごく難しい役柄なのに全然違和感がないのがすごい。
そのふたりは刑事とやくざで、それぞれの立場を入れ替えてしまう、というと、よくあるコメディ映画のようですが、そんな要素はまったくなく、見ているうちに、ふたりの佐藤慶がときに、ひとりに、ときに3人、4人に見えてきます。
小さな田舎町(渋川かどこかだったかな)でのやくざの抗争と警察の関わりを描くことで当時の学生運動とは何かを示唆している、という趣のストーリーは途中からどうでもよくなり、佐藤慶の存在感に圧倒されました。
この人の主演作品を見るのは多分初めて。
ぜひ、これから他の作品も見たいと思います。
親分役の成瀬昌彦と佐藤慶は同時期に俳優座にいたのかな。(ひ)


第9地区

2011年08月28日 | 茶の間で鑑賞
『第9地区』最新予告編

第9地区
監督 ニール・ブロムカンプ
脚本 ニール・ブロムカンプ
テリー・タッチェル
製作 ピーター・ジャクソン
キャロリン・カニンガム
出演
シャルト・コプリー
デヴィッド・ジェームズ
ジェイソン・コープ
ヴァネッサ・ハイウッド
http://d-9.gaga.ne.jp/

内容をよく知らないまま見たんですが、なるほど、という映画でした。
治安の悪さで知られるヨハネスブルグを舞台に繰り広げられる、不思議な物語。
狭い地域に押し込められた宇宙人と人間の関係は、ヨハネスブルグそのもの。
何がすごいって、普通のSFはニューヨークやロンドン、または作者が生まれた自国の中心都市に宇宙人が現れると決まっている。
地球を侵略したり、人間を観察したりという目的をもってくるというのもお決まりのパターン。
でも、この話は宇宙船がヨハネスブルグに来た理由も全然わからない。
人間と宇宙人は最低限の意思の疎通はあるものの、そんな話はまったくなし。
そんな設定の中で、シンプルなSF映画を作ったら、どんなリアリティが生まれるか、を実験したような映画。
途中までは、よくある偽ドキュメンタリー・タッチでストーリーが展開され、その設定の面白さが生かされていますが、主人公が変な液体を浴びて、宇宙人化していくところから、「ザ・フライ」にアクション・ムーヴィーを足したような展開。
宇宙人化しつつある主人公を周りの人間は格好の実験材料として求め、そこからなぜか脱出に成功した主人公は人間に戻りたいという私欲のために、奮闘しながらも、最後は宇宙人親子のために命を投げる。
こんな凝った設定なら、もう少しひねった展開が後半待っているとの思いきや、そんなもの何もない。
話はまったくリアリティなく都合よく進み続けますしね。
宇宙人親子が何を考えていたのか、これからどうするのかもよくわからない。
何もわからないまま、ストーリーは途中で放り出されるように終わる。
まあ、何がいいって妙に感動的なラストにしたり、教訓を加えたりしていないのが素晴らしい。
どこかの国の映画を作っている連中にぜひ見ていただきたいものです。(ひ)