さて、今ドラマで始まった宮尾登美子の篤姫「天璋院あつひめ」を読んだので、 幕末の怒涛の歴史を幕府内から見た物語を少し纏めた。
*篤姫の家は薩摩藩主の分家であったが、江戸の将軍の正室に彼女を送り込む ために薩摩藩主・斉彬の養女として育てられる。その上、京都の近衛家の養女 になって、箔を付けさせられる。
*アメリカのペリーが浦賀に来航した翌年、2人の正室を次々失った将軍家定と 21歳の篤姫は結婚に至る。しかし13代将軍・家定は結婚できるような男性で はなく病弱者であった。薩摩藩主は水戸藩の慶喜を次の将軍にするために篤姫 を大奥に送り込んだ・・・と作者は言う。
*アメリカのハリスに威嚇され、江戸幕府は通商条約を結ぶに至る。この年家定 は将軍になって7年目、50歳で病没する。篤姫は夫の死後1ヶ月その死を知ら されなかった。
*14歳で15代将軍になった家茂は、公武合体という政策で天皇の妹・和宮と 結婚。和宮の京都派300人の女官と篤姫の江戸城派300人が事毎に大奥で争った と作者は書く。しかし長州征伐のために行っていた大阪城で家茂は21歳で病 死する。
*その後明治維新を向かえ、篤姫も和宮もそれぞれに、ひっそりと東京で暮ら す。和宮32歳で病没。篤姫は48歳で没する。
27年間を徳川家と共に、江戸から東京への激動の中での人生であった。