今宵、「銀河鉄道の夜」に訪問していただき、ありがとうございます。
現実世界に疲弊した皆さまを、夢とロマンの時空にご招待いたします。
この日(2020年3月11日)、コロナ騒動で閑散とした人通りの少ない石巻駅前を自家用車で通行中、突然、けたたましいサイレン音が響きわたると駅前ロータリー内では、ほとんどの人が黙とうを捧げていました。
ハッと気づいた時刻は、まさに14時46分。
タクシードライバーの数人の方々も「タクシープール」の車外で佇立し、南方向(日和山~南浜町・旧門脇町方向)に対して合掌しながら黙とうしていました。
何と! その中には以前私と一緒に配車係をしていたYさんと、知り合いのタクシードライバーの方々もいたのです。
皆さんは全身全霊で祈っていました。普段は決して見ることのない彼ら被災者の佇立した姿に、私は(やはり、ここは被災地だった……)と、つい、感涙してしまいました。
一方で、その光景を写真撮影しようと不謹慎極まりない思いが一瞬、私の脳裏をよぎりました。
しかし、あまりにも彼らの全身から発せられている、「亡くなられた被災者の冥福を祈るすさまじいオーラ」のようなものに圧倒されてしまい、非常識な行為をやめて私も黙とうを捧げました。
この日で東日本大震災から9年経過しましたが、何年経過しても被災地の人々にとって「3・11」は風化していなかった、と痛感させられた次第です。
「写真 石巻駅前」 2020年3月11日 河村龍一撮影
「写真 工事中の新内海橋周辺」(2020年3月11日 河村龍一撮影)
「写真 休館中の石ノ森萬画館周辺」(2020年3月11日 河村龍一撮影)
「写真 中央町:元気いちば周辺」(2020年3月11日 河村龍一撮影)
「写真 石巻赤十字病院 災害医療研修センター玄関と赤十字旗」
(2020年3月11日 河村龍一撮影)
※石巻赤十字病院~「東日本大震災における対応」
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、またそれに伴う津波の影響で、石巻市は甚大な被害が出た。発災と同時に、石巻赤十字病院は災害拠点病院としてあらかじめ用意してあったマニュアルに従い、全職員が配置につきトリアージと治療の準備を完了。多くの救急患者が運び込まれ、最大で震災2日後には1日1251人もの急患が運び込まれた。病院はロビーのソファーや廊下の床も含め、運び込まれた患者と付き添いの親族らで一杯になった。
本来、石巻市では地震などの災害時、市内116の医療機関が連携して対応するはずであったが、大津波の影響により、旧北上川河口にあった石巻市立病院をはじめとしたほぼ全ての医療機関が機能停止。大津波の到達もなく、また、災害拠点病院として、自家発電や緊急時の水などを備えた石巻赤十字病院が石巻都市圏20万人を一手に背負うことになった。全国から120人ほどの医師が石巻赤十字病院に応援に駆けつけ、当院職員と共に対応に当たった。
しかし、災害医療の専門的な訓練を受けてきた医師たちも、かつて体験したことのない災害において、次々と新たな困難に直面する。特に、市役所の行政機能がほぼ停止状況に追い込まれたことにより、避難所の様子がまともに把握できなかった時には、石巻赤十字病院にいた医療スタッフを総動員して、300か所以上の避難所にいる約7万人もの避難民をしらみつぶしに調査するという、前代未聞のローラー作戦を行った。避難所によっては、避難した看護師等がかき集めてきた薬でなんとか医療サービスを維持していた避難所もあり、35か所の避難所では震災から10日経っても食糧さえも確保できない事実がわかった。
3月下旬になっても通常の5倍もの1日300人程の患者が石巻赤十字病院に押し寄せ、その多くは避難所の劣悪な環境による肺炎や感染性の胃腸炎を発病していた。医師による避難所の調査では、水がなく手も洗えない、排泄物も流せない等、劣悪な衛生環境の避難所が3月下旬時点でも100か所以上あった。石巻赤十字病院は、あふれる患者を被災地以外の病院に転院させるなどの対応を図る。災害関連死を含めた当院における死者は、地震後3か月で264人に上る。
震災時の院長である飯沼一宇が、震災発生時の様子や対応などについて、復興をテーマに2011年10月30日に開催されたカンファレンスTEDxTohokuにて講演を行っている。当該講演では、旧北上川の過去の氾濫を鑑みて、3メートルの盛り土をした上に病院を建設した結果、津波の被害を免れることができたことなど、当病院独自の様々な災害対策についてスピーチが行われている。なお、このスピーチの模様はYoutubeで公開されており閲覧することができる。
なお、当時の医療社会事業部長は在京大手メディアによる営業に対し、苦言を呈している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「写真提供 石巻復興まちづくり情報交流館 女川町観光協会」
★2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24 km)を震源とする東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9・0)が発生。
◆広島型原爆31万6700発分!
「3・11」(マグニチュード9・0)のエネルギーを核爆弾に換算した数値。
◆2020年3月11日現在
・全国の被害死者数:1万5899人。
・行方不明者数:2529人。
先の震災でお亡くなりになりました人々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
2020年3月11日
河村 龍一