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伝統のモナコGP

2006-05-28 23:13:42 | セナ部
おっ☆今日はF1モナコGPの日なんだ!

今年で64回目となる伝統のモナコGP。
ル・マン24時間、インディ500と並ぶ世界三大レースとして有名なこのグランプリは、言わずとしれた超難関テクニカルコース。公道サーキットのため、凸凹がきつい路面。ほとんど直線がないコースは低速コーナーの連続。吸い込まれ消えてしまいそうなトンネル。迫り来るガードレールはコースの幅を狭くするだけでなく、ドライバーの視界をもさえぎる。そんなモナコを光のように夢のように駆け抜けていくマシン。
モナコGPは、全てのドライバーが勝利を夢見る、特別なグランプリなのです。

1992年5月31日。モナコ。

チーム・ウィリアムズのマンセルに開幕5連勝を挙げられ、なんとしてもここモナコではポール・ポジションを取り勝利を手にしたかったセナだったが、予選のタイムアタックでスピンを喫し、マンセル&パトレーゼのウィリアムズ勢にフロントロウを独占されてしまう。

「モナコではフロントロウにつけるかどうかで戦いの半分が決まるから、今日は我慢のレースになりそうだ」

決勝。
セカンドロウからスタートしたセナは、すぐに2番手のパトレーゼはパスしたものの、首位マンセルの勢いには及ばず。

「ナイジェル(その1)についていくことは全く不可能だった。でもその差は最小限に止めておこうと思ったんだ。レースじゃ何が起こるかわからないだろう?」

そしてドラマが起こる。

マンセルを71週目まで追い続けたその時、トンネルの出口でマンセルが突如スローダウン。パンクと判断したマンセルはピットに直行した。

このときのセナとマンセルの差は28秒。
にわかに騒然とするパドック。沸き立つ観客、解説&実況陣。首位はどちらがとるのか・・?!

マンセルピットアウト。しかしこの僅か数秒前にセナがコースを通り抜けていった。ついにセナがトップに踊り出たのだ。

開幕6戦目にしてようやく、ようやくつかんだトップの座。
けれどもちろんマンセルもセナへの猛追を開始する。フレッシュタイヤを履いたマンセルは、あっという間にセナのテールに追いついた。

そしてここから、歴史に残る熱いデッドヒートが繰り広げられたのです。

セナの背後から迫るマンセル。右からプレッシャーをかけたかと思えば左からゆさぶり、インをうかがったかと思えばアウトからかぶせる。抜きどころのないこのモナコで、どこからでも抜きにかかるマンセル。必死の形相がマシンにも表れているかのように、右に左に揺れるレッドファイブ(その2)

しかし、あのセナが、やっとつかんだトップの座をそうやすやすと譲るわけがない。磁石でくっついてしまったかのように見える2台のマシンが、トンネルの中に吸い込まれていく。押さえる、押さえるセナ。
絶対的なスピードで明らかに上回るマンセルに対し、タイヤのグリップ力(その3)がなくなり横滑りするマシンを必死にコントロールしながら、コースの特性を一分の隙もなく活かした完璧なライン取りで、マンセルをブロックし続けた。

「最後の5、6周は、もうギリギリだった。タイヤのグリップはもうとうに無くなっていたし、ナイジェルはフレッシュタイヤだから、もてる力を全て振り絞らなければならなかった」

まさに死闘。そして78周、チェッカーフラッグ。

その差0.215秒で、勝利のチェッカーを受けたのはアイルトン・セナ・・!

直後に白煙をあげたセナのエンジン。限界ギリギリのバトルを制したのです。

「僕は最後まで勝つ意思を失わなかった。それがこの結果を呼んだんだ」

伝統のモナコ記念すべき50回目のレースで繰り広げられたこのバトルは、今も私の心の中で熱く燃えているのです・・!

 <おまけ>
その1:マンセルの下の名前はナイジェル。ナイジェル・マンセルは口ひげ生やしたイギリスの愉快な(ちょっとガキっぽい性格の)おじさんなのだ。超愛妻家。ゴルフはプロ級☆

その2:当時マンセルはカーナンバー5でした。そしてその5の字は赤で書かれていたので、「レッドファイブ」と呼ばれていました。「」=口ひげおじさん。

その3:タイヤが地面をつかむ(?)力。レースで走っているうちに、タイヤがすりへってどんどんこの力はなくなっていく~~あ~れ~~~。

 <セナってすごいのねなおまけ>
セナはモナコのコースで、ガードレールから2cmのところを走ることができた!!